ソコロフを言葉で伝える人

お気に入りのソコロフについて。
モーツァルトのハ長調ソナタ、ハ短調幻想曲+ハ短調ソナタを動画試聴。
いつも眠気を誘われるのに、やはりソコロフはつい最後まで耳を離せず。機会があれば実演を聴いてみたいと思わせます。
普段しないカタカナで「ソコロフ」を検索すると、「ピアニスト・ライター」の千原ビットナーさとみ氏の記事。なかなか筆の達者でもあり、中村さんの後継者候補の発見に喜びつつ、ソコロフの演奏を表現する日本語にも感心。
臆せず弾きながら書くを続けほしいと思いました。


ソコロフの音はまるで水晶のようである。バロック時代の作品で歌手がビブラートをせずに音を紡いでいく、正にあの感じだ。不純物が全く含まれていない。速く軽いパッセージの指裁きや、光を反射して煌めくシャンデリアのようなトリルの輝きに目が眩みがちだが、ソコロフの音楽をソコロフらしくするのは左手のサポートによるものも大きいことを忘れてはいけない。彼は音を一つも捨てない。同じ曲を他のピアニストで聴いた時より断然立体感が違う。2019年の演奏会はコンセルトヘボウの一番後ろの席で聴いたのだが、一番後ろまで澄み切った音が飛んでくるので全く後ろで聴いている感じがしなかった。寧ろ、まるでホールに自分とソコロフしか存在せず、彼が自分の為だけに目の前で弾いてくれているような感じがしたのである。

グリゴリー・ソコロフについてピアニストの私が語ってみる②演奏の魅力編

売文としての記事も書かれています。
やはり中村さん的な社会性の片鱗があるかしら、と。


あえていじわるに言うと、中村さんの演奏はわたしにとってソコロフのようについ聴いてしまう類のものではありませんでした。しかし、彼女の書いた文章はほぼ読んでいます。大変魅力的な文章家でした。さて、千原ビットナーさとみさんは、音源情報が少ないので、海のものとも山のものとも。

いろいろな意味で戒めのように読めてしまいました。
こんないじわるな読み手の世迷いごとになど負けないで頑張ってほしいものです。

音楽家への冴えない批評の一つに、「あの人は技術はあるんだけど表現力がイマイチね」「あの人は表現力はあるんだけど技術がイマイチね」、というものがある。まるでその二つが共存できないかのような物言いである。

グリゴリー・ソコロフについてピアニストの私が語ってみる②演奏の魅力編

千原ビットナーさとみさんには、ソコロフのモーツァルトの通奏低音について尋ねてみたいような。

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