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たくさんいるので「いとうあきら」の会を立ち上げてみたい話 2024年7月21日

小学生から高校を卒業するまで同じ学校の同学年に、私と同じ「いとうあきら」という人がいた。特に小学生のころは、「賢い方のいとうあきら」と「ア〇の方のいとうあきら」と言われていて、当然ながら「ア〇の方」が私だったので楽しい気分ではなかった。

しかし仕方がない、「賢い方」は、成績もよく、品行方正で、先生の受けもよい上に、級友からの信頼も多かった。運動もよくできた。それに比べて、私の方は、スライムならぬネリケシで教科書で隠しながら怪獣を作っていたり、教科書にパラパラ漫画を書いたり、机の中に手を入れてトランプで遊んでいたりして、テストもひどい点で掃除はさぼる、運動はできないなど、先生たちにも周囲の同級生にも見下されるようであったから、仕方がないのである。

それでも、中学へ進学すると、こちらも幼い頃からの乱読量の多さのおかげで、教科書に出て来る内容がわかりやすいので成績は「賢い方」と差がないか、ときにはこちらの方がよくなることもあった。それで、同じ小学校から進学した者たちはなんとなく私と接しにくそうにしていたのは、ちょっと面白かった。また別の小学校から進学してきた者たちには、最初から印象がよかったらしく、随分と友達が増え、しかも一目置かれるようになった。

そして結局、当時はこの地域では一番の進学校に両方の「いとうあきら」が進学したのであるが、実のところ私には、その高校へ通うのにしばらく心配していたことがあった。というのも、小学校3年生の頃はテストで「0点」を取っていて、小学校の通学路にあったその高校の垣根の中に、「0点」のテストをまるめていくつも投げ込んでいたからだ。家に持って帰ったら、厳格な父からげんこつ飴という大変なものを何個もいただくことになる。その「0点」のテストが、その高校に入学してからも垣根に残っているのではないか、と心配していたのであった。紙のテストが風雨にさらされながら6年も垣根に残っていたら、それこそ大変な発見になったのだろうが、それよりも切実にげんこつ飴の恐怖におびえる私は、結局、高校へ進学しても「ア〇の方」の呪縛を引きずっていた。

高校時代は、当時の多くの生徒と同じように、ラジオの深夜放送も聞いた。ながら勉強が余り得意でないので、ラジオを聞いているとラジオに集中してしまう。「ラジオを止めなければ」と、何かの歌が終わったときに手を伸ばしたら、ラジオのスピーカーから「ただいまの曲は、〇〇県〇〇市のいとうあきらさんからのリクエストでした。ありがとう」と言った。今さら「〇〇県」と隠しても仕方がないが、私の住んでいるのと同じで、「〇〇市」は2つくらい離れたところにある。「まだいたか」。これで少なくとも3人目の実在が発見された。

その後も何人かいることがわかったが、一番衝撃的だったのが今から紹介する「いとうあきら」氏の発見。この「いとうあきら」にはあえて敬称をつけさせていただく。ただ面識はない。

私は「〇〇県」のある街にアパートを借りて住んでいたことがあった。5階だったがエレベーターはなく、外出のときは階段の上り下りが大変であった。5階など、ちょっとした都会なら周囲の建物に埋もれてしまうだろう。ところがそこは周囲に高い建物がないので、断然、見晴らしがよかった。海は見えるし山も見える。何よりすごいのは夏場で、花火がよく見えた。その街の花火は特大で見える。海の近くのリゾート施設の花火もよく見える。隣の市やその向こうの市や、さらにその向こうの市、また方向を変えれば県外の花火も遠くに見ることができた。あそこに住んでいたときほど毎日のようにいろんな花火をゆっくりと楽しめたことは人生でその数年間だけであった。

そのアパートにいるとき、ある時期から、郵便物を開けようとして「名前が違う」とはっと手を止めることが起こるようになった。「いとうあきら」なのである。しかし漢字が異なる。住所をよく見ると、同じアパートの同じ階段の一つ下、4階に「いとうあきら」氏が住むことになったのだ。郵便物の誤配達は、その後も何度もあったし、反対に4階の「いとうあきら」氏のところに私のものが届いていることもあった。互いに、漢字が違うのを確認すると、本人のポストに入れた。しかも、無言であったのは、気恥ずかしかったのもあるだろう。思えば、ポストが1階に並んでいるようなアパートではなくて、それぞれの部屋の扉にあったから、郵便配達の方にもご苦労をかけたものである。

何かの用事で、住民票を役場に取りに行った。申込用紙に、名前と住所をきちんと書いて提出して待っていた。しばらくして、「ご住所をお間違えではありませんか」と担当が言いに来る。住所を復唱して間違いのないことを確かめた。すると今度は、受付の向こうの当時は箱型であったパソコンの画面の前に何人かが集まって、みなで笑っているのである。名前にフリガナをつけたが、それが原因か、と察した。こぼれる笑いを隠せないという表情で担当が来て、書類を渡してくれた。

「すぐ下の方も、同じ読みのお名前でしょ」
私は、笑っている役場の人たちに、知ってますよ、ということを伝えるためにそう言った。
「こんなこともあるんですね。しかも、同じアパートの上と下」
そんなことをみなが口々に言っている。
「そうなんです。なんだか、あちらの方に申し訳ない気持ちもして」
私は半ばやけくそで、半ば本気でそんなことも言った。

その後も、毎年一人ぐらいは、何かで「いとうあきら」というお名前を知ることがある。選挙で「いとうあきら」が立候補していて、「いとうあきら」を連呼している日々もあった。漢字にすれば、特に「あきら」は相当な数になると思うし、私の年齢からすると珍しいが、若い人たちには「あきら」はたくさんいることだろう。もともと「いとう」は多い姓でもある。

もしもこの文章を目にされた「いとうあきら」さんがいたら、「いとうあきらの会」でも作りませんか。会ったり連絡を取ったりするなどというのは、私は望みません。ただ、「いとうあきら」という名前の者が世の中にはこれだけの人数がいるんだ、と世間に知らせるだけの会。

かつて「いとうあきらに告ぐ」という小説を書こうとしたことがある。「いとうあきら」が集まって、国を牛耳ってしまい、国名も「いとうあきら」にする、という話を考えて、ばかばかしくてやめた。もしも実現したら、どんな国旗で、どんな国歌になるのだろう。

今回は長年の妄想を文章にしてみた。

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