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笑うバロック(606) ハープ好き、ブラインド・ジョン・パリー

ヘンデルのハープ協奏曲の新しい動画を検索して聴いていたら、一枚のサムネイル絵画に興味を。次の絵画群の左下の作品。「作曲家クリスティアーノ・ジュゼッペ・リダルティと画家ジョヴァンニ・バッティスタ・テンペスティの肖像」。ハープの描かれた肖像は結構見ていましたが、初めて意識した作品でした。

「ジュヌビエブ・リント・ド・ベリエールの肖像」1761年(1770年代に変更)フランソワ・ユベール・ドルエ作 / 「ジャンリ伯爵夫人の肖像」1781年フランソワ・ゲラン作 / 「ジョン・パリーの肖像」1770年代息子ウィリアム・パリー作 / 「ルイ・クロード・ル・ノルマン・ド・ブレットヴィルの肖像」1770年代未知の画家(オスロ国立博物館)(驚くべきことに、肖像画のハープは生き残り見ることができる)/ 「ハープのある自画像」1791年ローズ・アデレード・デュクルー作 / 「作曲家クリスティアーノ・ジュゼッペ・リダルティと画家ジョヴァンニ・バッティスタ・テンペスティの肖像」1770年代ナサニエル・ダンス・ホランド卿作 / 「マクシミリアン・ガルデルの肖像」1741年ニコラ・フランソワ・レグノー作ルーヴル美術館 / 「若い女流音楽家」1788年ミシェル・ガルニエ作

18世紀・ハープを伴った肖像画
ハープは、サロンや知的な集まりに適したより親密な楽器として18世紀に人気を博しました。ハープは、グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」(1762年)のオペラオーケストラに採用され、古代のリラを模倣しました。この後、ハープはメユール、スポンティーニ、レズール、グレトリーなどの作曲家によってさらに取り上げられました。ケルトの遺産であるアイルランドのハープと見なす人もいれば、古代ギリシャのリラとの直接的なつながりと見る人もいました。後者は、ポンペイの再発見が古代のすべての関心に拍車をかけた18世紀に特に興味深いものでした。
17世紀のハープは、全音階で25本の弦を特徴とすることがよくありました。18世紀には多くの発明がありました。現在、ハープは通常35〜38弦で作られ、半音階を持っているため、演奏者の音とスタイルに大きな自由が生まれます。ペダルハープも1720年頃に導入されました。ペダルを使用すると、演奏者は両手を自由に使えるようになり、代わりに足を使って弦のピッチを変更できます。
ハープは、演奏者の優雅さ、才能、知性を示す、究極の楽器と見なされていました。ハープが描かれた素晴らしい肖像画が18世紀にたくさんあるのも不思議ではありません。

この作品群の右上にいるのが、パリー氏です。

「『有名な盲目のウェールズのハーパー』であるジョン・パリー(?1710-1782)は、おそらく北ウェールズのリン半島のネフィン近く、ブリン・サイナンで生まれました。彼には親戚のロバート・パリー、スティーブン・ション・ジョーンズ、ルイス・モリスという師がいた可能性があります。彼の才能はワトキン・ウィリアムズ・ウィン卿の注目を集めま、そのハープ奏者になり、イギリス社会の富裕階級で生活できました。パリーが作品を発表したのは1761年でした。「ウェールズ、イングリッシュ、スコッチエアの新しいバリエーション、ジョン・パリーが作曲したハープまたはハープシコードの4つの新しいレッスン」。それには「4つのソナタ」が掲載されています。パリーはウェールズが生み出した最も有名なハープ奏者です。作品群は、クリーンな指の動き、アーティキュレーション、ダンピング(消音)で、テクニックを向上させます。」


画家の息子パリー氏が父親の肖像を描いている

4つのソナタはサルビが出版しています。(ニ長調、ト長調、ヘ長調、ヘ長調)

特に1番目のニ長調ソナタがよく演奏されます。

ソナタの全4曲は、シニド・ウイリアムズが。1981年ころ。
おそらく初めての録音らしきは、オシアン・エリスの1969年ころかしら。

ところでサルビの楽譜を献呈されているエレノア・ベネット氏が気になって検索。
エリスの後継でカトリン・フィンチの義母とのこと。ウェールズ・スクールがあるみたい。ベネットのサイトは英語とウェールズ語がありました。アイルランドのゲール語を思い起こしつつ、いや、それでは一体「英語」というのはなんなのでしょう。世界共通語の試みのひとつなのでしょうが、何やら異形の鬼っこのように感じました。はじめから言語で世界征服を企んでいた----。

さて実際ウイリアムズの録音は聴けず、検索で片っ端からソナタを聴いて廻りました。
ロビン・ワードというニュージーランド出の奏者が4番ヘ長調ソナタを、トリプルハープで。これが好感。ちょっとぶっきら棒に聴こえますが、デレク・ベルみたいで好い。クルムホルツ、デュセックもさらりと弾いて好感。わたしには、アウグスティン・バリオス・マンゴレの「大聖堂」のアレンジが琴線。
ヘンデルの協奏曲はリコーダーアンサンブルと競演。こんなのがやりたかったのですが。

CDも出しているみたい。
「ルドビコのハープを模した」なども。

「No Pedals Attached ペダルなし」は、1550年から現在までの音楽をトリプルハープで演奏したものです。もともとハープを半音階にする手段として17世紀の初めにイタリアで発明されたトリプルハープは、初期のオペラの伴奏やソロ楽器としてイタリアで人気を博しました。イギリスでウィリアム・ローズが彼の「ハープ・コンソート」のスコアにトリプル・ハープを含めました。それから1世紀後、ヘンデルはハープ協奏曲を書きました。 18世紀後半に新しく発明されたペダルハープがトリプルハープに取って代わりました。ウェールズでは国の楽器としてトリプルハープが採用されました。ルネッサンス、バロック時代とハープは完璧な楽器と見なされていましたが、そのレパートリーはそれとはほど遠いものでした。結果、ハープ奏者はさまざまなソースから音楽を借りて、必要に応じて音楽をアレンジするのが一般的でした。ナルバエスとムダーラの作品はもともとビウエラのために書かれたもので、ドヴィゼとバッハの組曲はテオルボなどのレパートリーから借りたものです。ウェールズの作品はもともとトリプルハープのために考案されました。デュセック、グランジャニー、グリンカはペダルハープのために書かれました。 CDのタイトルは、姉妹であるモダンペダルハープとは異なり、三重に弦が張られたハープにはペダルがないという事実に基づいています。代わりに、3列の弦があり、2列の外側列は、外側列の間にシャープとフラットが挟まれた最も便利なキーで互いにダイアトニックに調整されています。このCDで使用されているハープは、17世紀イタリアのアルプ・ア・トレス・レジスターに基づいています。ただしモダンな共鳴板と胴を備えているため、やや交雑種です。私はこのCDを私の家族、特に私の父であるDavid Ward博士に捧げたいと思います。最初のハープを作るための忍耐力とスキルを持ち、後年、トリプルを演奏するように自分自身で作り、教えるように励ましてくれました。また、マイク・パーカー博士の長年にわたる貴重なアドバイスと支援、最初にハープを紹介してくれたセリア・ブライアー博士、長年学生だったキャロリン・ミルズに感謝します。ロビンワード、2009年1月。

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