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「天の時」

その言葉は、驚くほどあっさりと中山監督の口からこぼれた。

「高い組みをやれば、それで観客もわっと沸いて、点数も出てた。だけん、そっちに流れて、頼っとったとこはあった。」

「そのうち、うちの体操は浅くなっとった。だけん、そこば変えんばいかんと思って、この2年間やってきた。」

「組みの神埼」を率いる名将は、そんなことを考えていたのだ。契機となったのは、おそらく2010年の沖縄インターハイではなかったか。この年、神埼清明は優勝しているが、準優勝だった盛岡市立高校の評価も非常に高く、かなり微妙な勝負だった。
結果、神埼が勝ちはしたが、「盛岡のほうがよかった」と評する人も少なくなかった。そして、そのときに指摘されていたのが、当時の神埼の演技、とくに徒手の粗さだった。

そういった自分にとっては決して心地よくはない評判も、この監督は、じつは心に留めていたのだ。
決して、
「勝てば官軍」ではなかったのだ。

2011年の青森インターハイでは、井原高校が他を圧倒する「美しい体操」で優勝。この年の神埼は、前年よりかなりしっかりと徒手も見せる演技をし、ある意味、優勝した前年よりもいい、と評価するむきもあったが、いかんせんこの年の井原は、強すぎた。2位には、青森山田が入り、神埼は3位。しかし、順位こそは下がったが、神埼は進化している、ように私には見えた。

そして、2012年の福井インターハイ。神埼の演技には、はっきりとそれまでとは違う趣きがあった。倒立でのミスもあり、ノーミスだった青森山田を凌ぐことはできなかったが、十分互角の勝負ができることを示した。2012年のインターハイ後には、今までの神埼の演技はあまり好きではなかったという人からも、「美しかった」「感動した」という声も聞こえてきた。

その手ごたえを中山監督も感じていたのだろう。
2013年シーズンの構成には、例年になく早くからとりかかったという。
当初の予定では、4月には構成を完成させ、そこから夏までしっかり演技を練り上げていくはずだった。

今年のメンバーには、インターハイを経験している選手が2人しかいなかった。キャプテンの栗山隼と組みで上にのることの多い筒井雄飛の2人だ。あとはインターハイ初経験というメンバーで挑むことになる。
しかも、このメンバーは昨年、一昨年に比べると、「弱い」と中山監督はかねてから思っていた。それは、主にタンブリングに関してだが、気持ちの方も、「まじめでおとなしい」子達ばかりだという。
「やってやる!」といった気概には欠けるように見えていたし、例年のようにタンブリングの強さでがつがつ攻めるような演技では勝負できそうもない、と思っていたのだろう。

それだけに、今いるメンバーの特徴を最大限に生かした構成にするため、早くから手がけていたのだ。
ところが、とにかく故障者が続出した。
そして、そのたびに、構成を大幅に変えることになった。

メンバーの特徴を生かすということは、代わりがいないということなのだ。「この子がいるから」と作った動き、組みが、その子がいなくなればできなくなる。また、一から作り直し。そんなことの繰り返しだった。

結果、今年の神埼清明は、公式戦に6人そろって出場したのは、インターハイが初めてだった。県大会は5人で、九州大会は4人で戦ってきた。いくら地元開催といっても、勝算なんてない。
そんな状況だった。

しかし、それでも。

神埼清明は、2013年のインターハイチャンピオンになった。
それは、今シーズンの苦難のすべてが、糧となっていい形でインターハイに結実したのかもしれない。
そして、いつも自信たっぷりで、誇り高い中山監督が、「うちの体操は浅くなってる」と、自ら認め、変わることを選択し、たとえ結果に結び付かない時期があっても、あきらめず信念を貫いてきたからこそ、得られたものでもあった。

中山監督からは、「今年は弱い」と言われ続けてきた選手たちは、たしかに先輩達ほどの「強いタンブリング」は持ち合わせていなかったかもしれないが、先輩達以上に美しい線をもっていた。味わい深い徒手をもっていた。

中山監督が見せようとした「深く、大きな体操の神埼」を体現するのには最適なメンバーだったのだ。

天の時
地の利
人の和

神埼清明の部旗に刻まれているこの言葉は
2001年に中山監督が就任したときに採用したものだという。
出典は、中山監督の大好きな「三国志」。

今年の神埼の勝利は、まさにこの言葉のとおりだったと思う。

地元開催の地の利
故障者続出をみんなで乗り越えてきた人の和

そして、なによりも
「時」が満ちたのだ。
<「新体操研究所」Back Number>※2013.8.6.  初出

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