自然に人間の心からほとばしり出るような「歌」、または「ユリコ・ポコアポコ・ソステヌート」(2011年1月記)

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2010年12月17日 「歌うヴァイオリニスト」ご紹介

やはり黒沼さんは名文家ですね。素晴らしい文章です。メキシコへの思い入れのひとつは、明らかに黒沼さんとその活動です。
自分の育てた選手を推薦して何が悪い、とは宗形仁が岡ひろみを強化選手に推薦するときの言葉でした。悩んでコーチに無言電話すると、必ずコーチの方から「岡だな」と呼びかけられる、何でわかるのか問うと「いつもお前のことを考えているからだ」と、よよと泣き崩れる岡ひろみ----という名作名シーン。あれはロマンチックな虚構でなく、実際に起きていることです。ロマネスクな以心伝心かしら。
何と誠実な褒め言葉と紹介でしょう。
もし「あなた」が何か紹介したいものがあったら、このくらい思いいれて誠実に、精緻に、しかし情感豊かにユーモアを交えて作文しないと伝わりませんよ、というわけです。「はい、努力します!マエストラ」


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メキシコ音楽祭2011  アカデミア・ユリコ・クロヌマから生まれたメキシコが誇るヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ   アドリアン・ユストゥス ヴァイオリン・リサイタル
以下、チラシ裏の紹介文全文↓
「歌うヴァイオリニスト」アドリアン・ユストゥス(黒沼ユリ子記)
 偶然にも私の息子と同名だからかどうかは定かでないが、私にとってのアドリアンは言語の介在が不要な、あたかも二人目の息子にも似た不思議な存在だ。少年時代にレッスンに通って来ていた頃の彼の外観は、ごく当たり前の、または少々のんびり型の男の子にも見えたが、実は、ずば抜けた集中力の持ち主で、どんな説明にも超スピーディーな理解を示し、驚かされたものだ。
 テニスに夢中で、そのトレーニングやトーナメントへの参加に向けた情熱は、どう見てもヴァイオリンへのソレを抜いていたように見えたが、その彼がある月を境に完全にヴァイオリンの虜(とりこ)になってしまったのである。「1985年4月」そう断言できるほど明確に決定的な証拠を残して。
 <アカデミア・ユリコ・クロヌマ>の12名の生徒と共に初訪日した彼はツィゴイネルワイゼンを独奏し、言語では不可能だった日本人とのコミュニケーションがヴァイオリンを通せば可能であることを発見、初体験し、その不可思議な力に打ちのめされるほど魅了されてしまったのだ。メキシコへの帰途の機内ですでに将来はヴァイオリニストになる決意を固めたと言う。
 幼い頃、ハイドンの弦楽四重奏曲のLPをかければ兄弟喧嘩も即座に止むことを知っていた歯科医の父親の手ほどきでヴァイオリンを弾き始めたが、それはテニスと同量の重みでしかなかった。つまり、アドリアンは日本の聴衆から受けた暖かい拍手によって今日の彼が在ると言っても過言ではない"メイド・イン・ジャパン"なのである。
 「天性の音楽家」という表現には、いささかマユツバの響きも否定できないが、私はアドリアンを「歌うヴァイオリニスト」と呼びたい。彼にとっての音楽とは歌そのものであり、どんなに超絶技巧なパッセージを弾いていても、そこには必ず彼の歌う心が同席しているからだ。そして彼のヴァイオリンの音には「ヴァイオリニストに成れた人間」としての幸福感が、どの音にも満ちあふれている。この世に「音楽」という掴める実体のない不思議なモノが存在するということへの感謝の気持ちもヴァイオリンを通して常に振り撒きながら、音楽の歓びを共に分かち合う演奏が自然に生まれ、聴く者をも幸せにしてしまう音楽が流れ出てくるからだ。 
 「ヴァイオリンを弾いて人々を幸せにすることが、神から与えられた自分の使命」ということを信じて疑わないアドリアン・ユストゥスの音楽は、説明抜きに人間を感動させる自然界の景観の美のように、普遍的にヒューマンな感性から生まれ、聴く者の誰にも生きる歓びを与えてしまう。今や彼は私にとっての二人目の息子以上の存在であり、メキシコが誇る宝物のひとつでもある。
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2010年12月17日 すべて音で表わせる
すぐ前の、黒沼さんの紹介文が秀逸で、「音」「音楽」を想像させる素晴らしいアナロジーに溢れていて、この名文を背負って演奏するのは、この言語を解する人だったらかなりのストレスかな、と。しかし演奏する側は、そんなに日本語は解さないだろうし、しかし、その演奏を聴く聴衆は黒沼さんの言葉通りの「音」と「音楽」を黒沼さんが言うとおりの「バイオリンの歌」として感受できることでしょう。黒沼さんのように「音」と「言葉」の両方の表現に秀でた人に可能なバランス感覚です。弟子の音と音楽を、言葉で紡ぎながら、聴取のイメージを想像豊かにしようとしています。黒沼さんの、よい意味で、自信たっぷりな「どうです聴いてみたいでしょう」という笑顔が浮かんできます。
----そこまで考えて、ふと----「私はすべて音で表わせる」たしかリヒャルト・シュトラウスの言葉でこんなのがあったような?
ハンカチが落ちて、小姓がとりに来て----どんな情景も音で表わせる、といった意味の話だと思います。実際dvdなどで見ていると、なるほどと思います。音で何かを表現するときの、フィギュアがシュトラウスの中でできていて、それがまた当時のオペラ観衆にも共有されていた、ことを表わしているのかもしれません。(椎葉村の村民総即興シンガーソングライターみたいなものの拡大版かしらねえ)
これの反対のことを考えていくと、塚本晋也の映画のようなあり得ない情景には、あり得ない音をつけるという風かしら。「悪夢探偵」の聞き取れないセリフは、ヒッチコックのマクガフィンの応用だと思いますが、あえてそうした映画のフィギュアを逆手にとって効果を得ようと。ヒッチコックは映画中途でのセリフによる「これまでの」ストーリー説明を省くために、「悪夢探偵」では、操作困難なテレパスが悪夢探偵の特技ということを「見せる」ために。
宗形仁の以心伝心も、人間とテニスを習得する選手のメンタルを含めた行動をフィギュアとして整理獲得しているために、まあ同じ道を通った先輩だからわかる、というものの表わし方なのですが。
そうした生活や行動のフィギュアを言葉で表わすのが現在では「ツイッター」なのかしら。「指差し確認」のつぶやき(独り言)なら素晴らしいスキルと思いますが、共有フィギュアが減ったために、すべての行動を言葉で表わさないといけない、としたら----。「悪夢探偵」は不確かなテレパスのせいで、他人の「つぶやき」が聴こえる設定でした。当時は「ツィッター」がなかった?ので、携帯電話が使われていましたが、では「3」はどうなるでしょう。
冷たい空気が気持ちよい寒い朝に茨城県取手で通り魔速報。これらの事件の実行者たちは、「悪夢探偵」の世界を怖がる人たちなのでしょうか、はたまた「黒い家」の心がない、人たちなのでしょうか。たすけて悪夢探偵!

