ざつき

働かざる者食うべからず。
実にくだらない言葉だ。
労働に関する慣用句らしいが、こんなものがいつまでも根付いている世の中では、何も変わらない。
なので対義語を用意して、これを広めたい。

他人のカネで食う飯が一番美味い。

当然のことである。
事実、奢ってもらったラーメンはめちゃくちゃ美味かったからだ。

勤労の義務。
日本国憲法の中で最も怒るべき文がそこにある。
9条がどうのとか騒ぐよりこれははるかに大きな問題である。
許すまじ27条。
なのでこれを変えたい。
改正案は次の通り。

1.全て国民は勤労の権利を有する。
2.企業は国民に勤労の機会を設ける義務を負ふ。

3.賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
4.児童はこれを酷使してはならない。

3と4は変更なし。
これでいい。実にすっきりした。
勤労の義務はもはや不要。
先人たちが遺した不要物はさっさと取り壊したほうがいい。


はたらかなくてもよくなりたい。

社会と向き合うことに疲れた人々がたどり着いた真理のことだ。
月に20万程度もらって肩をたたかれて、
「もう君は何もしないで」
と言われたほうが気が楽である。

そう、人は疲れた。
発展と拡大はなにもやりがいだけで成せたものではない。
そこには少なからず生活のためという圧倒的義務感があったはずだ。

だがその義務感も限界が来ている。
働かなければ生きていけない世の中を構築した結果がこの現状を生んだ。

しんどい仕事にやりがいなどあるものか。
だから人は見合った賃金を得られなければ離れていく。
バスの運転手を見てみろ。
その最たる例ではないか。

誰でもいいわけではないが、払える金には限度がある。
人は偏るし、増やしても効果のない路線や乗らなすぎて減便廃線など他人事ではない。

行きつけの散髪屋に至る便利なバスも不人気が原因でいつの間に行き先が変わり腹立たしい思いをしたばかりだ。
あれ以来散髪屋には行きづらくなった。
許すまじ。


先日たちへ
来年も再来年も日本国は独立したひとつの国家であり続けられますか

労働と国家間の争いは無関係だと思っているなら、考えを改めた方がいい。

国防は今の生活を守るために必要なことである。
隣の某国は根底にある主義が異なる。
資本主義と共産主義。
それらは相反するものであり、根っこの部分でわかり合うことはもはや不可能であると考える。

我ら日本国の領域に対して挑発行為を繰り返す相手だが、侵攻され万が一属国にでもなってしまったら大変なことになる。
憲法法律が相手国のものになり、今より自由のない世界が待っているだろう。

そりゃだめだ。
勤労の義務に反したら粛清される世の中なんてごめんだ。
そりゃ終わってる。
剪定事象にして世界ごと無かったことにしてもらうしかない。


さて、剪定なんて言葉を出したが、つい先日夢のような世界観のシナリオを体験してきた。
人呼んで「FGO」。
その断章と呼ぶべき奏章3。
実際これを体験するにはかなりストーリーを進める必要があるわけだが、1000年先の未来(現在と繋がるかは不明)を舞台とした世界に触れて充実感を味わった。

その一方でシナリオを読み進めていくにつれ、改めて「働くとは何か」を考えさせられた。

AIにとって代わることができるものはとことん代えてもらって結構。
生活のために働く、義務感で働く人を減らせるのなら大歓迎と思っている。

だが。その先に彼らが我々そのものに取って代わるというならまた話は変わってくる。
業務代行者が人類代行者になることへの恐れはなくもない。

「人間そのものを脅かすな」 

根底にある感情の払拭は難しい。


「働きたくない理由」
結局最後に考えなければならないのはこれである。
私の場合はこうだ。
労働に対する極端なネガティブイメージが魂の奥底に染み付いてしまったが故、他人と必要以上に関わることを拒絶したいため。

世の中に人と全く関わることのない仕事があるのだろうか。
おそらくない。
募集を見て応募、面接して採用から勤務。
これらの過程で人に会わないわけがない。

必要以上の他者との会話が自身のストレスの増大に起因しているという疑いを持ったのは社会人になってから。

ただの会話ですらしんどさを感じ始めたのは休職を経験する前後のこと。
慣れないことを成さねばならない。
会議の場で言葉が詰まって出てこない。
それが心を潰しかける要因になった。

折れる寸前のメモ書きは潰れていてもはや読めない。
いくらメモをしても意味がなかった。

そんな経験から他者との関わりを最低限としてきたわけだがそれを社会は良しとしない。

資格。昇進。他人との比較。
どうでもいいことに時間を割くことを強いる上からの目。
それは最低限の許容範囲を超えている。

もう放っておいてくれ。
奥底の叫びだ。

たにんはいらね、じかんをください。

人よりも時間。
自分のために時間を使う。
時は金なり。
限りある時間を大切に使う。
たまには先人も善い言葉を遺したものだ。
勤労に関する言葉のほとんどはナンセンスだが。

人間五十年。
100歳まで生きられる現代というが実際はその半数を生かされているに過ぎない。
フガフガ言ってものを考えられない頭で小説を書けるわけがない。
そんな状態で生きたいとは思わないし、なおさら今できることを精一杯やれるように時間を使いたい。

定年の引き上げなんて馬鹿なことやるんじゃない。
必要なのは働きたい人だけが働けばいい世の中をつくることだけなんだ。

以上、なぐり書きにて。

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