見出し画像

青い花瓶をめぐって

2020年の暮、青い花瓶を買いました。

何に惹かれたのだろうか思っていたのですが、自分の綴ったブログに答えが。
そんなものです。
能島先生の絵と似ているのです。と同時にそこに綴られている作家にも。
ルーシー・リーやボージャンにも。
心地よく騙された感じです。

もとはといえば、浅草橋の古道具屋を訪ねたこと。それさえしなければ、今回の散財はありませんでした。なぜ浅草橋に寄ったのか。
鶯谷のスペイン料理店が、料理バカで美味しいだけだったら、その人が入れ込んでいる器なんて見に行かなかったでしょう。その料理人が、店にリタ・ヘイワースのギルダーのポスターを飾っていて、夏休みに「アコーデオン弾きの息子」を読むような人物でなかったら。つまり、なかなか魅力的な教養人でなかったら。福村龍太氏の器を見ると、料理と盛り付けが浮かんでくる、というようなインスタには注目しなかったでしょう。


そして、覗いた古道具屋の構え、インスタの写真。見ようによっては田舎の郷土資料館の準備室のような。そう、常に準備中の雰囲気が秘密を覗き見ている気にさせます。ただ埃っぽさはなく、洗練された印象を受けます。
能島先生の暗がりに浮かび上がらせる展示方法と似たところかしら。
元々が好みの金彩銀彩、あの準備室風な空間ではついいろいろと質問してしまいます。なぜわたしがそのギャラリーと陶芸家を知ったのか、話さないわけにはいかず、そして思いのほか、料理人と陶芸家が交流していて、素性が知れていて、別段その紹介ではないけれど、話しの勢いで銀彩マグを購入しないわけにはいかず。(もちろん気に入ったので買いましたが)
それだけで終わらなかったのが、今回の数奇な「青い花瓶」。

その変わった古道具屋の、次回展示のインスタの青い作品群に惹かれて、作家を検索したら、どこかで見たことのあるアトリエ入口、わたし自身の自宅の向かいでした。工房というより、密やかに人気の週末陶芸教室。
とまれそれで、製造元と販売所を一気に知りました。頭の良い人なら、製造元で直接買えないか調べるでしょう。しかし、わたしはあの不思議な販売所の古道具屋兼ギャラリーの商売の仕方に関心をもちました。
クリスマス、また浅草橋まで出かけ、自宅前で製造されている器を、きちんと販売を目的にした展示の中で拝見しました。
その作家の目下の必殺技「緑青彩」の器群。今風きっとイケメンの作家さんが在廊していて、自信作なので安売りはしないと、はっきり。それでふと、ああ製造元で買わなくてよかった、と。自信を持って値段が伝えられるのは、そのクオリティに達した作品だけを持ち込み、それを信じて場を提供したギャラリーオーナーの目利き、抱える顧客に対する、作家側の信頼ゆえ。
「銀行でお金おろしてきます」花が咲いた時点で負け、というやつ。
自宅で撮影すると、さすがのiphone様でも雰囲気がでません。関係者のみなさんのインスタ撮影にほとほと感心。



「青い瓶」の作者瀬川辰馬氏について。
下記インタビューを発見。
ますます好い、と。
参りました。こういう共感点があり、それが琴線を震わすということがあるのですね。

詩情ある作品づくりを目指して
瀬川さんのお話を聞いていると、考え方や言葉選びに奥深さを感じます。どのようなものに影響を受けているのでしょう。
「自分と同じようなジャンルの『ものづくり』というよりは、文学だったり映画だったりの『ものがたり』の方が制作のインスピレーションになっていることが多いです。 例えば須賀敦子の文章とか、アンゲロプロスの映画とか、そういう作品の持つ静かで透明度の高い詩情に触れたときの感覚が、作品づくりのための滋養になっているように感じます。」
自分のつくる器にもそういう詩情のようなものが伴って、器を手にとってもらったときに少しでもその空気が伝わればうれしい、と瀬川さんは言います。

平積みになっていたこの本を見つけた瞬間、一番最初に私の目に飛び込んで来たのは、実は表紙の絵柄でした。
「あ、モランディだ!」
「あれ? 須賀さんの全集だぁ!」
表紙の写真は、イタリアの写真家ルイジ・ギリの『アトリエ・モランディ』からのものだということが解りました。
Luigi Ghirri "Atelier MORANDI "

わたしは、須賀敦子の本の表紙に舟越桂はあわない、と思っていました。
全集版のモランディのアトリエの方が好い。
須賀さんの「ものがたり」をわたしは、アンゲロプロスとは結び付けませんでした。
意図的に映像とは結び付けず、名文の妙を味わい、ひたすら想像していました。
わたしが想像すると、須賀敦子の文は、かなりサスペンスがあり躍動します。

余談をひとつ。
実は、ある方へのプレゼントにしようと、もう1個買ったのでした。
気まぐれに、自宅前の作家もので買った、とかなんとか。
なにも理解を求めず、でも器は使うものなので、使って壊していただいて、それでよいのです。
共通の価値観を求めずに、ただ贈りました。
硫化銀彩の取扱説明書は、字が小さく、好きにしてくださいとばかり。
そう、取扱いが悪くて変色変質しても、閉まって死蔵されるよりマシ。
器、「使うもの」つまり「消えもの」でよいわけです。
鶯谷のサルデスカの壁に額装されているくだんの古道具屋、白日のポスターを包装紙に転用。申し訳ないけれどポスターも「消えもの」に。
「クレジットカードは?」「使えますが、できれば現金がうれしいです」「?」「商売を始めるまで、カード決済で手数料を受け取る代金から天引きされると知りませんでした。3万円のお買い上げから1000円引かれてしまうんです」「銀行でおろしてきますから、取り置きしといてください」
ふと、器がくるまれた反故紙を開いてみれば浮世絵----いつか受け取った人が、浅草橋の古道具屋に辿りつきますように----願いを込めて包装しました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?