笑うバロック展(255) 「やはり、音楽は旅をするのだ」

画像1

ヴェンツィンガー来日の雑誌記事のデータです。1973年とのこと。重要なのはこの記事の筆者が大橋先生だということです。データを掲載した方は、当然ヴェンツィンガーがメインでアップしたのでしょう。大橋先生のお写真は少ないので、失礼ながら頂戴します。先生の名前を検索するとわかるのですが、大勢の教え子の方たちが自分のプロフィールに師事と書いています。ご本人は控えめで、しかし教育熱心だったのだと、よおく感じとれます。先生、最後の教え子のひとりの寺嶋さんも結婚されてボルティモアにいらっしゃるようですよ。ずいぶん歳の上のロシア人チェリストの旦那様と活動しているよう。そんな情報もネットは運んでくれます。

画像2

推定1970年ころかしら。ランパルが1922-2000。星野すみれが1919-2003。大橋先生が1932-2003。ニコレが1926-2016。
そして誰もいなくなった、という具合です。ネット上を検索していると、やけにたくさんヒットする名前や事柄と、反対にまるで誰かが隠そうとしているのではないかと思うほど、ヒットしないものがあることに気付きます。もちろん、個人情報や著作権の保護が目的の場合もあるとは理解できますが。
そして、手元にある資料を紐ときながら、自分がもっていても持腐れの宝で、ちょっとしたことでいい必要としている人がいつでも閲覧できる、そんなものもあるのではないかしら、と思います。

---- ---- ---- ---- ----
大橋敏成先生 経歴

1993年4月頃にご自身でお書きになったもののようです。

1932(S7)
3月17日東京、大森生まれ。第二次世界大戦後、しばらく青森県弘前市に在住、県立弘前中学(旧制)弘前高校(新制)で3年間過ごす。この頃公開されたストコフスキーの映画「オーケストラの少女」によって音楽を目指すようになる。

1951(S26)
東京都立城南高校卒業。
東京芸術大学音楽学部器楽科コントラバス専門に入学。
病を得て、2年半にわたる休学を余儀なくされる。その間に16、17世紀の絵画をとおして古楽器に興味を持つようになる。回復期にギターでリュート音楽を、やがて河野賢氏の助力でリュートを入手、勉強を始める。

1957(S32)
東京芸術大学卒業。
新発足の日本フィルハーモニー交響楽団にコントラバス奏者として入団。かたわら、60年頃から「東京ゾリステン」(当初は小林健次をコンサートマスターとしてN響、日フィルの有力メンバーによる随一のバロック弦楽合奏団で、ユニークな定期演奏会をもっていた)、「バッハ・ギルド」、現代音楽演奏グループ「ニューディレクション」のメンバーとしても活動した。

1962(S37)
4月読売日本交響楽団入団(1963~64年首席奏者)
この頃、高野紀子氏をとおしてカール・ヴェンデルシュタイン氏に邂逅。彼の人格とガンバ演奏に魅せられ、以来この楽器に熱中することになる(運命の出会い、ガンバ熱の源流はまさにヴェンデルシュタイン氏にあった)。彼に助言を戴きながら高野紀子氏やその楽理科の友人たちと「ルネサンス・コンソート」を結成、1964年1月に初公演(東京文化会館小ホール)。

1964(S39)
3月英字新聞音楽バレエ批評家賞(会長プリングスハイム博士。1963年における活発なルネサンス音楽演奏活動に対して。当時この協会は文化の先導に大きな貢献をしていた。)
6月読売日本交響楽団退団。
9月イエール大学(Yale University, School of Music [Graduate level])入学。1965年9月ワシントン大学に転学、イヴァ・ハイニッツ氏にガンバを師事する。

1966(S41)
9月バーゼル・スコラ・カントールムに転学。ハンネローレ・ミュラー氏にガンバを師事。

1967(S42)
4月帰国。上野学園大学に助教授として勤務、竹内茂、山田貢、多田逸郎の各氏と共に古楽研究室の活動を開始する。

196X(S)
4月、大学器楽科に古楽部門(オルガン、ハープシコード、ガンバ、リュート、リコーダーの5部門)が設置され古楽主任を務める。この間、ガンバに開眼したエンスジアスト(協会設立のメンバー達)に新知識を伝えた。69年から75年まで、オリジナル楽器による室内楽団としては最初の「コンチェントス・ムジクス・東京」(小野万里、木村美穂子、有田正広、本間正史などの各氏が加わっていた)を結成、シリーズ演奏会を続ける。1972年5月第一回ガンバ・リサイタル、於、岩波ホール(以下略す)。

1972(S47)
6月石橋蔵五郎奨学金を受賞、9月~11月ウイーンに留学、アーノンクール氏に師事。

1973(S48)
6月上野学園大学教授、現在に至る。


ヴィオラ・ダ・ガンバ関係論文
1974
11月「ヴィオラ・ダ・ガンバ合奏のための純正律調弦法」上野学園創立70周年記念論文集。概要:ルネサンス期のガンバ合奏を純正律の響きで演奏するための新しい理論。
1989
11月「A Portrait of Friedrich Abel – Iconographical approach to another viola da gamba bow grip」(英文) 上野学園創立85周年記念論文集。概要:ガンバ最後の巨匠と言われたF・アーベルの肖像画の弓の保持法は、伝統的なそれと異なる。これは、一般にアーベルの新しい工夫とされている。しかし、そうではなくルネサンス期のイタリアに端を発する、もう一つの伝統的な保持法であることを音楽図像学的に証明しようとした。
最近の研究演奏
名称:「17-18世紀の歌唱芸術」(シリーズ演奏会、公開) 主催: 上野学園古楽研究室(音楽監督、制作、大橋敏成) 発表年:1987年4月第1回から年2回ずつ、1992年11月で12回を終えた。 概要:デクラメーションと装飾という、一見相反する表現手段によって驚くべき高みに到達したバロックの独唱的声楽作品を、当研究室ならびに欧米の最新の歌唱装飾法研究に基づいて演奏し、これを世に問うもの。この研究室から新久美、来栖由美子、小池久美子などが世に出た。
---- ---- ---- ---- ----

これを書かれてから10年くらいでしょうか、一生懸命に闘病されていました。そして、残念ながら先生はもういません。
---- ---- ---- ---- ----
大橋敏成氏死去 上野学園大名誉教授

大橋 敏成氏(おおはし・としなり=ビオラ・ダ・ガンバ奏者、上野学園大名誉教授)30日午後2時10分、前立腺がんのため東京都目黒区の病院で死去、71歳。東京都出身。自宅は東京都狛江市。葬儀は故人の遺志により近親者のみで行う。日本における古楽復興の草分けとして知られた。(2003/10/31共同通信)

画像3

1年後に開かれた追悼演奏会、映画の中の嵐のシーンのような悪天候だったと記憶しています。

夫人の大橋三恵子さんの描いた音楽の風景。

画像4

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?