(2018年11月)古典派時代の「哀歌」

ハイドンとほぼかぶる古典派の時代の「哀歌」。ハイドンは旋律を引用しただけですが、教会に関わりのあった作曲家たちは、「哀歌」のテキストに伝統的に付曲しています。

フィリッポ・マリア・ゲラルデスキ(1738 Pistoia-1808 Pisa)は、ボローニャのジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニに対位法を学びました。ピサの大聖堂とかかわりが深かった様子。

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グリンデンコは現在もロシアで活動中の様子。ゲラルデスキの動画がありました。

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もう一人。ジュゼッペ・ジョルダー二(1751-1798)の「哀歌」。
オペラも作りましたが、フェルモ大聖堂の楽長が後半生。
2種のジャケットは20年経つとレーベルが変わって。こんなに珍しい作品を酔狂に録音する人が複数いるのかと勘違いしてしまいます。
勘違いついでに、このジョルダー二氏は「カロ・ミオ・ベンCaro mio ben(いとしい女よ)」の作者ではありません。

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「カロ・ミオ・ベン」は、リコルディ社の『イタリア古典アリア集 第2巻』(1890年、アレッサンドロ・パリゾッティ編)で「ジュゼッペ・ジョルダーニ作曲」と記載されたものがそのまま世界中に伝播したものである。インターネット上の情報もほとんどがジュゼッペ作曲としている。
知名度の高い曲目にもかかわらず大々的な調査・研究が行われず、原典についてはほとんど知られていなかったため、世界の多くの出版社、編集者がパリゾッティ版の著作権の切れた後、これを元に改変を施した楽譜を「新版」と銘打って出版し続けて来た事実が垣間見えるのである。
1980年代以後、ジョン・グレン・ペートンなどにより『古典アリア集』の曲目もオリジナルの楽譜が調査され、原典版が作成された。18世紀に成立した歌曲がパリゾッティ版では19世紀様式に改変されている事実が明らかになった上、実はパリゾッティ自身が作曲した歌曲も曲集に含まれていた事がわかってきた。
反面、21世紀に入ってもパリゾッティ版を下敷きにした『イタリア歌曲集』の楽譜も新刊企画が幾つも見られる。楽曲解説でも譜面においても出所不明の改変や旧版の誤りが直されず、無批判に受け継がれている例も多々ある。


マンハイム楽派の「哀歌」もあります。こちらはストラスブールの楽長。
まだ「オラトリオ」の時代が続いていたはずですから、これからも意外な「哀歌」が登場するかもしれません。ハイドンなら「天地創造」とか「十字架上の七言」とか、ミサ曲も残していますから、就職先によっては「哀歌」も書かされたかも。ベートーベンもメンデルスゾーンもオラトリオは書きましたし。

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フランツ・クサーヴァー・リヒター(Franz Xaver Richter, 1709-1789)は、18世紀のマンハイム楽派の最も重要な代表者の一人。
1747年より作曲家、弦楽奏者、バス歌手として、プファルツ選帝侯カール・テオドールの名高いマンハイム宮廷楽団に所属した。1769年にルイ・ガルニエの後任としてストラスブール大聖堂の教会楽長に就任する。リヒターの作品は、バロック音楽の様式的特徴とギャラント様式の要素が結合されている。リヒターは交響曲の始まりにとって重要なマンハイム楽派の巨匠の一人である。
著名な門人にカール・シュターミッツ、フランチシェク・クサヴェル・ポコルニー、ヨーゼフ・マルティン・クラウス、フェルディナント・フレンツェルらがいる。


すっかり忘れていたパパハイドンの嘆きの曲
ハイドン作曲交響曲第26番ニ短調「ラメンタチオーネ」
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第2楽章 Adagio
ヘ長調。第2オーボエは休止する。第1オーボエと第2ヴァイオリンに再びグレゴリオ聖歌のコラールが引用され、第1ヴァイオリンが対旋律やまとわりつくような16分音符の音型で絡め、低弦は規則正しく刻む。ソナタ形式のようであるが、第2主題はコラール主題をハ長調に移しただけである。第1楽章と同じく再現部からはホルンも主題を歌う。これは「インチピト・ラメンタチオ(哀歌が始まる)」という旋律であり、ハイドンはこの旋律をこの曲の他にもしばしば用いている。


