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あなたを迎えたその日。

※ご飯中には適さない言葉が出てきます。ご飯時を避けてお読みください。

2024年4月4日。足元が見えなくらい大きくなったお腹の中で、予定日を2日過ぎても元気よく赤ちゃんがモゾモゾしていた日のこと。

早生まれの旦那は「4月1日に産まれたらどうしよう、俺の子ならあり得る」と不安がっていたけれど、その心配は運良く外れ。「いつ産まれるんだろうね」と言いながら、いつも通り二人で夜な夜なゲームを遊び、いつも通り日記を書いて寝て、いつも通りの朝を迎える。


と思っていたら、この日の朝はちょっとした違和感を感じた。


朝起きてトイレに行くと、茶黒いおりものがちょろんと付いていた。1ヶ月前にも同じようなことがあったので、特に驚きはしなかったけれど、今日はやけに頻尿……30分に1度はトイレに行きたくなってしょうがない。

お腹の大きな私を心配して、車で1時間半ほど離れた場所に住む母が、車をかっ飛ばして朝9時過ぎに私のお家に来てくれた。この日は妊婦健診があったので、母がお家で一息ついた後、母の車で家から30分程の距離にある産婦人科へ。

お腹の中の赤ちゃんの元気の良さがあまり変わっていなかったので、「また来週もどうせ検査しに来るんだろうなぁ」なんて思っていた。

そしたら、内診で「子宮口1.5 cm、子宮頸管 0.9 cm」と診断され、「今日の夜に陣痛くるかも?来なくても明日朝イチで入院しよう」と言われる。

先生からサラッと言われたので、ふむふむと顔色を変えずに聞いていたんだけど、心のなかでは「え、あ、今日くるんです!?え、突然すぎません!?!?」とプチパニックであった。

その心を見透かしてか「入院したら点滴を打って陣痛来るようにしましょう。こちらでサポートをするから、大丈夫ですよ」と言われ、”サポート”という表現に、なんだか安心感を覚える。

そして、最後に「立ち会い出産同意書」と書かれた1枚のA4用紙を渡され、

「今月から立ち会い出産を再開したんです。今日いきなり言われてもって思うだろうけど、旦那さんと相談してみてください」

「あ、え、なるほど……!?!?!?ちょっと相談させてください!?」

この展開には驚いた。さすがに動揺が顔と声に出てしまう。陣痛が今日来るかもしれないことよりも衝撃だった。

というのも、コロナウイルスの流行を鑑みて、この産院では立ち会い出産をこれまで中止していた。私が初めてこの産院を訪ね、お腹に生命が宿ったことを知った日から、既に中止されていた。私も旦那も立ち会い出産はしないつもりで、この日を迎えたので、今日陣痛が来るかもしれないことよりも、衝撃が大きかった。

案の定、お昼休み中の旦那に電話で伝えたら、私が想像した通り、「ちょっと考えさせて、いや、この展開は予想外……立ち会いしないつもりでいたから」とアワアワしていた。


動揺する旦那をよそに「今のうちに食べたいものを食べておこう」と思った私は、母にお願いして、ハンバーグ屋さんやスターバックスに連れて行ってもらい、思う存分食べ飲みした。

ハンバーグ定食を食べた後に、シナモンロールを注文する私を見て、「え、そんなに食べるの!?さっき食べたばっかじゃない」と驚く母。今日の食事が最後の晩餐と思ってしまうくらい、なんだか気合が入ってしまった。


家に帰って、2時過ぎ。notionに今日の日記を書いたり、母とテレビを見たりしながら過ごしていた。

「いつ陣痛来るんだろうなぁ、今日は来ないんじゃないかなー」

と思った矢先。


16時頃、右足の付け根部分がピキーン。思わず足がつりそうになる。

そして、16時30分頃。下腹部がすこーし痛くなるも、すぐ治る。あまりにもすぐ治まるので「前駆陣痛かな?」と思い、試しにBabyプラス(アプリ)の陣痛カウンターを使い始める。

もしもの時に病院にすぐ行けるようにと、事前に用意していた入院バッグに財布や母子手帳など必需品を詰めていたら、お股にちょろちょろ……。どうやら尿もれ(少量)お腹に力をいれると出ると聞いたことがあったけど、まさか本当に出るとは思わず、ちょっぴり落ち込んだ。

