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【ふーみん】雑記的自己紹介_022 コーダについて

こんにちは。
日中はまだ日差しが強いですが、朝晩はだいぶ涼しくなりました。
だんだんと秋を感じる気候になってきましたね。
リワーク・カラフル内にもクリエイターが増えてきて、久しぶりの投稿のような感じがしています。

今回は「コーダ《CODA/Children of Deaf Adult(s)》」について書いてみたいと思います。聴こえない親から生まれた、聴こえる子を指した言葉です。
今年たまたま、コーダを題材とした映画「コーダ あいのうた」「私だけ聴こえる」という2本を鑑賞したこともあり、『自分はどうなのだろう』と考える機会になりました。

私はコーダです。
両親ともに聴覚障害を持っており、自分は健常者として生まれました。
幼少から、親や周囲から通訳の役割を期待されました。
先生をはじめ、周囲の大人からは「立派だ」と褒められていた記憶があります。

当時は当たり前のことだと思っていました。
しかし自分のやりたいことや都合よりも家族優先になりやすく、さらに通訳の役割をすると友達や遊びとは距離ができてしまいます。人前だと浮いてしまい、緊張が強いです。親戚の家を訪れる際に、子どもみんなが「ゲームしよう」「遊びに行こう」と盛り上がる中、「あなたは通訳してね」と大人たちに頼まれて遊びの輪に加われなかったことを覚えています。

また学校生活などでは親から離れ、手話を使う必要が無くなります。手話を普段使いしない生活になり、親とのコミュニケーションがうまく取れませんでした。きちんと手話を勉強しておけば、また違ったのかもしれません。

親とは基本的には口の動きや身振り手振りでコミュニケーションをとってきました。逆に向こうの手話は早すぎて意味が分からなかったりします。大事な場面では筆談を使いましたが、「説明が難しい」「意味が分からない」と意思疎通に困る場面も多々ありました。

結局ろうのコミュニティには入れず、近所との繋がりなど健常者との繋がりも少なく、聾者と健常者との境界に落っこちたような状態でした。
友人ができても自分のことを表現できなかったり、『自分を理解してもらうことはできない』と思ったりしていました。

そういった経緯で、自分の悩み事を相談したり、人を頼ることができませんでした。
そういう発想がまず無く、自分の後ろを支えてくれるものは何もないという感覚でした。ただ周りは誰も悪くない、人や環境を責めるのは違う。悪いのは期待に応えられない自分、と感じていました。

そうして自分を抑えているうちに、自分の好きなことやしたいことは分からなくなり、進路など重要な問題に対しても、逃避や回避行動を繰り返していました。憂うつさは晴れず、抵抗するエネルギーも湧かず。周りの大人からは「失敗を恐れるな」「立ち止まらず、思い切ってやってみよう」と励まされていましたが、応えることはできませんでした。

……と、こういう話をするのも、なんだか『親を盾にして自分を正当化している』ような気持になり、抵抗感や罪悪感を感じますね。

映画に出てきたコーダの子たちは、自分より自己表現をずっと多くしていたように感じられました。また、親に対する愛情も非常に強く感じました。
今、自分がこれからどうしていくかを考える中で、自分と、親と、周囲の人たちと、どういう向き合い方をしていくのかを考える時期に来ているのかなと思います。

自分の思っていることを表現すること。
勇気は必要ですが、周囲の人たちの支えを受けて、これから少しづつチャレンジしてみたいなと思っています。

瀬女で撮ったアサギマダラ。
この小ささでとても遠くまで飛んでいくのはすごいですね。
日が落ちる時間も早くなりましたね。
ぐっと寒くなっていきそうです。身体には気を付けましょう。