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『YIIK ポストモダンRPG』エンディング考察(仮)

YIIKをクリアしましたので、エンディングについて、自分なりに考察をしました。

以下、終盤の展開にまつわるネタバレを含みますのでご注意下さい。

また、クリア直後の衝動で書き殴ったものですので、トンチンカンなことを言っているかもしれません。
そこんとこ、ご了承下さいませ。

---以下、考察---

物語のラストにて本作の黒幕(?)であるプロト=アレックスと対峙するわけですが、その際にプロト=アレックスは、自分もエッセンシア995もアレックスも「同じ」存在であり、魂が分断された状態にあると語ります。

おそらく、「同じ」存在なのは、この3人だけでなく、マイケルもヴェラも、その他モブキャラも含めたこのゲームに登場するキャラクター全員が、「同じ」存在であり、ひとつの魂が分かれたものであるのだと思います。

どういうことかというと、YIIKに登場するキャラは、YIIKの『作者』というひとつの魂から生み出されたものであるので、全員、作者の分身であると言えるわけです。

サミーや、プロト=アレックスが、エッセンシア995がアレックスを騙したと言っていたのは、要するに
「行方不明になった少女を探すために冒険する」という本作のストーリーが創作物である(「YIIKポストモダンRPG」はゲームであって、架空の物語ですよね)=作り話、ウソであるということを言っているのかと解釈しました。

そして、本作はゲームですので、当然プレイヤーが存在します。

面白いことに、アレックスたちは作者の分身でありながら、同時にプレイヤーの分身でもあるのです。

アレックスのステータス欄に「別世界の自分」と書かれているのは、このゲームが終盤に登場したALEXの視点で描かれている=ALEXにとってアレックスは別世界の自分であるという意味もありますが、プレイヤーにとって別世界=YIIK世界の自分であるという意味でもあります。

そして、最終的にプラグを抜くことで分かれていた魂は再びひとつになり、エンディングになります。

プラグを抜くというのは、そのまんまゲーム機の電源を切る=ゲームをやめるという意味です。

ゲームが終われば、ゲームのキャラクターたちはその時点で消滅したということになります。

しかし、プレイヤーの中にはゲームのキャラクターたちが『記憶』という形で残ります。

つまり、YIIKの全キャラクターの魂が、プレイヤーと一体化したと言えるわけです。

YIIKのキャラクターたちの魂は、元々作者の魂から生まれたものであり、そして、いま、それがプレイヤーの魂と一体化しました。

つまり、プレイヤーと作者は同一の魂を共有した存在になるのです。

というのが、わたしなりの本作のストーリーの解釈です。

この構造は、何も本作に限ったことではなく、この世に存在するすべての創作物に当てはまります。

YIIKは、普遍的に存在したその構造にスポットを当てて、メタ的に描いた作品なのではないでしょうか?

本作は、いろいろと問題点を抱えた作品ではありますが、エッセンシア995の「まさかここまで来るとは思わなかった」というセリフを見るに、それらの問題点によってプレイヤーが途中で投げ出すという部分まで意図してようにすら思えます。

最後は、ゲーム内のプラグを抜くという演出でしたが、本当なら、実際に、プレイヤーにゲーム機の電源を切らせたかったんじゃないでしょうか?

ラスボスが不死身で絶対勝てない負けイベなのに攻撃が弱くて全然負けられないのも、プレイヤーを諦めさせて電源を切らせようとしたのではないかとも解釈できます。

……いや、そろそろただの妄言になってきたので終わりますが、今後、Switch版のYIIKがアップデートされるなら、その際にもう一度本作を遊んで、より考察を深めてみたいと思います。

なんだかんだ言って素晴らしいゲームでした。

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