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笑うバロック(386) アイドルを探せ 愛を知るドロテア

わたしはビオラ・ダモーレといえば彼女しか知りませんでした。なぜならかなり早い時期から、ビオラ・ダモーレを中心にしたレコード録音をしていたからです。こういう人に限って、なぜか資料が少なく、写真もなかなか見つかりません。

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ビオラ・ダモーレには協会が存在しました。今年はラトビアで国際会議が予定されています。民族楽器として命脈を保ちながら生きながらえたので、かしら。わたしの記憶がたしかなら、マイヤベーアの「ユグノー教徒」やマスネ「ノートルダムの曲芸師」などでも使用されています。日本語で書かれたものはほとんどなく、ガース・ノックスなどもインタビューでは触れていません。古典派以降、ヒンデミットあたりまではミッシングリンクみたい。

キャプチャvgdega

エドムンド・ラミレスなる御仁のブログにはあります。

怪しげついでに、ラミレス氏の記載の中のレフラーなる作曲家。ウィキによると----。メーテルランクに基づく交響詩《タンタジルの死》は、「イタリアのハロルド」のような曲らしい。

1894年にヴィオラ・ダモーレを入手して以来、演奏家としても作曲家としてもこの楽器の復興に情熱を注いだ草分けのひとりとなった。

「タンタジルの死」も録音があります。ジェニー・ハンセンなるビオラ・ダモーレ奏者がクレジットされています。しかし、このハンセン女史もまたなかなか写真が見つからない----。

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