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しゃかぽこ人生 #3 はじめてのうさぎ

#1から話に上がっているポンタは、実は当家2代目のウサギさんである。

先に書いたとおり、小学校の飼育小屋からかっぱらってきた(?)ウサギさんがポンタなのだが、いくら当時の私が中学生とはいえウサギを飼うことに対するハードルが低すぎではないか・・・? 
そう思われたあなた、流石目聡い。
全くその予想通り、ウサギを持ち帰ったその日、私はウサギをポンタと名付け、名付けただけでなんか満足し、

とりあえず母が帰ってくるまでこたつの上に置いて放置するくらいウサギに対するハードルが低かった。

無論、仕事から帰宅した母がこたつの上で丸まっている子ウサギをみつけ、悲鳴を上げたのはいうまでもなく
そのあとこの世の終わりかと思うくらいに怒られたのも言うまでもないことだ。
だが頭に角を生やした母が牙をむいて怒鳴っていたのは、「ようやく一匹死んだのになんでまた連れてきた!!」である。
あとは「何匹うちに生き物がいると思ってるんだ!!」もあった。
そう、当家は昔から
勝手に動物が増えていく家なのである。

勝手に動物を連れてくるのは父と私で、連れてくるだけであまり世話はしないので、母はことごとくその被害に遭っていた。
(これは平成の初めのほうの話ですし実家は典型的昭和の家庭なので許してほしい)
そんなわけで私のペットエッセイはもりもりとネタがあるのだが、今回は私が初めて勝手に連れてきた子の話をしようと思う。

それが先代のウサギ、パンダである。

話を戻すと、しゃかぽこポンタは我が家2代目のウサギで、
先代のウサギさんがいたからこそ、ポンタをお迎えするときも「なんとかなる」と思っていた。


パンダ

先代のウサギの名前はパンダである。
パンダとの出会いは私がまだ小学1年生に上がるかどうかの頃だった。

父の友人で玉子屋を営んでいる方がおり、月に一度一家総出で玉子を買いに出かけていた。
広々とした養鶏場で、ところかしこから鶏さんの声が響き、併設されている農家の庭先にはクジャクや鶏、ウサギなどの飼育小屋が置かれていた。
当時の私にとっては小さな動物園のようで、玉子を買い込む両親の目を盗んでは農家の庭先に入っていき動物たちを眺めていた。

何度目かに訪れたある日、初めて農家の長女と顔を合わせることがあった。縁側からひょこりと現れた彼女は、名前をあみちゃんといい、私より一つ年上だった。
幼稚園以外でお友達ができるのはとても嬉しくてすぐに仲良くなった。
あみちゃんも嬉しいと思ってくれていたようで、親たちが話し込んでいるのを良いことに庭先でたくさん遊んでいた。いつもは見られない農家の奥にいた山羊なんかも見せてくれたので、二人で秘密を共有できたような気分だった。
そう思っていたのはあみちゃんも同じだったのか、
そろそろ帰る時間も迫った時に、あみちゃんは「いいもの見せてあげる」と言いうさぎ小屋の中に私を入れてくれた。

あみちゃんの手のなかには小さな小さな子ウサギがいた。
黒くて小さくてまんまるで、お鼻の周りと手先が白く、ひくひくと呼吸をしている。
私はそれがかわいくてかわいくてツンツン指で突いていた。
やがて両手に乗せてもらうと、まるまった毛皮の暖かさに感動してしまった。
思わず「これちょうだい」と言った私に、あみちゃんは「いいよー」と何でもないように笑ってくれた。

さて帰りの車の中では玉子を買い込んだ父と母が満足そうに会話している。
私は助手席に座り、膝の上に小さな段ボールを乗せていた。
「おまえ、それ何もってるんだ?」
運転している父がふと気になったように私に尋ねる。私は段ボールの蓋をあけて
「あみちゃんがうさぎくれた」と返した。

「!!!???」
もちろん父と母は大混乱である。

まさか娘がナチュラルに友人の家からウサギを盗んできたとはおもわなんだ。

「返してきなさい!!」
母にこっぴどく怒られたが、すでに養鶏場は店じまいの時間だったことと、当時は固定電話しか連絡手段がなく、家の近くまで来ていたこともありそのまま家路についた。
私はなぜ怒られているのか全くわからなかった。
終始「あみちゃんがくれた」と言い張ったのだが、「ウサギなんてどうやって飼うの!」と当時犬と魚しか飼ったことがなかった我が家では大問題となっていた。

