私の破滅願望の話

 バイト帰り、なんだかこのままバスに乗って家に帰る気になれず4kmちょい、1時間ぐらいを最近仲良くなった人のnoteを少しずつ読みながら帰った。
 彼の紡ぐ文章はなんだか不思議な暖かさに包まれていて、私はもう今すぐできるだけ劇的に死にたいと思ってしまった。派手に交通事故を起こして今死にたいと思ってしまった。
 その気持ちを冷やして抑えるために、雪がまだ溶け切ってない街中でコートの前をわざと開けて歩いた。

 私の破滅願望は、世界への諦めから来ているのだと思う。
断言するが、「世界に絶望はある」
それを知ってしまってから始まったように思う。
世界に絶望があることなんて、snsがある今、簡単にわかるのに、人々はそれを理解しようとしない。ましてや自分に起こったとしてもだ。
 私が「世界に絶望がある」ことを知ってしまったのは、だいたい14歳ぐらいのとき。過食非嘔吐で家から4年間出られなかったとき。教師、警察、親、医師、誰も助けてくれない。むしろ罵声を浴びせられる。薄暗い部屋でこの先を見つめてみたときに足と手をどこに動かせばいいのかわからなくなった。ただ虚ろな目で宙を見つめるだけだった。
思い出したくもない。

    話はズレるが、「世界に絶望はある」と理解している人とそうでない人では話が噛み合わないし通じない。

 こんな世界、逃げ出したい。楽になりたい。実際、私一人が何かをしたところで簡単に変わるものなどないし、何かをする勇気も、何かを背負う力も残っていない。
 私の破滅願望は世界がそこにある限り消えることはないだろう。
    悔しいから、悔しいけど、最後はあのクソ映画のワンシーンみたいに死にたい。
もうすぐ冬が終わる、ふたり手を繋いで「寒いね」って笑いながら終わらせてしまおうよ。

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