バロック音楽の実演を聴く「バッハへ続くカプリッチョな旅」2011年11月

カプリッチォを集めたCDをリリースした寺村さんの小さな演奏会。
ペッツォルトのメヌエットト長調(超有名なバッハのあのメヌエットです)でスタート。
フレスコバルディの2つのカプリッチォ。
ポリエッティの同。
戦いのとか、カッコウのとか、擬音効果を狙った描写的作品。ただ題材が、ルネサンス期から連綿と続くもので、興味深い。それをカプリッチォで括ったところが、この奏者の視点の鋭さかしら。
漢字のヘンでくくるか、ツクリでくくるかといったことなのですが。
ブクステフーデの「ラ・カプリチョーザ」、バッハの「最愛の兄の旅立ちに寄せて」まで。
変奏曲やファンタジーで括るような企画は以前からよく見かけましたが。
実際並べてみると「説得力ある逸脱」というよりも、やはり変奏曲の系譜かしらと。むしろバッハのがもっともラディカルに聴こえます。
個人的には、トッカータの方が分裂的で、より逸脱っぽくないかしら、とも。
当夜の楽器は、ホリ製イタリアンのもの。いざとなるとチェンバロというのは大きいものです。
楽器の解説は、よかったです。アラブのプサルテリがベネチアに上陸して、鍵盤がついて----。プサルテリは、羽軸で引っ掻いてましたが、それを木のハンマーで叩くようになります。よく聞く名前はハンマーダルシマーでしょう。ハンガリーではツィンバロンになり、遠く中国、モンゴルまでおよび楊琴に。
20年前に新倉さんの解説付きコンサートに大倉山まででかけたことがあります。この20年で演奏家のお話しも演奏もずいぶんと練れて磨かれて、よく変化しました。

寺村さんはよい意味でニュートラルな演奏家でした。速過ぎず遅すぎず、見通しよく、ていねいに旋律が浮かび上がり、聴きやすく----エッ演奏は逸脱しない?

検索すると、イタリア語で「気まぐれ」の意を表し、17世紀のバロック時代には自由な初期のフーガの一つをさした。19世紀には、ロマン派の作曲家によって、性格的小品の一種として、自由で気まぐれ、軽快な器楽曲の名称に用いられ、多くの曲が作曲されている。

気まぐれの反対語は、どうも「機械的」「事務的」「合理的」「規則的」「普遍的」のようです。
プログラムの着想は賞賛です。演奏は洗練された「よい趣味」だと思います。でも、カプリッチォかといわれると、さて----。ライブなので、もう少し「逸脱」があってもよいかしら。

颯爽として冴えた技巧をおもちなので、協奏曲なんか聴いてみたいような、気がします。あとエマヌエルのビュテンベルクのイ短調とかも。
アンコールは、ゴルトベルクのアリアで締めくくりました。

グローバルに勝負できる張り詰めた緊張感みたいなものは強くありませんでした。(新倉さんの演奏は、何か肩に圧し掛かったような威圧感が悲壮に感じられた印象でしたが)楽器の性質上もうそこまで考えなくてもよいのでしょう。身近な、よい意味ローカルな楽器としてのよさが、出ていましたし、そこが寺村さんのよさでもあるかもしれません。わたしが聴いたのは、初心者オーディエンス向けのもので「授業風」になっていました。もう少しスレッカラシのオーディエンス向けだったら、逸脱ライブだったのかも。

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