得るよろこびと、失う恐怖

*何か新しいものを手に入れたりすることは、嬉しいことだ。知識でも能力でも技術でも、小さい頃におもちゃを買ってもらったことだって、等しく嬉しかった。しかしぼくは、それ以上に、その何かを失うときの怖さの方が、喜びよりもよっぽど大きく感じるのだなということを、この年齢にしてようやく気付いてしまった。

何かを手にいれる喜びより、何かを失う怖さや寂しさの方がよっぽど大きくて、人生につきまとう。何かを失ってまで、手に入れたい何かなんて、自分の人生にほとんど存在しないようにも思う。寂しがりで、ダサくて、臆病なのだ。それは何もモノだけじゃなくて、人も含まれる。

こう書いてしまうと、我ながらつまらない人間に映るかもしれない。しかし、これはこれでぼくの性質で、だからこそ、いまぼくのそばにあるものを大事にしたいし、自然と愛着も湧けば、その長さと深さの分だけ怖さや寂しさも比例して増えていく。大事にする理由が前向きだけでなく、後ろ向きな恐怖や寂しさからのほうが、比率的に大きいだけなのだ。

だからといって、大事に出来ているかどうかは分かんないし、もちろんできなかったものや人だっている。事故のように失くしてしまったり壊してしまったものだってある。それが人間なら余計に、大事にしようと思っても、関係性の話だから、向こうから離れていくことだってある。けれど、ぼくにとって、やっぱり何かを得る喜びよりも、何かを失う恐怖の方が、大きくてこわいのだ。

何かを得たり、新しい友達ができたときに、それを失うときのことを考えるのは野暮でつまらないと自分でも思う。けれど、それを考えるからこそ、大事にできるというのも、ぼくの性質なのだ。もちろん、自分から離れたり、別れを告げなければいけないことも人生にはたびたびある。そういうときが、いちばんつらいね。


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