連合赤軍のかわいい女

連合赤軍に参加していたなかで、一番のモテといえば、全体の死者で13番目に殺されてしまった女性、大槻節子である。
大槻は横国大学出身、永田洋子をトップとする日本共産党左派神奈川県委員会に所属し、もともとは合法部で、山に入る際にも機関紙の編集の位置付けだったが、流れのままに軍の構成員となる。
当初は森も大槻の能力や熱意を評価していたが、そのうち森・永田の総括対象となり、縛られ、軒下に吊し上げられる。唯一、殴られることはなく死亡。総括対象となった理由として、裁判や証言などでも、美人で頭が良くてモテた大槻に対する永田の「嫉妬」が原因だったと語られることが多い。もちろん永田本人は否定しているが。

ちなみに山本直樹の『レッド』では、登場人物でほぼ唯一、死ぬ前に大槻の内的独白が描かれている。実際の関係者からも、「事実を無視した創作が持ち込まれていない」(レッドの後書き 植垣)と評価されている本作だが、死ぬ前の内的独白はフィクション以外ではあり得ない。また、永田が「彼女(大槻)の死顔は、安らかなものではなかった。」と述懐している(下巻p339)が、レッドでの大槻の死顔は他の死亡者と比べては穏やかな表情で描かれている。
これは明確に、「かわいい女としての大槻」の方向性をもった、山本直樹の創作といえる。

こうした独白自体は作中で本当に異例。(あったとしても、それは生き残った人の、この時こう感じた、という証言に基づいている)


明らかに「綺麗な死に顔」で描かれている。後ろの女性が永田(作中では赤城)。驚いているような見下しているようなびびっているような表情が絶妙だと思う。総括要求はあくまで援助で、総括の結果死ぬのは敗北死であるため、永田らに殺したという意識はない、らしい。

『レッド』で、大槻はあきらかに「かわいい女性」として、特権化された形で描かれている。そこには常に、永田とは違って、という前提があるだろう。レッドでは登場人物に山の名前を偽名として当てはめているが、永田が赤城(赤の城)で、大槻は白根(白い根)である。
赤と白の単純なイメージの違いが意識されていたと思う。
東浩紀も、こんな感じで永田-大槻の対立軸を語っている。

東 大槻はリンチで殺されるのですが、恋多き女性でした。死後出版された手記『優しさをください』には、いかにも少女趣味的なポエムが並んでいる。「誰かを愛したいのです。たった一度、過去にあったように、もっと深く、もっとひたむきに、もっと真摯に、もっと全的に、やさしく、厳しく、熱く――」といった感じです。
さやわか 高野悦子『二十歳の原点』のような感傷的な文章ですね。
東 まさに少女マンガなんです。だから、大槻を典型的な「かわいい」感性の女性だというのはわかる。彼女は六九年の羽田闘争事件で、恋人の関与を警察に自供してしまう。『優しさをください』に、自供の背景に警官への恋慕があったことが記されています。のちには革命左派の向山茂徳の恋人になりますが、彼の処刑のきっかけもつくってしまう。とにかく恋愛に振り回されているという印象で、その是非はともかく、若い健康的な女性という感じはする。
 けれどもそれは永田とはまったくちがうんです。永田の文章では、女性性や身近な恋愛の問題がまったくリアリティをもっていない。」

https://www.genron-alpha.com/gb047_01/

こうした「異質な永田」/「典型的なかわいい(感性の)大槻」という東浩紀の整理は、レッドでの描き方を継承している。
けれど、私は『優しさをください』を読んでも、ああ、「典型的なかわいい女の感性だ」とは到底思えなかった。『レッド』で描かれる、可愛い、こざっぱりとした愛されガールの大槻がこの文章を書いていた、とは思えない。

『優しさをください』のもとなるノートを渡すシーン。レッドの初期で、あまり「かわいさ」は出ていないが

この1コマ目、2コマ目に限りなく近い段階で書かれた一節。(入山直前の部分)


これ、本当に「かわいい感性」「まさに少女マンガ」なのだろうか。
というかかわいい感性ってなんだ?感性がかわいかったことなんて人類史上あるのか?これはもちろん、「何かをかわいいと感じる感性」とは違う。


