笑うバロック(673) ベスト・オブ・小澤バロック

征爾の名は、関東軍の板垣征四郎と石原莞爾からとったという▲だからだろう。隣国に特別な感情を持っていた。「中国で生まれて日本で育った僕」。そんな言い方もよくした。戦後、再訪した際は、日中戦争の悲惨な歴史を振り返り、ときに目を真っ赤にして指揮台に立っていたそうだ▲日本人にバッハが分かるのかー。彼が世界に飛び出したころ、欧米では差別や偏見が珍しくなかった。自分は何者なのか。どこから来たのか。根っこ探しのような意識が、中国への思いに重なったのかもしれない▲遠くから見れば、魔法のタクト1本で、国籍を溶かし、国境をひょいと飛び越えてしまうような「世界のオザワ」だった。でも、「欧州で生まれたクラシックを、東洋人はどのくらい理解できるのか。僕の一生はその実験だ」。

訃報後の天声人語より

小澤バロックはこれだけのようです。とはいえ、カラヤン、バーンスタインなども推して知るべしではないかしら。

訃報後、メディアで在りし日の小澤の姿を見ることが増えました。
どこかで見たことがあるような気がしました。
和賀英良。わたしは、クラシックを目指した東洋の人々のロマンチックな虚偽の人物として、おそらく思い出しました。小澤自身は、むしろ遺伝と環境に恵まれた人だと思います。その人が自ら芸術家伝説をつくっていった時期と符合するのではないでしょうか。小倉千加子「松田聖子論」の鏡像のような想像です。

「砂の器」の予告編より

1960年◇原作「砂の器」翌年まで連載(和賀英良28歳の前衛音楽家、武満徹黛敏郎などの世代) / 連載と並行して映画化企画スタート(シナリオ完成映画制作頓挫)
1962年◇小澤最初の結婚 / 「ボクの音楽武者修行」刊 / N響事件
1967年◇小澤「ノヴェンバー・ステップス」初演
1968年◇小澤2度目の結婚
1974年◇松竹映画化公開(10年以上お蔵入りを経て) / 1974年キネマ旬報ベスト第2位(1位は『サンダカン八番娼館・望郷』)

ロマネスクの真実とロマンチックの虚偽

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