哀歌を引用するモーツァルト作曲パリ交響曲

検索してみて、野口秀夫氏の解説がありました。

----7月3日、共にパリに滞在していた愛する母マリーア・アンナが亡くなる。7月9日の手紙では新しいアンダンテが完成したと言っている。これが3/4 拍子のアンダンテで現在シベール社の初版(E) として見ることが出来るものである。スケッチのアンダンテ・コン・モートを元に、ほんの少しだけメロディを変えてある。このメロディの変更の一部は母親の死に密接に関係していると思われるので説明しておきたい。問題となるのは、冒頭の主題である。この部分のメロディ・ラインを抜き出してみると----注意深く見れば、最終稿は聖金曜日に歌われるエレミアの哀歌のメロディに合わせるように変更されていることが分かるだろう。----エレミアの哀歌のメロディは3音目が同音を繰り返すところに特徴があるが変更後はそこまでそっくりである。----モーツァルトの習慣から考え、母親の死後最初に曲を完成させることになるパリ交響曲の3/4 拍子の新しいアンダンテで何等かの哀悼の意を表明することは当然のことであったに違いない。エレミアの哀歌を織り込んだ3/4 拍子のアンダンテはかくして完成し、8月15日聖マリアの昇天の祝日に演奏されたのであった。モーツァルトが7月9日の手紙の中で2つのアンダンテを比較し、「どちらもそれぞれ良い出来です。2つは性格的に違っているのです。しかし、後者の方が私には気に入っています。」と言っているのにはこの様な事情も関係しているのかも知れない----

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「Concertante~1778年のモーツァルト」
大都会パリで書かれた作品群
凄腕集団、フライブルク・バロック・オーケストラによる『パリ交響曲』
ドイツの古楽器アンサンブル、フライブルク・バロック・オーケストラは、リーダーでありヴァイオリンのゴットフリート・フォン・デア・ゴルツを筆頭に名手揃いの個性派アンサンブル。この“コンセルタント”と題されたアルバムでは、モーツァルトの人生のなかでも激動の時期、1778年に作曲された作品を取り上げています。才能豊かな演奏者たちによって繰り広げられるソロが聴きものとなっています。
『協奏交響曲K.297b』ではゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ率いるアンサンブルの名人芸が光っています。
『フルートとハープのための協奏曲』は、典雅なフランス風音楽で独奏楽器の艶やかな音色が際立つ甘美な演奏。
『パリ交響曲』は、モーツァルトがパリ滞在中に「コンセール・スピリチュエル」支配人ジョセフ・ル・グロから依頼を受け作曲。直前に訪れたマンハイムの優れたオーケストラを意識して書かれたためか楽器編成も大きく、最初にクラリネットを用いた作品としても有名です。しかし、母親の死の影響から、第2楽章の第2稿には、エレミアの哀歌が織り込まれており、このCDでもその哀悼のメロディを聴くことができます。凄腕アンサブル、フライブルク・バロック・オーケストラの演奏は、緩急の差、喜怒哀楽の表出力に長けており、作品の壮大さや悲しみを見事に表現しています。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
・協奏交響曲~オーボエ,クラリネット,ホルン,ファゴットと管弦楽のための K.297b(Anh.9)
I. Allegro
II. Adagio
III. Andantino con variazioni
・フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K299
I. Allegro
II. Andantino
III. Rondeau - Allegro
・交響曲31番ニ長調 K.297(300a)『パリ』
I. Allegro assai
II/1. Andante
III. Allegro
II/2. Andante (第2稿)
スザンネ・カイザー(Fl) 
アンネ=カトリーン・ブリュッゲマン(Ob)
ジャビエル・サフラ(Bassoon) 
エルウィン・ウィエリンガ(Hrn) 
マーラ・ガラッシ(Hp)
フライブルク・バロック・オーケストラ
ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ(指)

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