17時30分、トイレに行くと透明なおりものに鮮血が混じっている。その後のトイレでも、ペーパーに赤い色がごく少量付着するように。

この頃、10分間隔で下腹部が痛い。便秘で1週間くらい溜めたうんちを出す時の腹痛みたいな感じ。けれど、万年便秘体質でそんなことはザラであった私にとっては、我慢できる程度の痛みだった。それでも、便秘のときとは違い、お腹の奥のほうが痛くなる感じで、四つん這いで痛みを逃すことが多かった。隣で母が心配そうに声をかけてくれた。


17時50分頃、仕事終わりの旦那から「唐揚げ粉、買って帰る場合じゃない?」との電話。

もし明日入院するなら、最後の晩餐のごとく、旦那特製からあげを振る舞いたかったらしい(旦那のからあげは美味い)。「うーん、そんな場合じゃないねぇ」と思わず笑ってしまった。

夫婦で考えることは似ているようだ。


18時、旦那の帰宅とともに、産院に電話し、症状を伝える。「出血は産院での内診のせいで、今はまだ前駆陣痛の段階だと思う。5・6分間隔になったらもう一度連絡してね。体力勝負だから、陣痛カウンターやらずに、寝れる時に寝てね。本陣痛きたら痛くて寝るどころの騒ぎじゃないから」と言われ、様子を見ることに。

電話中、旦那と母が車に荷物を乗せて、もう出発できますよ状態で玄関で待機していたけれど、一旦落ち着く。私よりも2人の方がソワソワしていた。「食べれる時に食べて」と、母が小さなおにぎりと胡麻団子2個ずつをチンしてくれた。母、切り替え早し。

その横で、旦那が”立ち会い出産同意書”に署名……しようとするも、ペンを持ったまま30秒くらい停止していた。

「心の準備ができてねぇよ……」

そりゃそうだ。旦那は普段、何か重大なことに取り組もうとする際、あらゆる状況を想定し、メリットとデメリットを考えた上で決断する。”立ち会い出産”という人生で数回も経験できるかわからない出来事を前に、「旦那なりに覚悟して臨むんだな」という決意が、ペンを固く握る手から伝わってきた。

その姿を見た時は思わず笑っちゃったけど、今振り返ってみると、かっこいい姿だったなと誇らしく思う。


18時30分頃から、下腹部痛が鋭くなる。息を吐く時に「あー」とか「ふー」とか声を出さずにはいられない、我慢できない痛み。明らかに便秘で出せない時の痛みとは違った。

リビングでゴロゴロしていた私だったが、ダイニングの鏡の前に移動し寝転がった。フローリングの冷たさが心地良い。服が暑くて邪魔で煩わしくて。裸になりたい気持ち。裸になって分娩台に上がったら先生が困っていた、というエピソードをどこかで見て、「なんで裸??」と思ったが、服を全て脱ぎ捨てたい気持ち、今ならよく分かる。

腹痛が来た時には旦那が横に座って、私の手を握ってくれた。その手の温かさが、痛みをちょっぴり軽減してくれた気がする。母もいろいろやってくれようとしたけど、「何もしないで良いから、ごめんね」と伝える。リビングからそっと見守ってくれていた。ありがとう。


19時20分頃から、腹痛の間隔が5・6分間隔に。数秒で痛みの波が押し寄せてきて、1分くらいで痛みがピーク、そのあとじわじわーと逃げていく感じ。

事前にいろいろ詰め込んでも、痛みが来たら何もできないだろうなと思い、鼻から大きく息を吸って、口から細く長く息を吐く、という呼吸法だけは臨月に入った頃から練習していた。そして、こどもを2人産んだ友人から「陣痛中は、お母さんも苦しいけど、赤ちゃんは何倍も苦しいらしい」と聞いて、赤ちゃんに酸素をたくさん送らねば……と思ったことを思い出した。

ロングブレスを意識して、痛みを逃すこと、呼吸で酸素を取り込むことだけを考えた。ときどき、赤ちゃんに「頑張ろうね」と声かけする。


19時46分、再度連絡。18時の時と同じ人が出てくれた。腹痛の間隔と痛みが強くなってきてることを伝えると、声に苦悶の様子が出てたせいか、「声の様子が変わったねー」と言われる。「余裕がなくなってきました」と言うと、「来てみようか」と言われ、ついに産院に行くことに。「陣痛じゃなかったらすみません」と言える気遣いはあり。

