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2010日高 舞(東京女子体育大学4年)

「復活」

「大学生最後のオールジャパンに出場するのは無理かもしれない」
1年前の今頃は、そう考えていたのではないかと思う日高舞が、今年もオールジャパンのフロアに立つ。 

日高舞は、2008、2009年の全日本チャンピオンだ。2009年の三重世界選手権では日本代表としては最高順位の15位に入っている。長かった村田&横地時代が終幕を迎えたあとの日本の新体操界をリードしてきた選手と言って間違いない。
しかし、勝たないわけにはいかない状況が日高の体を極限まですり減らしていた。その結果、日高は2009年のオールジャパンのあと、入院して股関節の手術を受けることを余儀なくされた。だましだましやってきた体が、いよいよ限界を超えてしまったのだ。
9月の世界選手権のときに、すでに限界に近いと言われていた日高の脚。あのとき、秋山コーチは、「車で言えばもうタイヤのゴムはすり切れてなくなっている状態。でも、たとえホイルだけになっても日高舞は走りますよ」と言った。そして、その言葉とおり、日高は最悪のコンディションにもかかわらず、ミラクルな演技を見せた。その結果が15位。素晴らしい根性と気迫だった。

正直、あのとき、「オールジャパンはもういいよ」と私は思っていた。
それ以上、日高に無理をしてほしくなかったから。
少し休んで、コンディションを整えて、大学生活最後の年に備えてほしかったのだ。
しかし、日高は2009年の全日本選手権にも出場した。そして、個人総合連覇を成し遂げた。

しかし、3日目の種目別では、まさに力尽きたように最後のリボンで崩れ、完全優勝を逃した。競技終了後のインタビューで、私が「最後は気持ちが切れた? それとも体?」と質問したら、日高は「体がもう言うことをききませんでした。今も痛くてたまりません」と間髪を入れずに答えた。
そこまで、日高は体を傷めていた。
そして、手術。リハビリ。
折りしも、バンクーバー五輪では、大怪我による手術から見事な復活を遂げて高橋大輔がメダルを獲得していた。高橋を取り上げる番組では、高橋の壮絶なリハビリがよく映し出されていたが、「まさにあのまんま」なリハビリに日高舞は耐えてきた。

4月の世界選手権代表決定戦に日高の名前はなかった。
その後、1か月ごとに行われたコントロールシリーズには、日高は毎回観戦に来ていた。いつも元気そうで明るい日高からは「あせり」のようなものはまったく感じられなかった。
「リハビリとトレーニングでいいほうに体が変わった部分もあるんですよ」と、これも高橋大輔が言っていたとの同じようなセリフを日高の口から聞けたこともあった。

コントロールシリーズを毎回見ているのだから、日高舞が復帰をあきらめているわけではないと感じてはいたが、とにかく今は無理はしないでほしいと私は思っていた。大学生最後のオールジャパンとか、それはもういいじゃないか、と思っていた。いつかもう一度、日高舞の演技が見られるのならば、それは今年じゃなくてもいいよ、と。

しかし、日高舞は戻ってきた。
2010年8月29日、全日本クラブ選手権の2部リーグ予選のフロアに日高は立っていた。私は、サブフロアにいるときからずっと日高を目で追っていた。種目はフープ。
日高は何回も何回もフープを小さく投げてはつかむ。フープの感触をためすように。4回前転キャッチの練習をしようとすると、サブフロアにいたほかの選手達がよけて日高のためにスペースを空けていた。そうさせる空気がこの日のサブフロアにはあった。
それは日高舞の威圧感ではない。
むしろ、この日の日高は、1年前に日本を背負って世界選手権に出た選手だとは思えないくらいに初々しく緊張し、すこしばかり落ち着きなく、それでもとても楽しそうに本番までの時間を過ごしていた。付き添っているのは、ジュニア~高校生の間、日高が師事してきた安達三保子コーチだが、安達もまた驚くほどにこにこしていた。日高の復帰戦という緊張感は安達の表情からは感じられなかった。ただ、うれしそうに、日高の練習を見ていた。
うまくいけば、笑顔をおくり、ミスをしても「あらら」と苦笑い。そんな光景がそこにはあった。そして、日高のためにスペースをあけたほかの選手達も、日高がそこにいることを明らかに歓迎していたのだ。
だから、自然に日高の周りには、彼女が望むようにスペースができていた。

