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ランベール(1610-1696)「ルソン」 フランスバロックの始まり 3種


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ファーストレコーディングの表記あり1988年10月録音

ミシェル・ランベール(1610-1696)のルソンはピベトの2枚組のほかは、新さんのアンソロジーに含まれるくらいで、さすがに録音は少ないです。リュリの義父、娘の婿にしました。
最近少しずつエールドクールは録音が出てきているよう。
バロック期の通奏低音伴奏によるルソンの原型のようなものでしょうか。
初めて聴いた時、こんな退屈な音楽が150分もはいっている----と思ったものです。
今回聴きなおすと、20年の間にずいぶんと変化もあるのでは?と。ラテン語の発音も「インチピト」「イェレミア」「イエルサレム」です。録音時期に由来するのか、最初期のルソンなので解釈に由来するのか、わたしでは判断がつきません。ただクープランあたりで聴くと、80年代終わりから90年代の初頭にかけて、研究成果が録音に反映されるようになってきたと思います。
この時点では、むしろ新さんの録音の方が安定していたと思います。特にランベールは録音がないので、貴重でしょう。

ジャケット
このジャケットの絵のディテールは調べがつかず。
クロード・ジョセフ・ヴェルネ(1714-1789)ネット検索によると「多作の画家(200枚以上描いたとか)で、 "Tempête . . ." と題する絵もいくつもいくつもある」らしいです。さらに「ディドロと個人的に親交があり。クロード・ロランやサルヴァトール・ローザから強い影響を受けてとくに海洋風景を得意とした」とも。嵐というタイトルの絵はネット上に結構あるのですが、ディテールが一致する絵を見つけられませんでした。

演奏
歌手ノエミ・リム(Sp)。ナタリー・シュットゥッツマン(AL)。チャールス・ブレット(CT)。ハワード・クルック(Tn)。伴奏I・ピベト/フロン/ブラリア(P-Org Cemb/Vdg/Lute)。

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メディテラネなマルク・モイヨンのランベールのルソン1662~63

2枚組です。楽しみにします。ありそうでいて、なかなか録音する人がいませんでした。
マルク・モイヨンと読むらしい。
[ ミシェル・ランベール(Michel Lambert, 1610年-1696年パリ没)は、フランスの歌手、テオルボ奏者、作曲家。エール・ド・クールの作曲家として知られている。
子供の頃、ルイ13世の弟オルレアン公ガストン(1608年-1660年)の目に留まり、その聖歌隊で音楽教育を受ける。1636年以降、声楽教師として広く知られるようになった。1641年に歌手のガブリエル・デュピュイ(Gabrielle Dupuy)と結婚、後にその娘はジャン=バティスト・リュリの妻となった。1651年、ルイ14世の宮廷で行われたバレに、踊り手として登場している。1656年以降、作曲家としての名声を確立し、多くの作品が出版された。1661年に婿にあたるリュリが音楽監督を務める王の宮廷音楽隊の音楽長となり、死ぬまでこの職を務めた。ルソン・ド・テネブル集は2巻(1662年から1663年にかけて、および1689年)が手書き譜として残されている---- ]

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バロック音楽の中でも受けの良いメジャーな要素がなく、手稿譜のためにリアライズが難しいので録音がなかったのでは、と。ランベール自身が歌手であったことを想定して、複数の声域の歌手に分けず、バス・ターユひとりによる録音にした、とも。
ルソンの合間に二コラ・オットマンの小品を挟んでいます。検索によるとサントコロンブに弦楽器を教授したことがある、と。ランベールとは同僚かしら。ガンバソロです。最後はエネモン・ゴーティエの「メサンジョーのトンボー」で締めくくり。

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連想したこと、ひとつは1970年ころにでたナイジェル・ロジャースのトマス・モーリーのエア集。もうひとつはブルース・ディッキーのコルネット演奏のディミニューション。モイヨン君の歌唱、自家薬籠中と思いました。英語だとマスターとなるらしい。なあんだお若いけれどマエストロということかしら。
ヘルマン・プライのレーヴェのバラード集なんかも、再聴してみようと思いました。似ていないと思うのですが、

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来た聴いた!!
30年前に1689年版のルソンがピベトーたちによって録音され、ついに1662-63年版の世界初録音です。つまり現在知られているランベールのルソンがすべて聴けるようになりました。
発音は往時のフランス式です。
バス=ターユの声域のモイヨン君の歌唱は、遠くにマグレブの景色が広がるようなコブシを効かせ、時折ウガイしつつ、最近までのエールドクールの路線の典雅といえるような、か弱さとは一線画したもの。鼻にかかった油紙をブーブー言わせるような音スレスレまで使って、ブラブラよりの滑らかなメリスマを聴かせます。
豊かな男声の体力的ゆとりを活かした多彩な「声色」は、「邪道」視する人もあるかもしれません。わたしには「まだ驚かせてくれる」もの。メディテラネなルソンかしら。決して過ぎたると聴こえません。
よく考えたら、エルサレムはパリから陸路4500キロ越え。

スリーブの最後のページの広告は、ハルモニアムンディ社のルソンのラインナップ。カルトホイザーのドラランド、デラーのクープラン、ヤコブスのシャルパンティエが掲載。ハルモニアムンディ社のフランスバロック、ルソンの旅の感慨深い到達点とでも。ヨーロッパの音楽の極上の成熟のひとつを堪能しました。
現代、聴くバロック音楽と考えると、本当の意味で熟成された音楽のひとつなのでしょうねえ。30年近く聴き続けて、至福聴福という感じです。
どうか誤解されることなく、成熟した「オーセンティック」な演奏の録音として評価されますように。

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ザネッティのランベールのルソン

譜例で確認すると、モイヨンのものと同一。よく見ると「Res585」と。
ランベールのルソンはパリの国立図書館に2組の手稿譜が保管されていて、「Res585」と「Res588」があるとのこと。
モイヤン版は「585」の全曲。ザネッティはその「585-水曜」のみと。
新久美のアンソロジー1巻目収録のランベール水曜日第2は、解説に「585」と明記。
その解説に、当時の演奏記録に「1662」「1663」「1689」年が残っているが、その演奏記録と保管された手稿譜の関連性ははっきりしない、と。
ただし、ピベトー版は「1689」全曲とうたっていました。

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