近くでそっと見守ってくれていた母は帰路につき、私と旦那で病院に向かう。私は後部座席で横になるも、腹痛がすさまじくて、思わず座席のヘッドレストに捕まって耐えた。腹痛のピークが来た時に、両足をドアにかけて踏ん張る。

「誤ってドアを開けたり、窓ガラスを蹴飛ばしたりしたら、どうしよう……」

なぜか冷静な私。腹痛のピークがやってきて荒く息と声を吐く度に、旦那が「頑張れー、大丈夫!」と音頭をとってくれた。正直、ちょっとウルセェと思った。でも、後ろでハーハー痛そうにしてる人がいたら、気が気じゃなかったろうなぁと、今なら思える。


20時20分、病院着。旦那が安全に飛ばしてくれたのか、意外と早い到着だった。着いて早々腹痛が到来し、思わず玄関でしゃがんでしまった。電話対応してくれた方は助産師さんで、背中をさすってくれて心地よい。

腹痛が落ち着いた時に内診室に行き、子宮口を見てもらうと、半分開いてると言われた。どうやら腹痛は陣痛のようだ。赤ちゃんの頭も、下がりたそうにしているらしい。

陣痛室に行くため、浣腸してもらったら、その場で少し出てしまった……(絶対に出さないって決意していたのに……)。産褥パンツを履かせてもらった時、思わず「出そうです……」と伝える。

頑張ってトイレまで我慢するも、我慢のピークまで耐えれたのか怪しい段階で解放。しばらく頑張って出そうとトイレにこもる。陣痛も来ちゃってトイレから出られない。トイレで格闘していた頃、看護師さんが到着して、旦那と立ち会い出産の同意などを進めていたようだった。


いざ陣痛室へ。

痛みがますます激しくなる。助産師さんが吐く息に合わせて、背中のお尻上あたりの骨の近くをグーっと押してくれて、ちょっと楽になる。助産師さんの「最初の2回は深呼吸、ピークが来そうなら短く深呼吸だよー、ピーク過ぎたら力抜いてー。ゆっくーり大きく吸ってーながーく吐いてー」と言われて、その通りに。

「上手だよー!」と何度も褒めてくれた。助産師さんが電話の時からどんと構えてくれたので、私も冷静に対応できたように思う。痛みがきたら、小声で「痛い」と申告して、呼吸することだけに専念した。お腹の中の赤ちゃんに酸素を送ることだけ考えていたからか、陣痛中に「痛い!」と叫ぶことはなかった。

子宮口が柔らかいようで、だいぶ開いてきたらしい。「そろそろいきみたい?」と助産師さんに言われるが、自分ではよくわからない。背中を押していた助産師さんだったが、このあたりから肛門付近をぐーっと押してくれるように。そして、いつのまにか破水していたらしい。


立ち会い着を着た旦那が入場。助産師さんの教えの通り、背中を押してくれて心地よい。このあたりから、「いきみたいかも……肛門あたりからなんか出そう」と思い始める。痛みの間隔が狭まるし、痛さのピークもさらに強くて、ベッドの柵に両手をかけて死に物狂いでしがみつく。

この痛さは、何にも例えられない……。

来たるべく出産直後に写真を撮ってもらうため、スマホの画面のロックを解除するようお願いされた。うまくいかない、ロック解除の設定、したこと無いよ……パスコード……あぁぁあああ!!!3回くらい波が来る。その合間に解除方法をググって対応。我ながら、落ち着いていたなぁと思う。

9時過ぎだったか、正確な時間は覚えていないけど、「子宮口もうすぐ全開だね、このまま分娩室に行こうか」と言われる。陣痛が落ち着いた時に、分娩室まで移動しようとするものの、台まで10歩ほど歩くのも、台に乗るのも一苦労。助産師さんがいなかったら何もできない。

旦那、しばらく退場。


何度か呼吸で痛みを逃すも、うまく息を吸えていない感じ。「赤ちゃんが苦しいから、たくさん息吸ってー吐いてー」と何度も言われるので、その声かけに頑張って合わせる。

終始「うまいよー、上手だよー」と言われるが、赤ちゃんの酸素濃度が低下していたようで、酸素マスクをつけることに。「ガバガバやんけ!!」と思わず心の中でツッコミを入れてしまうほど、手で抑えないと顔にフィットしないマスク。