2011年01月14日 アドリアン・ユストゥスを知っていますか?
久しぶりの紀尾井ホールでイザイの無伴奏ソナタの2番とパガニーニのカプリスの抜粋を聴きました。(ほかにもシェリング、ポンセ、ベートーベンも)
当日の公演プログラムの黒沼さんの言葉通りでしたので、引用します。「----"まるで機械のように完璧なテクニックを持つ"と呼ばれるヴァイオリニストたちが次々と出現する今日、しかしその演奏には、どうも自然に人間の心からほとばしり出るような「歌」がどこか不足しているように、私にはしばしば感じられる」とは真逆の演奏家でした。技術は申し分ありませんでした。低音をバチっと鳴らしたり、ちょっと古めかしい甘いロマンチックな中音域は、失礼をお許しいただけるなら「ユリ子さん譲り」でした。
カプリスのあと、「ラ・カンパネラ」第2協奏曲の第3楽章を弾き(オケ伴でちゃんと聴きたいですねえ)、アンコールでポンセ「エストレジータ」、サラサーテ「サパテアード」、ドボルザーク「スラブ舞曲」を。それでも、割愛された残りのカプリスを全部弾くくらいの余力が残っていました。
体力が十分にあり、柔軟な関節の長い腕を持ち、お客様が帰らなければ一晩中でも演奏していそうなサービス精神がありました。
カプリスでちょっと感じたマヌーシュな雰囲気、ユリ子さんの解説によれば、演奏家の祖父母はハンガリーからの亡命者とのこと、古臭く言うと「血の中にある」ものだったのですね。
常に聴衆のために、シンプルに喜んでテクニックを行使する姿は、ちょっとハイフェッツの残された動画を思わせました。カプリスが、デジタルに聴こえず、かといって演歌にもならず、立派なクラシック音楽になっていて、ああこうしたものが「演奏の途中で止められない」力を持っているのだと思いました。
黒沼さんは、「30年前からメキシコでたった一人で」「ベネズエラが国家規模で行ったことを維持継続してきた」のですね。本当の「サステナブル」って何?その答えのひとつが、本当に身近にいつも存在していたのでした。そのサステナブルな演奏会に、サステナブルに通えている自分たちもまた、まあすてたもんじゃないよねえ。
ユストゥス君が承継した黒沼さんの心の「歌」は、何とソステヌートなことでしょう。
アステカ風?な飾り刺繍の衣装を身にまとって、弟子の聴衆に囲まれた黒沼さんはとてもうれしそうでした。その見た目派手な衣装の背中を見ながら、いろいろ回顧すいませんです----地下を掘ればアステカの遺跡が出、上にはキリスト教の建造物が立ち、スペイン副王の首都として移植された西洋がそこかしこに、市内には点々と20世紀の壁画運動の跡が残り、東京、上海と並ぶ巨大な都市、庶民は闘牛やプロレスを楽しみ----そういえば黒沼さんの、日本の使わなくなった子供用バイオリンをメキシコの子供たちに寄付してくださいから始まったアカデミアから輩出したのがユストゥス君なら、黒沼さんだって立派な「伊達直人」じゃありませんか。ミル・マスカラスの国ですから、「エル・マエストラ・ムジカ」かしら。

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