確かに、唐突に自分への問いかけが挟み込まれるなど、「高野悦子的な雰囲気」は感じる。しかしやはり圧倒的に高野の方が読みやすい。大槻の文章は、 抽象的な問いかけや混乱した心理の記述がほとんどで、状況説明がほとんど出てこない。
大槻の文章は、死後、いわば私記を勝手に出版されたから読みにくいんちゃうか、確かにそれも理由の一つかもしれない、対外的に状況を整理して書くためならばそれなりにわかりやすい文章も書けただろう。
しかし、「普通のかわいい感性の、若い健康的な女性」たちが、

「彼の薄汚れた、あるいは人工的に浄化された‘’鮮血”の流出を断じて許すな!流出した血の海に、奔流に浸って彼が歓喜するその狂気を許すな!」

優しさをくださいp184

こんな文章を日記に書いていたのか?本当に?

しかし、それでも、といって良いのか、大槻は実際にモテてきた。
まず高校生の時点で、世界史の教員から唯物史観を教えられ、さらに求婚されている。なんか、これだけでさまざまな気持ち悪さが想像されてしまう。

そして、活動初期の段階で、同じく神奈川県左派の渡辺正則と交際している。渡辺は銃を奪うために交番を襲撃し、その際に逮捕されている。その後、渡辺が収監中に、同じく神奈川県左派の向山茂徳と交際関係になる。「先述の奔流に浸って彼が歓喜するその狂気」の彼とは向山のことだ。そして向山を殺す上で重要な役割を担ってから、連合赤軍が結成され、赤軍側の植垣康弘と恋愛関係となったまま、総括によって死を迎える。

渡辺のキャラクターはまだうまく調べられていない。
向山は、文学志向を持ち、ややロマンチストで「テロリストとしては闘えても、継続的に山岳ゲリラとしては難しい」という理由で、山から脱走する。そして大槻が脱走後の向山や向山の元彼女に接触し、私服警官と飲んだこと、山岳についての小説を執筆していることが発覚。そして山に戻った大槻が「向山をやるべきだ」と永田に進言したとされている。ちなみにこの時「最後ということ」で向山と寝ていたが、その報告はしていなかったことをのちに告白する。「そんなやつと寝るなんて何事だ」と永田の怒りを買い、大槻の総括の決定的な理由になる。
植垣は「女にモテすぎる」と永田からも言われており、大槻の前に恋人がいた。著作からもなんとなく、お調子者で好かれそうな雰囲気が出ている。

また、これら渡辺、向山、植垣は、大槻も好意を持っており、恋愛として成立しているが、かわいい大槻は、まったく自分が関心のない男からも、被害的にモテている。

大槻が死亡する直前、連合赤軍は2人の男性を「処刑」している。これは、総括を求めたら意図せず死んじゃった、という形とは違う、もう共産主義化の見込みすらない裏切り者として殺されるのだが、なんと2人とも、大槻をこっそり狙っていた、という自白がされてしまう。

寺岡(安達)に夢想される大槻(白根)


二号に組み込まれている大槻(白根)

このときすでに大槻(白根)も総括を求められており、また、永田は男から痴漢行為を働いたとしても、そんな隙を見せる女も悪い、という理由でブチギレていた前科もあるので、罪を追求されている男2人から名前を出されたことは、まぁ控え目にいってかなり最悪だ。大槻がクワッと怒るのもやむを得ない。

また、そもそも連合赤軍の風土として、かわいい女、弁が立つ女は、それだけで森・永田から嫌悪される対象だった。総括は赤軍派唯一の女性だった遠山美枝子の化粧、指輪を神奈川県左派のトップ永田が問題視したことに始まる。
大槻自身も、過去の恋愛において、自分は「かわいい女でしかなかった」と自己批判を繰り返している。

大槻は、「かわいい女である自分」を否認したがっていた。世界史の教員からの求婚も「ただの妻」扱いされたので断っている。
これはとても大切だと思う。だからこその、先の2コマでの怒りがある。しかし、永田(と森)はそれを一切認めない。


最初の女性が永田(赤城)、三コマ目の男性が植垣(岩木)、大山が渡辺を指している。

先ほどの処刑から少し前のことだが、永田の要求している「動作や仕草など何でも男に気に入られるようにやってしまっていることを総括しなきゃダメ」というのは、もうはっきり意味がわからない。

総括は反省や自己批判ではなく、行動が求められるので、要するに、永田は大槻に対し、「今後モテるな」と言っているのだ。でも、永田自身が「可愛すぎる」と言っているくらいなので、永田でもわかるくらい、かわいいことはやっぱりかわいいのだろう。