たまにそれほどでもない痛みがくるときがあって「赤ちゃんが旋回してるから」と言われた。赤ちゃんも出る準備をしているようだ。


「いきんでみようか」と言われる。いきみかたの説明を受けるも、1度目はうまくできずに、声が漏れ出る。「声出すともったいないよー」と言われ、2度目以降は意識。いきんだ後の深呼吸、特に息を吸うのが難しい。

5回程いきんだあたりで、コツが掴めたような気がする。

痛さの波が来始めた時に、大きく吸ってー吐いてーを2回やったら、その直後に息を大きく吸い込み、分娩台両脇にあるレバーを上に引き上げて、ヘソを見つめるように上半身を丸めて、背中が浮かないようにお尻の先を上に向ける感じ。

レバーを引き上げるのは、なんだかガンダムのパイロットになった気分でちょっと面白い(年明けからガンダムばかり観ていたせい)。と感じるくらいの、謎の冷静さはあった。

ヘソを見る時は目を見開いた。検診から帰ってきて「立ち会いするかもしれんから読んでみるか」と、雑誌の付録であった冊子に書いてあったから。パラパラ読むだけでも、意外と役立つらしい。


何回かいきんだ後に、「酸素濃度薄いから、先生呼ぼう」みたいな話に。

産院のすぐ隣に住んでいる先生が、颯爽と登場。看護師さんが導管で尿を取った時、ちょっと痛かった。先生が器具で股間をぐりぐりしてたけど、何をしてるのか気にならないくらい、とにかく呼吸をすることに必死。どうやら会陰切開をしつつ、赤ちゃんの吸引準備をしていたみたい。

それから何回かいきんでたら、何かが飛び出てきた感覚あり。「もしかしたら、赤ちゃん出始めてきた?」と感じ始める。「ちっちゃいうんちが出てきたのかな?」と思うくらいの感覚。

いきみかたが一度なぜかわからなくなり、「違うよー」と先生に言われるが、どうして良いかわからず、諦めた……。なぜか混乱した模様。その後はいきみ挽回し、何かブツが出てきた(産道がつまってる?)感覚が出てきた。


旦那、再入場。

先生が吸引器具を使い始めたが、その痛みが辛い。お股の入り口、はち切れるんじゃないかと思った。グリグリめちゃくちゃいてぇ。

旦那が「もうちょっとだよー」と言いながら、頭を少し撫でてくれた。ガバガバ酸素マスクを手で押さえてくれて、呼吸が楽になり、だいぶ助かった。

「いきむの上手だよー、もうすこしだよー」と先生や助産師さんに言われ、その言葉に励まされた。それでも吸引器具のゴリゴリは痛すぎる……。


このあたりから、何が起きて時間が経過したのか、正直覚えていない。


「もっと出始めてきた?」という感覚だけは覚えている。

一度「早く終わんねーかな」と思ったけど、「赤ちゃんが苦しそうかも」とすぐに我に帰り、深呼吸を意識。助産師さんから「酸素たくさん吸ってー」と言われたのも助かった。

いきむ時に、唾がぷぷーっと出ちゃうのが下手くそだなと思いながら、頑張っていきむ。一度緩めて再度息を吸ってまたいきむ。これを繰り返す。唾と「うっ」て声が思わず漏れる……。


