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「独り」語りの系譜② tatazumi

「雰囲気」の演劇へ

 近年の演劇の動向について、平田オリザさんの『演劇入門』を参考にしつつ話したいと思います。かつての演劇は、それぞれの個性ある人物を役者が演じて、その内面を中心に物語を描き出したり、物語の中で人物の個性を表現することを目指していました。対して今日では、役者(人物)や観客らの間に醸成される関係性それ自体を描く方が誠実で現実的なのではないか、という動きが持ちあがってきているようです。
 それは、人間は個性をもち主体的に行動するものだ、という近代的な理念に対する反発からきているように思われます。実際の所ぼくらはそんなに個性的に主体的に出来事にこの身を投げかけることが出来てはいないのです。
 そうなってくると、演劇がリアリティを持つ仕方も変わってきます。たとえば、内面を表出しようとして、大きく声を張り上げて伝えるようなのは、不自然に思われ始めるでしょう。ぼくらが普段の会話で行う発話は、ぼそぼそしてたり、投げやりで相手に届ける気がなかったり、そういう言葉の方が多いのではないでしょうか。
 それから、会話が同時に行われていけない理由もなくなります。昔なら、声がかぶさって何を話しているかわかり辛くなるし、人物たちの心情をくみ取ることの邪魔にもなってしまうから、こんな演出はけっして許されなかったでしょう。しかし、現実の関係性においては会話は多発するものだし、多発する会話の充満する空間でどの話を聞くのか選び取るうちに、観客もそこにある関係性に自然と加わってゆくことになる。
 こうした動きを、「個」の演劇から「関係性」の演劇へ、という動きとして位置付けることができます。関係性というと分かり辛ければ「雰囲気」の演劇へ、といってみてもよいでしょう。そしてそのことは芝居にとどまらず、場の流動的な雰囲気や関係性こそが存在して、そこに身を置く僕ら自体は、あやふやで、あいまいで、つかみどころがないように感じられてならない、この現代の生活の姿に対応するものとしてあるはずです。

「独り」語りの孤独はどこに届くのか

 ところで、そのように「個」を前提にすることが出来ず、「雰囲気」の方が尊重されて、それぞれの内面や声が聞き手に届かないとなると、その芝居がどれだけぼくらの現代的状況に忠実で誠実であっても、やはり寂しくなるものではないでしょうか。
 輪郭がはっきりしていて主体的に行動できる「個人」が実際に存在しなくても、実のところぼくらは自分に個性がほしいのだし、ある程度は自分で決めたつもりでいろんなことをするのだし、そういう風に個性や主体性をめがけて格闘する僕らの気分の中で、ぼくらに独特のかけがえのない表情や声がなんだかんだで与えられちゃったりしてもいるという、そのことは無視できない。
 だとしたら実は、「個性」が存在しないのではなくて、それぞれの人が抱え持つかけがえのない表情や声に光を当てる場所、その声を聴いてくれる場所が、存在しなくなってしまっているのかもしれない。

 ここ数年のうちに、モノローグ(「独り」語り)をその肝とする芝居が存在感を高めています。それは、「雰囲気」に希釈されてしまったぼくらの「個声」を、もう一度どこかに届けるための試みとして立ち上がってきた動きであるように思います。
 今回のtatazumiの芝居は、明確に「関係性」の演劇のフォーマットに則りながら、それに抗する独り語りの戦いを描き出していたのが特徴的でした。
 星空を見ようという名目で集まった大学生の男女。その多くは初対面のようで、なかなか会話は弾まず、場を支配するのは重い雰囲気。お目当ての星も曇り空で見えることはなさそう。みんな伏し目がちで、せっかくキャンプに集まったのになぜかうまく交わることはできていない。
 誰もが一度は経験しただろうそんな関係性に覆われた場所で、独り語りの孤独はどのようにして届くのか? そのような、連帯をめがけた戦いの物語として、芝居の筋を追ってみたく思います。

「独り」から「雰囲気」へ

 舞台はモノローグから始まります。が、少し様子がおかしい。
 劇場は三鷹のSCOOLで、ここは客席と舞台の間に段差のような境界のない個室です。こうした場所が劇場に選択されるようになったのも、客席と関係をとり結ぶことを主眼とする「関係性」の時代の演劇の特徴でしょう。
 役者はその両端の壁ーーそこはキャンプ場の中とも外ともつかないきわめて曖昧な場所としてあるのでしょうーーに背をつけて語り出すのです。視線の方向は客席に平行で、まるでこちらに語りかけているようには思われないし、かといって向かいの壁の役者に呼びかけているようでもない。ただの一人語りではなく、誰にも届かない「独り」語りから、この芝居は出発したわけです。
 この芝居が一筋縄じゃいかないのは、その「独り」語りが様々な形を取るところです。一番最初の発話はキャンプ場をふらふら歩く女性のモノローグ。いつ、どうして、どういう風にモノローグが為されているのかが、とても曖昧でよくわからない。
 白眉は先ほどまでキャンプ場の壁に背持たれていた女性が、急にモノローグを始める箇所。背もたれる壁の意味がその瞬間まるで変わってしまって、先ほどまで実体的なものとしてキャンプ場にあった身体が、幽体離脱したかのようにどこにいるのかわからない存在に転ずる。この語りは小説で言えば地の文に相当するのだろうけど、語りが身を置く場所や時間は随分あやふやな形を取るので、そのあやふやさや曖昧さの中で、人物はそこで幽霊になってしまったかのようです。

