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その手作り至上主義、おかしくない?


「縫うって、まさか手縫いじゃなきゃダメとか言わないわよね?」嫌な予感がして娘に聞いてみた。

中1の娘の学校で、「被災されている地域の方々へ雑巾を贈る」という活動のため、1人2枚雑巾を縫って持参するようにとの通達があったのだが、なんたってキンドルがダメな学校である、油断は出来ない。

https://note.com/reykamiya/n/n3d91f56ac4ab

いや、それとこれとは関係ないが(笑)とかく古風な価値観らしいので、もしやと思ったのだった。

娘が先生に確認したところ、案の定「手縫い」指定だった。雑巾の手縫いって、めちゃくちゃ弱いと思うんだけど、なんでミシンじゃいけないんだろう?そもそも、使って何回かで崩壊するであろう子供の手縫いの雑巾なんて、もらった方も困るんじゃないか?

学校から手縫いであることの必要性や心構えなどの説明はなかったらしいが、家庭科の実習ならともかく、ひと様に差し上げるものなのだから、本当に心をこめるというならば、困っている被災地の方々が使いやすい雑巾を贈ることが最優先なのではないだろうか?

娘に縫わせたら、切れ端を内側にして縫うという知恵が働かず、1回目は玉砕。

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このままではほつれるので縫い直しを命じると「もうやだ〜!」とかなり不機嫌だったので「じゃあさ、可愛い雑巾にしてみれば?」とおだてると、その気になってせっせと縫い始めた。

そして出来上がったのがこちら。

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われながら良い作戦だったとほくそ笑んだ。どうせやるなら楽しくなくっちゃ!

しかし、話は最初の疑問に戻るが、なぜに手縫いなのだろうか?ありがちな理由は「手作りには心がこもっているから」でも、それって本当かな?

この、刺繍を施した雑巾には娘の手作り愛がこもっているかもしれないが、最初の失敗作の雑巾を縫い直させたら「めんどくさいな〜、いやだな〜」というマイナス感情だけが縫い込まれていたに違いない。

手作り至上主義の話を聞くと、違和感を感じてしまうのはなぜか?と考えてみると、そこには「手作りには愛がある」という居心地の悪い謎の決めつけがあるからだと思う。

そのよい例が、「幼稚園入園時の5点セットはお母さんの手作りでなければいけない」というもの。これまた「手作りにはお母様の愛情が込められているから」という理由らしいが、既製品を使うお母さんは子供に愛情がないとでも言うのだろうか?

洋裁が苦手なお母さんが、手作りをモットーにする幼稚園に内緒で、ハンドメイド製品を買って子供に持たせる、なんてことも多いと聞くが、そもそも「愛」なんてものは、条件にひもづけられるものでもないし、他人がはかれるものでもないのに、なぜそんな固定観念が横行しているのか不思議でならない。

ちなみに、私自身はどちらかというと手作り派だが、既製品が悪いとは全く思わない。自分はただ作りたいから作っているのであって、それを人に押し付けるのはおかしいと思っている。

ドイツから日本に帰国して娘が転入した幼稚園は、知らずに入ったのだが超手作り志向の幼稚園だった。私はそれまでそんなに洋裁をしたことがなかったけれど、やってみたら楽しくって、写真のように色々作ったのは良い思い出だ。でも、それはあくまでも自分が好きだったからであって、強要されたからではない。

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入園セットにせよ雑巾にせよ、自分が手作りしたいなら良いが、押し付けられて作るものではないと思う。母の手作りと偽って買った入園セットや、イライラしながら手縫いした雑巾に、後ろめたさや怒りを感じるとしたら、なんのための手作りなんだろうか?

そろそろ、そんな本末転倒な手作り至上主義は終わりにしたほうがいい。だって本質を見ずに、たてまえだけ取り繕うみっともない社会は、手縫いの雑巾と同じで、すぐにほつれちゃうんだから。


http://chng.it/hT7ZbzX7

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