表現はすべてうんちである。

*表現は、生活から生まれるものだ。
このことは、自分に何度も言い聞かせている。いろんな方向にころがすことのできる言葉でもあるしねー。例えば、経験していないことは表現として成立しなかったり(おもうも経験である)、自分の生活と程遠いところにある表現はちょっとうそっぽかったりするし。

例えば、コーヒーを缶でしか飲んだことのないような男は、コーヒーについての表現はけっして出てこないわけだ。分かりやすくしてみたから、かえって分かりにくくなってしまったかな。やさしさについて考えたことのない人が、やさしい表現ができるだろうか?もっと言えば、「やさしい」生活を送っていない人から、やさしいという考えや表現は生まれるのだろうか?ってことでね。

けっきょく、表現や芸術なんて高尚な言葉で語られがちなものは、すべてうんちなわけですよ。このシリーズのタイトルにもなっていますが、ただの排泄物でもあるわけです。その人が何を食べ、何を聴き、何をみて、何を取り込んだか。それらがぐっちゃぐちゃになって、自分から離れていく。インプットの部分は、生活からきているんだから、食べていないものがうんちとして出てくるわけないでしょう?

逆に言えば、何を表現したいかは、何を食べるかでもあったりするかもねー。


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