 ピアノ楽器を使った即興的な生演奏の音楽が彩りを添えていたのが、この芝居のもう一つ重要な特徴としてありました。しかもその音楽は単に話に彩りを与えるにとどまりません。ここでは場の「雰囲気」が主役なので、音楽はそれ自体また主役として舞台に参加していたのです。
 途中、音楽がメロディアスなピアノから、事前に録音してあったのだろうビートの刻みに移るシーンがありました。モノローグはそこで加速し、場のほぼ全員がはげしく行ったり来たりして、先行きの見えない不安や、うまくその場に自分を馴染ませることができないもどかしさを口にし出します。そしてその歩き回る運動性の中で、語りはリズムに乗りはじめます。やがては複数人が同時に同じリズムで同じ内容の語りを口にし出したりもするのです。
 この場面にこそ、この芝居の独創的な点があります。幽霊のような存在へと揮発した個人が、ビートの産出する一定の雰囲気の中で、集合的な存在になってゆく。そのようにして、図られていく連帯。その関係性を通じて、逆説的に個の声が広がり、まとまり、どこかへ届けられてゆく。
 それから終盤には、おそらくは太宰の小説に描かれた大戦中の記述が、作品世界を待ち受けている暗い未来を暗示するかのような仕方で語られるのですが、聞き手にはそれが太宰の言葉か、遠い未来の作中人物の回想か、判然としない。
 フィクションの垣根や時制を超えてひとつに溶け合い、人々に共有されてゆく、普遍化されてゆく言葉。
 この芝居は個人の伝わらない独り語りから始まった、と先ほど話しました。この芝居は、そんな語りが、どうにかして、他者と繋がり、届けられてゆくためのプロセスとして見つめることができそうです。個が個のままではもうその声は届かないのかもしれないから、誰かと繋がるには、僕らはもう幽霊になるしかない、のかも、しれない。

 ところで作中では、国民投票に対する無力感が繰り返し問題にされます。その問題意識は、国をはじめとする集団にうまく帰属できない、人とうまく関係をとり結ぶことのできないぼくらの孤独と密接に結びついていたでしょう。
 だからこそ、個人の声は単にどこか世界の片隅のような小さな狭い場所に届くだけでは足りない。その声をもっと大きな連帯へともたらしたいという欲望があって、その欲望が潜在的にこの演劇を突き動かしていたのではないでしょうか。だからモノローグは、場の雰囲気の中にあえて揮発してゆく。

たたずむ「独り」語り

 けれど語りはビートの中で、完全にリズムに乗り切ることはなく、完全に重なり切ることもない。そこに僕は作り手の誠意を感じました。
 作中に描かれる人物はそれぞれの形でどこかへ動き出すし、今度話を聞いてくださいと人に対話を呼びかける場面や、モノローグに別の人物の応答が返る場面も終盤には見られて、それなりに感動的な印象を与えてくれるのだけれど、気怠げな寂しい雰囲気は最後までキャンプ場を去ることはなく、星空もはっきりと見えることは最後までないのです。
 実のところ、ビートに乗ることで得られる誰かとのつながりというのは、ライブ会場などへ赴けば自然に手に入る性質のものです。はたしてそうして得られる連帯が、この芝居の創作に至らしめただけの孤独や諦念を、そうやすやすと解決してくれるものでしょうか?音楽は確かに人をつなげ、自由にしてくれるけれども、それは結局すぐに鳴り止んでしまう刹那的な存在に過ぎないように思われます。

 やはり僕らのどこかには、幽霊みたいな居場所のない不確かな存在としてではなく、輪郭のはっきりした個性ある実体として誰かと繋がりたい気持ちが強くあるのではないでしょうか?
 最後に一箇所だけ、戯曲中から印象的な台詞を引用したいと思います。

「誰かをその誰かのままに、その人の世界を傷つけることもなく、それでも一緒にいられないだろうかと、私は、今も迷っている。多分、これからも。」

 傷つけることなく、そのままの誰かと共に居続けるというのは、甘い絵空事のように響く面もあるでしょう。しかしそれもこれまで見てきたような、実体を持った個人としてお互いに交わろうというこだわりを思い出してみるなら、むしろ他者と関わるための真剣な誠意の表れと捉えることができます。
 だから、物語は簡単な着地を迎えない。太宰の語りとのオーバーラップや、モノローグの方法の操作、音楽の駆使、そうした全ての努力を経てもなお、tatazumiはこの憧れに決着をつけない。
 平田オリザさんの「関係性」の演劇の手法と小田尚稔さんに見られる「独り」語りが同居した『明けないよるがあったとして』というこの奇妙な作品。小田さんの『是でいいのだ』が春に上演されたのと同じSCOOLというこの舞台で、その孤独な語りは「個」と「雰囲気」とを往還し続けて、誰かと確かな関係性をとり結ぶために たたずみ 続ける。

 最後に僕個人のごく主観的な感想を述べたいと思います。芝居が上演された SCOOLというスペースの天井には、どういう材質かはよくわからないのだけれど、スパンコールのような微かな輝きを抱えた素材の箇所が散り散りにあって。明けない夜のキャンプ場の曇り空にも、僕はどうしても星空の輝きが見えるように思いたくてなりませんでした。

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