お股ににゅるっとした感覚あり。

先生に「力抜いてー、はっはっはって息してみて」と言われる。

看護師さんが、おもむろに私の手を私の胸の辺りに置いた。

「急にどうしたんだろう」と思いながら、はっはっはっを3回。


にゅるんと赤ちゃんが出る。

ベイビー爆誕の瞬間。


吸引で頭が細長く伸びている、赤紫色の女の子の赤ちゃん。

嬉しいと言う気持ちというより、「うわぁー!」としか言えない気持ち。


出てきてから10秒経ってないかくらいで、泣き声が聞こえる。

「赤ちゃん無事でよかった。。」という安堵の気持ち。


酸素をうまく届けられなくて、心配な気持ちが無意識に強かったんだと思う。助産師さんたちが、奥の方で赤ちゃんの処置。

先生が「おめでとうございます」と言ってくれて、「あー、赤ちゃんはひと段落したんだな」とやっと思えた。

旦那は横でほっとした表情。「よく頑張ったねー、えらいぞー、かわいいねー」ってずっと言ってた気がする。


私は半ば放心状態。

その間、先生が胎盤摘出やら処置をしてくれていた。


私達夫婦、実はこのとき運命の時を迎えていた。

産まれる前に赤ちゃんの名前の候補を2つに絞っていた。どうしても決めることができず、産まれた時の顔を見て、名前を決めることに。

「……もし、顔を見た2人が、別々の名前を選んだら、どうなるん?」


「この顔は⚫️⚫️っぽいなー」と旦那。

「そうか??◯◯っぽくね?」と心の中の私。


あーどうやって決めよう……(笑)。
心のなかで思わず笑ってしまう私であった。


しばらくすると、赤ちゃんの体重測定。

旦那が「3194gかなー」と予想するも、数値は3114g。
意外と惜しい。なぜか変なところで言い当ててくる旦那である。


看護師さんが洋服とおくるみに包んだ赤ちゃんを、右腕の近くに置いてくれて、写真を連写して撮ってくれた。その間の私はなんだか放心状態で、カメラを目でぼんやり追っていた。写真を撮られていることは目で視認しているのに、頭では認識できていない、そんな不思議体験だった。

間近で見た赤ちゃんは、めちゃくちゃかわいかった。

髪の毛はフサフサで、爪もだいぶ伸びていた。おめめは切れ長のようだけど、くりくりそう。とにかく小さくてかわいい。


「お寿司食えるぞ!」と私を励ましながら、旦那は一旦退場し、新生児室に向かう赤ちゃんのもとへ。看護師さんに「面白い旦那さんですね」と言われる。なぜか、いつもそういう評価をされる旦那である。


旦那の職業について先生に聞かれたり、「産婦人科は休みなくて大変ですよね」なんて話を先生としていた。

おしりの皮膚がチクチク痛くて、思わず「痛い!」と言ったら、どうやら会陰縫合をしてもらっていたらしい。痛み止めを打ってもらって、しばらくチクチク縫合してもらう。「この生活に慣れてるし、日中の診察が慣らしで、夜が本番。昭和の人間だから!笑」と自虐する先生。先生の愚痴が聞けて面白かった。


無事に縫合終了。陣痛室に戻される。23時位?

30分ほど旦那とおしゃべり。

「いきむときに、ヘソを見る目が決まってた」らしい。「痛くて辛そうって最初は思ってたけど、そんな姿を見ていたら、Reve-chan(私)は闘ってるんだな」と感じたらしく、「かっこよかったよ、勇ましかった」と言われた。

うちの旦那らしい表現だと思った(笑)。


不思議なのが、あれだけ頑張って産んだのに、いまいち実感が湧いていないということ。すんごいふわっとした気分に包まれていた。

帰る旦那の足音を聞きながら、その不思議な感覚に身を委ねる。

しばらく天井を見上げ、今日の出来事を噛み締めた。




どうやら6時間も満たない時間での分娩だったらしい。「気が早いけど、2人目のときは注意しないとね」と助産師さんの間で話題になっていたそうだ。

私自身も、旦那も、ドタバタ展開で過ごした1日だった。それでも、娘が誕生した瞬間は、今も鮮明に覚えている。「尊い」という言葉がぴったりくるような、そんな時間だった。

実は、以上の記録は、出産後6時間以内に書きあげたメモを清書したものである。アドレナリンが出まくって寝れなかったのもあったが、よくもこんな詳細なメモを残せたな、と今の自分が見ても思う。

ちなみに、娘の名前は、旦那が声にした方に決まった。産まれてから数日経った顔を見た時に、「たしかに⚫️⚫️だわ」と私が思えたのが良かった。

両腕に小さく収まるくらいでギャーギャー一生懸命泣いていた娘は、3ヶ月経った今、倍の体重となり両腕からはみ出すくらいになった。笑ったり、困ったり、甘えたり。いろんな意味で私を困らせてしまう、いろんな表情をするようになった。

お腹にいた時も愛おしかったけれど、別室でスヤァと両腕をバンザイしながら眠る我が子の愛おしさは格別である。

何度、このnoteを書く手を止めて、見入ってしまったことか。


娘とともに成長真っ最中のReve-chan(レヴちゃん)

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