笑うバロック展(319) 21世紀だけにキャリアをもつジャルスキーのビバルディ

ジャルスキーの声は、音域による声質の切り替えみたいなことをしているように聴こえません。ちょっと鼻にかかったような湿り気粘り気がある声、猫の鳴きまねのようにも、よく言えばビロードの手触りかも。あと最後のカストラート、モレスキの声質にも似た雰囲気があって、不思議な歌手です。
ジャルスキーの序文には、ビバルディのソロ声楽の3部作の完結編と。(1)オペラ・アリア、(2)世俗カンタータ、そして(3)モテットということらしい。
カウンターテナーの先輩たちはどうでしょう。レーヌはオペラ・アリアは録音していないと記憶しています。ボウマンはすべて手掛けているかもしれません。この20年間のビバルディの声楽作品には、音域、繰り返し時の装飾、カデンツァなどの課題があったかと思います。オペラにはそれに加えて声量やオペラ歌手には基本の技巧的な歌唱技術、舞台上演を意識した声の表現力が要求されます。しかしそれらはイタリアバロックの声楽作品から逸脱してはいけません。
サザーランドのような、それこそLP時代に「発見された」才能の歌手たちは、思いのほか逸脱しない節度がありました。口伝部分を含めたような「劇場」的伝統の中に身を置くと、競合他者との差異に対する評価が逸脱を許さないのかもしれません。この20、30年間の古楽の運動には、伝統への懐疑と変革が常にテーマになり、精査考証後にさらにそれ以前では「悪しき」伝統であった部分を、過去から見た未来として再吸収し再統合しなければならず、一番最後に開花したというべきなのでしょう。
コバルスキーというカウンタテナーは少し時期が早すぎ、バルトリなどは程よい時期に合流できた感が強いかと思います。始まったばかりのころの古楽運動の中では「歌い過ぎ」と評されたでしょう。現代は、そうして出そろった情報を歌手の身体が身に着けて、逸脱しない中で「歌い」「歌うように語り」「語るように歌い」「語り」を一人の歌手としての一体感をもって、適切に切り替えながら表現できないといけません。
ビバルディの声楽作品を3つのカテゴリーに分けて、3つのアルバムを録音すること、しかもバロック音楽をレパートリーとして外せないカウンターテナーにとって十字架のような重荷になってしまったのかもしれません。おそらく総合的にシステマチックに教育されたであろう世代のジャルスキーにとっては、当たり前のマイルストンなのかもしれません。
本来は声楽を真似たはずの器楽の見直しからスタートし先行していた古楽の運動とも、バランスがとれてきました。歴史的音楽の再現のプロ、ちょっと不思議な印象の言い回しですが、おそらくそうなのです。あらゆる技法が自由に使えるプロが増えてきている、のだと思います。
書いていませんが、ピッチは415あたりだと思うの(耳が悪いので実際はサッパリわかりません)ですが、ビバルディのベネツィアは440だったという人もいましたっけ。現代ではおそらく数字が重要なのではなく、当時からプロは柔軟に対応した、ということを再現し身に着けているのでしょう。演奏する場のオルガンのような移動できない楽器のピッチに合わせるなどの技法は周知の当然で、運指を簡単にする楽器に持ち替えたり、オーバーする音域をオクターブ移動したり、すべての研究された当時の習慣的技法がすべて柔軟に使えるのが、現代の古楽のプロなのです。
ジャルスキーは「スターバト・マーテル」がカウンターテナーにとって最もファッシネイトなレパートリーだと。たしかにそうだと思いますが、いつもこのソロモテットの「アルト」は男女どちらが想定されたのだろうか、と。ボウマン以降しばらくはカウンターテナー歌手のものになり、最近バルトリのような研究考証の行き届いたメゾやアルトが登場すると、彼女たちも自分たちのレパートリーとして手を上げ始めています。今のところはカウンタテナーが優勢です。

検索したら---[ClassicAir]というサイト。

「ヴィヴァルディの宗教音楽としては年代が確認できる最初の作品である《スターバト・マーテル》RV621は1712年3月18日の聖母マリアの7つの悲しみの祝日にプレッシャ(当時、ヴェネツィアの支配下にあった)のオラトリオ教会で歌われることを目的にして作曲された。《スターバト・マーテル》はセクエンツィアの1つで、13世紀のイタリアの修道士ヤコボ・ダ・トーディによるとされるが、それは20節からなる。しかし、ヴィヴァルディはそのうちの前半10節のみに作曲している。
ヴィヴァルディの他の賛歌は全て厳格な有節形式でかかれているが、現存するイタリア・トリノ図書館のジョルダーノ・コレクションの自筆譜には第4~6曲には声楽パートのみが記され、第1~3曲の歌詞を変化させて反復するように指示される点でこの形式に従っている。第7~8曲とコーダ様式の最後の曲は、独立をしいるが、殆どがヘ短調で書かれていることもあり作品そのものの統一性は確保されている。また、コントラルトの独唱が実は男声のためのものであることは間違いがないが、それがファルセットのよるものかそれともカストラートによるものかはハッキリしていない。」

ピエタのために作曲されたものではないようです。つまり現代では原則カストラートは作れませんから、カウンターテナーの代表的なレパートリーとしてよいわけです。それと、カストラートの技巧に長けたアルトの女性歌手もよさそうです。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?