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(2010年7月) テシュネ氏のブーレイ頌を発見

素晴らしい演奏家がいても、なかなかそのプロフィールの全容がまとめられることはありません。何か余人と比べて変わっている演奏家については、たくさん本がでたりするのに。エラートの布張りのクープラン全集をみて、バックハウスのやはりすごい布張りのベートーベン全集とは全く違った聴取の仕方をしないといけないのだと、思ったものです。通して聴き、傾聴すべきものでなく、愛すべき椅子やテーブルのような音楽、ちょっとした置く位置や照明の具合で様々な変化を見せます。使う人を選ぶような。
ただ「ルソン」は、クープランをベートーベン的に聴いてもよいのだ、と思わせる曲であり、演奏でした。
「あおはあいよりいでてあいよりあおし」祈りより出でた歌が祈りより深い祈りを表わす歌になった、という感じかしら。
ブーレイは、クープランのルソンを2度録音して、自分の中で「あおはあいよりいでてあいよりあおし」を実現したのです。グールドのゴルトベルクやリヒターのマタイのように語られることはないかもしれません。これらは再生の芸術として、作品を凍結してしまった悪い例ではないかと思います。多様性の排斥みたいな、閉鎖性がにおいます。それに比べるとブーレイのクープランは「後から来る人間が必ず前の人間を追い越せると信じてよい」という確信に満ちています。聴く人たちがレコードの再生によって、必ず学び向上し、その時々の素晴らしいルソンが登場するたびに適正な評価を下せるだろう、という希望に満ちています。「エルサレムよ、立ち返れ、あなたの神、主のもとへ」再生の芸術として録音される作品の最高の歌詞かもしれません。「あおよ、立ち返れ、あなたのあいのもとへ」
おかげで、わたしはなんと素晴らしい趣味を得たことでしょう。そして「よきあい」であったブーレイ先生に感謝いたします。
下記は、テシュネ氏のブログでみつけた貴重なブーレイのプロフィールです。失礼ながら全文引用させていただきます。 テシュネ氏にも感謝いたします。

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ロランス・ブレー(1925-2007)に寄せて
チェンバロの名演奏家であり、音楽学者であり、教育家であったロランス・ブレーがひっそりとこの世を去って二年になります。
ブレー女史は1925年1月19日に生まれ。ヴィオラ奏者で師であった父に励まされ、パリのコンセルヴァトワールを、チェンバロをはじめ、和声(モーリス・デュルフレのクラス)、対位法とフーガ(シモーヌ・プレ-コサードのクラス)、音楽学と音楽美学(ロラン・マニュエルとマルセル・ボーフィスのクラス)をそれぞれ修了しました。
ソロ、室内楽の演奏家として、また、古楽再発見の動きが始まる前から古楽の復活に情熱を注いだことで早くから注目される存在であった彼女は、自らの研究と、17~18世紀のフランス音楽の楽譜を出版します。こうしたことから、音楽学者ノルベール・デュフルクをして、「マレ未亡人」というエレガントなあだ名をもらうほどでした。
また、早くから教育活動も行っており、ブローニュ音楽院で教鞭をとりますが、音楽学の論文「理論家・音楽家の著書を参照にしたフランス音楽の演奏:1687/1789」を書き上げるためにCNRS(フランス国立科学研究機構)に出向することになります。ほかにも、1968年にはパリのコンセルヴァトワールで通奏低音のクラスを設立し、1990年までそこで教鞭をとり、音楽に関するいくつもの講習やセミナーやシンポジウムを絶えず企画し、自らも参加したりしていました。そして、トゥールーズのコンセルヴァトワールで教育者としてのキャリアを全うすることとなりました。
ロランス・ブレーについて、私がまず特に注目したことは、彼女の桁外れの音楽に対する積極的態度と、我々にとっては恩恵となるばかりだった際限のない献身的態度です。
パリのコンセルヴァトワールの古楽部門が承認を受け組織されたのは、他の音楽家やチェンバロ奏者と共に誠実に協力しあうという細やかな精神をもった彼女の情熱的な交渉の腕に負うものであり、そして、演奏会やレコーディングを通して、コンセルヴァトワール博物館(現・シテ・ドゥ・ラ・ミュジークの音楽博物館)の素晴らしい楽器の再評価がなされるようになったのも彼女の才能のおかげなのです。
彼女の演奏を録音したレコードは数多くありますが、特筆すべきは「ルソン・ドゥ・テネブル」とフランソワ・クープランのチェンバロのための作品全集でしょう。
個人的なことになりますが、私がチェンバロの通奏低音をはじめ、ヴァージナル、プレリュード・ノン・ムズュレ、ジャン・アンリ・ダングルベール、マティアス・ヴェックマンやそのほか、あまり名の知られていない作曲家たちに対して目を開くことが出来たのは、彼女のおかげですし、現代音楽のレパートリーに関する賢明なアドヴァイスを受けたことも、私の記憶の中に深く刻み込まれています。クリストフ・ルーセ、オリヴィエ・ボーモン、イルトン・フジュニスキ、マルティーヌ・シャピュイ、イレーヌ・アサヤグらと共に、当時はパリのローマ通りにあったコンセルヴァトワールのクープラン・ホールで、こうした芸術的な発見と幸福に満ちた時を過ごしたことは決して忘れることはできません。
ラウル・デュフィの絵筆から生まれ出たような我らが青い服の女史は、私たちひとりひとりの中に生き続けており、私たちが芸術音楽家としての仕事を、誇らしくと偉大なものにすべく挑戦しつづける中で、私たちの肩に手を添えて、人間的、芸術的、音楽的、教育的に支えてくれているのです。
2008年の8月に、チェンバロ奏者ロール・モラビトが我々に大きな贈り物をくれました。セーヌ河とサン・クルー城公園に面するブローニュのロランス・ブレーの最後のアパルトマンを見学できるという贈り物です。この幸運な機会に、私たちは何枚かの写真を見つけました。 「めぐり逢う青い朝」


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ドラランドのルソンは、ブーレイが1977年に録音した世界「エラート」遺産のひとつ。ガルサン、スクラの名前がクレジットに。もしかするとドラランドの初録音かも。表記はないのですが。クープランならば1930年代には録音がありますから、わたしが知らないだけかもしれません。フランスの自国文化に対する対応は素晴らしいですし。そうでなくてもこの曲は忘れることができない名曲です。「レコルダーレ」の歌詞そのままです。と同時にブーレイの鍵盤だけにとどまらない素晴らしい仕事は、忘れたくありません。

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ブログに観たもの聴いたもの食べたものを綴っていました。そうしているうちに、自分が「バロック音楽」に関心が高いことがわかってきました。本当に美しい音楽もたくさんあります。音楽は聴いて判断するものですが、時に思わず笑ってしまうことも。ちなみに、ヘッダーはオブローモフ氏。

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