大槻からすれば、自分は決してモテたいわけではない、と言いたいはずだ。かわいい女(=プチブル)としてだけは受け取られたくなかった。かわいい女から革命戦士になりたかった。だからがんばった。
しかし同士から「かわいい女」として総括を受け、引き続き、みんなで多くの同士を殺しながらもモテていた。そしてモテるという理由であっけなく死んだ。そして50年後も、単にかわいい感じ、で受け取られてしまう。


連合赤軍事件は、基本的に内ゲバ、同志間の殺人事件なので、加害者/被害者の構図が単純には描けない。13番目に死んだ、ということは、かわいい大槻も、それまでの総括や処刑に積極的/消極的のグラデーションはあるなかで関わっていた、ということである。

関係者で無罪とされたのは当時乳児だった人だけで、残る人はすべての人が、永田洋子、坂口弘の神奈川県左派のトップに下された死刑(日本赤軍派トップの森恒夫は判決前に自殺したが、まず死刑だろう)から懲役数年まで、司法がその積極性のグラデーションを判断している。もし、12番目までの死者が出た時点で組織が崩壊していたら、大槻も逮捕され、グラデーションのどこかに位置付けられていた。
「大槻節子さんは、革命左派の女性のなかでは最も活発で男性に負けない程の活動力があった。一度も弱音を吐いたことはなかった。しかも、暴力的総括要求にも率先して行動していた。」(下巻p337)と永田はさりげなく大槻の責任が大きかったアピールをしている。

司法がどう判断したかにも興味はあるが、それより大槻(や同じく神奈川県左派で、永田の「嫉妬」により殺されたという金子みちよ)が、どのように連合赤軍を語ったかは、とても重要だと感じる。また、ほんの少しのタイミングの違いで、あさま山荘にも彼女たちがいたはずだった。

それでもなお、連綿と「殺されたかわいい女性」としての大槻が再生産されつづけていく。

私の知る限り、一般的に連合赤軍を積極的に語る女性は本当に少ない。少なくとも私は飲みの席や学校、職場で「そういえば連合赤軍ってさ」と言い出す人に遭遇したことはない。男性もだけど。
連合赤軍について語られる場所である『情況 2022年冬号 連合赤軍半世紀後の総括』や『抵抗と絶望の狭間 1971年から連合赤軍へ』(鹿砦社)は、例によって重信房子だけが女性として登場し、『連合赤軍 革命のおわり革命のはじまり』(月曜社)では、水越真紀だけがフェミニズムとの交差の萌芽、また「革命を志す男たち」への冷ややかな視線を投げかけている。実際、編者の鈴木創士も「多くの女性の書き手に登場願いたかったが、(水越以外に)それが敵わなかったことは残念であり、こちらの非力をお詫びしたい」と残念がっている。
これが、依頼したのに断られたのか、依頼するべき人が見つけられなかったのか、どの段階での頓挫かはわからないが、大槻や金子が存命であれば、著者候補の筆頭であったことは間違いない。
もし女性が生きていれば、という想像力は桐野夏生は担っているし、おそらく事件に関して最も重要そうな考察『死へのイデオロギー』はアメリカ人女性、パトリシア・スタインホフによって書かれている。

しかし、大槻や金子のような当事者の女性の言葉、資料は致命的に少ない。加害/被害関係の複雑さは、そこに携わる男性/女性の結果論的な生き残りにも影響している。
生き残った男性たちは複数の角度から言葉を尽くしているが、事件について言葉を尽くして語った当事者の女性は、圧倒的な加害者として位置付けられる永田洋子だけである。
女性であることによって殊更、嫉妬深い、陰湿のレッテルを貼られた永田洋子に対して、70年代の著名なフェミニスト田中美津は「永田洋子は私だ」と連帯を図った。瀬戸内寂聴も可能な限りこの上ない同情を示した。しかし「大槻節子(金子みちよ)は私だ」という語りは奪われている。
永田洋子の最大の罪は、連合赤軍についての女性の語り、つまり総括を自身が独占化したことにあるかもしれない。連合赤軍を本当の意味で総括できる女性は自分だけだ、という驕りが永田洋子にわずかでもあったとすれば。

加害者と被害者の二項対立の隙間で、死んだ女はずっとかわいいだけ。


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