自分の身の守り方

こんばんは。
ただ今仙台では大変雪が降っております。
今年の冬は本当によく雪が降ります。
コロナは広がり、雪は積もり。
そんな中でも、僕は昨日仕事始めを迎えました。
無事迎えられたと言っていいものなのか、どうなのか。
なかなか表現が難しいところですが、とにもかくにも今年も頑張ります。

僕は職業柄、人の仕事を取り扱うことが多いもんですから、noteでは仕事の話もしていこうと思います。
今日は、外野からいかにして自分の身を守るか、という話について。

ここで言う外野というのは、自分の仕事を縛るもの全般を差してます。
例えば組織や上司からの意にそぐわない指示であったり、方針であったり、そういうものたちです。

大前提として、会社という組織に身を置く以上、そういったものには従うのが原則だと言われていますし、僕もそこは理解しています。
自分でその会社への入社を決めた以上、いかに縛られようともそれは自分の責任であると。

ただ、その縛りにどうしても耐えられなくなるときもあります。
そうなったときの対処法は多分2つで、環境を変えることで縄をほどくか、環境を変えずに声を上げて縄をほどくかの二択だと思っているんですが、ここで言いたいのは、誰かが勝手に手を差し伸べて縄をほどいてくれることなんかないっていうことなんです。

僕がこれに薄々気づき始めたのは2年前くらいですが、これは本当にそうですね。
苦しいときってどうしても悲劇のヒーローを気取りたくなりますが、気取ったところで自分が思ってる以上に周りは救ってくれない。
救いを待っていても、誰も手なんか差し伸べてなんかくれないんです。

これについては僕自身まだそう割り切ることができていませんが、どうやら社会や組織はそんなもんらしいと。
縄をほどくには自ら声を上げるしかないようなんですね。
そして何はともあれ、声を上げるためには置かれた環境で結果を出すことが重要で。
つまるところ、自分の身は自分でしか守れない。
ただ、上げるか上げないかの二択なのであれば、もうこれは上げるしかないんだなと、そんなことをつくづく思います。
この辺りはもう諦めの感覚に近いですね。

でもそうやって、世の中や社会の捉え方を少しずつ変えていくのは、すごく大事なことなんじゃなかろうかとも思ってます。
これだけコロナも広がり、雪も積もる世の中ですから。
外の景色が変わるのも待ちつつ、まずは自分がやれるところからやっていこうと思います。