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日記240121「留学そして卒業制作へ」

あっという間に過ぎた一週間。一月ももう3分の2を過ぎている。東京に来て4年目。コロナ禍はもう過ぎたようだけど、風邪が蔓延している。

2019年春、学部4年生のときに私はドイツに1年間の交換留学をしていた。

ずっと広島で生まれ育っていた私は、海外で長期間過ごす中でいろんな思いが湧き上がっていた。
グローカルに表現活動をしたいってこと。そしてもっと生まれ育った場所のことを知りたいっていう思い。
それらの思いが、学部卒業制作のせとうち滞在制作と、藝大院進による上京に繋がった。

留学そして卒業制作へ

外の世界に出ることで、生まれ育った場所のことをよく知らないことに気付かされた私は、もっと広島のこと、この国のことを知りたいと思うようになった。

2020年の2月に留学が終わり、世界はパンデミックに突入するところだった。
帰ってすぐに観に行った五美大展も、数日後には中止になってしまっていた。
兼ねてより計画していた被災地や東北地域を巡る旅程は大きく変更となった。
コロナ禍が始まった。
私は卒業を延期して、留年という形で5年生目を始めた。先は見えなかったが、やりたいことはあった。

私は地元の広島の地域の中に入って表現活動をしたいと考えていた。
これまで見てきた世界の多様で不可知な姿と、全てが地続きに繋がっている実感が衝動だった。
地球規模で考えながらも地域の中で表現をしていきたいと思っていた。

留学先での夏休み、西アフリカのスタディツアーに参加していた時のホストファミリー
人との関わりを減らしながらも、陸前高田の一本松を目指した

大学の社会連携センターを通じて、江田島で地域おこし協力隊をしていたTさんを紹介してもらった。島中の景勝地や人、食、建物を案内してもらいながら、何をするかを練った。

島の民家に泊まりながらそこに壁画を描いていくというアイデアになったのは、途中訪れた歴史的建造物を保存活用している団体の方々や、私の滞在制作を最初に受け入れてくれた民宿屋のWさん夫婦と、それを繋ぎ合わせてくれたTさんがいてくれたからだ。

滞在は最初に民宿屋さん、次に猪猟もする農家さん、合間に「青少年交流の家」にも滞在しながら、さつまいもの6次産業を行う家庭でも制作をさせてもらった。

うみの絵
やまの絵
交流の家
さつまいもの絵

滞在制作中にたくさんの家族、家庭、仕事をみていくなかで、暮らしそのものが表現であり作品だと思った。
お百姓さん、百の仕事をする人、になりたいと思った。生活に根ざして日々を生きる人。
表現って、アートって、日常と地続きのとこから生まれている奇跡だと思った。









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