日高舞の復活演技・フープは、やや慎重になっている部分もあったし、ジャンプなどは抑えている? ように見えるところもあったが、手術までしてそんなに長いブランクがあったようには見えないくらいには十分取り戻していた演技だった。
もちろん、術後の日高の努力にも壮絶なものがあっただろうと思う。しかし、それ以上に、これほどのブランクがあっても、また戻ってこれるだけの力を日高舞がもっていたということに感謝したいと思った。
フープのラストは、おなじみの4回前転キャッチ。3回にするか? と思ったが、しっかり4回回り、そして落下場外。
それが、この日の日高の演技だった。観客席で大声援を送っていたクラブの後輩達のほうに向かって、日高はすこし苦笑いをしながら「失敗してごめんね」というように手を合わせた。
観客席からは、日高の復活を称えるように拍手がおきた。日高も胸に手をあてて、その声援に応えた。そしてそのとき、観客席とは反対の方向からも拍手が起こった。
クラブ選手権の2部リーグ予選は、3面同時進行だ。日高の隣のフロアでも競技は行われていた。しかし、ほんのわずかの時間、隣のフロアさえも、出番前の選手や競技役員まで、日高の演技を気にしていたのだ。そして、見事な復活劇に、出番前の選手や指導者たちも、思わず拍手を送っていたのだ。

だれもが思っていた。
「おかえり」「帰ってきてくれてありがとう」
もちろん、私もそう思っていた。

日高舞は、このクラブ選手権で3位になった。大会3日目の1部リーグ予選のロープ、フープはほぼノーミスでまとめ24点台にのせた。フープではラストの4回前転キャッチも決め、最高の笑顔をガッツポーズも見えた。
しかし、決勝での2種目・ボール、リボンは新しい演技に挑み、ミスを連発し、3位に沈んでしまった。体力的にも1日4種目というのは今の日高にはまだハードだったのかもしれない。

それでも、日高舞はフロアに戻ってきてくれた。
クラブ選手権の3位で、オールジャパンの出場権も得た。
私にはそれで十分だった。
負けず嫌いの日高は、内心ちょっと悔しいと思っているかもしれないが、今はこれで十分と思ってくれればいいなと思った。

試合後のインタビューで日高は、「最初のフープのときは、初めて全国大会に出たジュニア選手のように緊張していました」と笑顔で言った。
それでも、「フロアにもどってこれた喜びを表現したいと思って演技しました」とも言った。
大丈夫。それは本当に、見ているみんなに伝わっている。
だからこそ起きたあの拍手だ。だからこそ見られたあの光景だ。

演技はまだ本調子とは言えないのかもしれない。
自分のやりたい演技にはまだ遠いのかもしれない。
だけど。
日高舞はこんなにも「復活をみんなから歓迎される選手」だということが私はうれしかった。

オールジャパンの舞台で、また日高舞が見られる。
本人はそうは思っていないだろうが、私には順位はどうでもいい。
「見られてよかった」と思える演技をしてくれれば。
そして、できることならば、「これから先が楽しみ!」と思える演技が見られれば、それで最高だ。
今年の前半、「もう日高舞の演技は見られないのかも」と思って過ごしたあの日々を思えば、まだいくらでも私は待てるから。

もう無理はしなくていい。
ただ、自分のやりたいことがやれるように、やりたい演技に近づけるように。日高が前進し続けるのならば、それをこれからも見守りたいと、私は思っている。

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20年近くほぼ持ち出しで新体操の情報発信を続けてきました。サポートいただけたら、きっとそれはすぐに取材費につぎ込みます(笑)。