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笑うバロック(353) レジェンド探索 特別ゲスト「人は何回でも起きあがれる、かも」

素晴らしいの一言。曲によってビオレッタ・パラのように聴こえ、ノロブバンザトのようにも、はたまた、かしまし娘のようにも。コブシなんでしょうがわたしにはバロック時代のトリルに近い装飾に聴こえ。リュート伴奏のバロック歌唱のようにも聴こえる?かしら。いろいろな記憶が次々と引き出されて、自分がどんな音楽に興味を持ってきたかがくるくる廻って----そういう気持ちにさせてくれる歌と歌い手さんです。それでいて、今までよく聴いたようでいて聴いたことがなかった、と思わせるオリジナリティを感じます。不勉強で全く未知の人でした。新しい出会いがあるのは素晴らしいことですが、ホント知らなかった、というのにすぎません。何をいまさら、なのかもしれません。

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歌詞は対訳がないとほとんどわかりません。そういった意味では外国の歌です(差別的な意味ではありません。わたしの持論は「隣人も外国人」です。まして育った地が違えば、きちっと聞き翻訳しないと通じ合えるわけがない、「同じ日本人」なんていないと思うということです)。きちっとした注意力が必要です。
「想い」は1971年の大ヒットって、東京に生まれ育った小学生のわたしは全く知りません。こうした乖離は、わたしの貴重なカラオケレパートリである「黄色いシャツの男」とかにも感じます。1960年代にヒットした「そうです」。一部の人たちしか覚えていません。一種の透明化された歌の群れがあると思います。都合の悪いものは隠そうとする、わたしも例に漏れませんが日本的かしら。
「想い」は「いうちどぅんじゃさらん」つまり、言葉にできない、歌。「十七八節」は文字通りパラの「わたしが17だった頃」なんですが、この島の人たちの歌は明るくて素晴らしいです。「ヒヤミカチ節」は「ソング・フォー・ウチナー(アイルランドでなく)」です。テルリン父が闘牛場で歌っていたときはテンポが遅かったそうです。「ジンジン」とか「ハイサイ」も衝撃でしたが「ヒヤミカチウキリ」気合を入れて起きあがれ!もショックです。ほかにも「ハラドンドンセー」とか「テントゥルルン テンシトゥリテン」とか好みの語感が溢れています。「テントゥルルン テンシトゥリテン」のでてくる「嘉手久」はちょっとパンジャブのグルミット・バワみたい。こんなのと自動車のCMの「シェバダバヤッテミレ」と並べたら、なんと興味深いこと。
どの歌にも見え隠れする明るさとユーモアはいつも救いです。寺社縁起から由来する説教節や、その末裔のごぜ歌は「愛別離苦」が多いのですが、スペクタクル化されてレクリエーションだった時代のユーモアが失われていると思います。
「東洋の魔女論」にあった工場のレクリエーションが、競技場のスペクタクルになる、女工の憩いが競技のための競技に変わる物語でしたが、それも明るさとユーモアが失われていく物語でした。(魔女の訃報と同時に聴くのも不思議な巡り合わせです。1964年東京五輪のバレーボール女子で金メダルを獲得“東洋の魔女”と呼ばれた日本代表で主将を務めた中村昌枝さん=旧姓河西(かさい)=2013年10月3日、脳出血のためで死去。80歳だった)
沖縄の魔女、金城恵子の歌は、「スペクタクル」より「レ・クリエーション」に近いと思います。もっと古い「祈りが歌に変わる」瞬間が含まれているように感じます。
大江健三郎が息子を肩車して森を散歩したエピソード。クイナの泣き声が聴こえ息子が「クイナです」と言葉を発した、父は必死にもう一回クイナに鳴いてほしいと「祈った」そうです。するとクイナが鳴き息子が再度言葉を発した。祈り願う注意力と集中力は、ヘレン・ケラーの「ウォーター」と同じだと、その大江のエピソードを引用した小林康夫が書いています。そんな諸々を思い出させてくれる、そんな歌を聴きました。少しだけ、人は何回でも起きあがれる、と励まされました。

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