その日の夜、母が養鶏場に電話をし、平謝りしながら「翌日にはウサギを返却に行く」と連絡をつけてしまった。
私はどうしても納得がいかず、段ボールの隅に丸まっている子ウサギをなんとしてもこの家に定着させてやらねばと考えていた。
考えたところでこの子ウサギをどうしたらいいのかはあまりわかっておらず、とにかく庭に生えている雑草を引き抜いて与えたりしていた。すると母がそんなものを食わせるなといい、レタスを子ウサギに差し出してた。

おそらくこのとき、私のなかで「あ、オカンはなんだかんだで動物の世話するな」と図々しい考えが芽生えたと思われる。
(そしてのちのちの負のループ始まる)

子供は都合よく親を使うとは言ったものだ。

翌日
あまりにも早いお別れの時がきてしまった。
もう今にも養鶏場に旅立たんとしていた我が家だが、一本の電話がかかってきたことで事態は急展開を迎えた。

それは養鶏場からの電話だった。
「野犬にウサギ小屋が襲われてしまって、ウサギが何匹か死んでしまった。今ウサギを返されても野犬に食われてしまうから、小屋を修繕するまで待ってほしい」
野犬・・・だと・・・?
そう、当時はまだ平成の初期。多摩地区には野犬がうろうろしていた。
それでは仕方がないということで、ウサギ返却は一旦免れた。
ウサギ小屋はいつ修繕するのだろう? 今日は日曜だ。きっと農家のおじささんたちは日曜大工をしてすぐに直してしまうのではないか。そうすると専業主婦の母のことだから治り次第、車ですぐに返却に向かってしまう。
私は気が気ではなかった。
段ボールからようやく顔を出したりするようになったウサギさん。
こんなにかわいいのにそんな野犬がうろうろする所に返さないといけないなんて・・・
私はここぞとばかりに「かわいそうだ」と母を非難した。
理由が理由だけに母もううんと悩んだ様子だったが、それでもウサギなんてどうやって飼うんだと疑問を解決するには至らない。
当時は昭和が抜けきらない平成のはじめ、それも23区外の田舎で、どこの家も犬に綱をつけて家の外に繋いでいるような環境である。
私も高校に入るまで「家でウサギを飼っている」他人に出会うことはなかった。それくらい当時の私の周りではウサギを飼うことが珍しかった。

わからなければ調べればいいのだが、今のようにスマホですぐにといかない。当時はわざわざ本屋にでもいかねばウサギの飼育方法なんてわからなかった。そして母はそういうのが面倒なタイプだった。ようわからん生き物をわざわざ調べてまで飼わなくてもいいじゃんという気持ちだったらしい。

平行線をたどって翌日のこと。
幼稚園から帰宅すると、母が「ウサギのことなんだけど」と切り出した。
私が幼稚園にいる間に勝手に返却してしまったのかと思ったが、母の口から出た言葉はまたもや意外だった。
「ウサギ小屋修理したんだけど、また野犬に襲われちゃったんだって。もう農家さんも困ってしまったから、このウサギうちで飼ってくれって」
棚からぼた餅である。
どうやら修繕した檻をまた野犬が破ってしまったらしい。
これでは仕方がないということで、なし崩し的にうさぎは我が家の一員になることが決まった。
犠牲になってしまったウサギさんを思うとなんとも暗い気持ちになったが、部屋の隅で丸まっているウサギさんを眺めていると、「助かってよかったね」という気持ちになった。

そんなわけで晴れて初代ウサギさんが誕生となった。

こうなれば名前をつけねばならない。名付けはうきうきするもので、私はあれこれ考えて母に提案してみたが、
「こんなヘルメットかぶったみたいなウサギ、パンダでいいのよ」という母の独断により名前はパンダに即決した。

なんでそんなぶっきらぼうに名付けるんだろう・・・
この母の適当力に助けられることは多いのだが、こと動物の名付けについては残念でならないのであった。

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