笑うバロック(654) フリーデマン・バッハ・イム・フィルム1941

いつもながら素晴らしい記事を届けてくださる影踏丸氏のnote。
もうなにもいうまい----リンクの記事がすべて。
かげふみさんというお名前の方(たとえば以前バチカン大使をされたような)は、博識な教養人、という勝手なイメージです。

バロック音楽を楽しむわたしにとって素晴らしい刺激です。
記事の対象が、絶対聴きたくなりますから。
余談の豊かなところも素晴らしい。
そして、わたしは長年の訓練の賜物で、字幕のない映画を言葉を理解しないまま絵だけ見ることができます。
そんなわけで1941年の映画「フリーデマン・バッハ」も。
大河ドラマの予習復習に解説動画を見るように。
改めて伝承された歴史というものは「われらが神の君は」残された文書にはかくかく書かれているけれど、こんな解釈もありでは、と。「雪で立ち往生した列車の中では察するだけで精一杯」です。
連日世界中で起きている、と称されることが津波のように押し寄せてきます。フリーデマンも転生したらヨハン・セバスチャンだったのかも。

余談ながら。
NHKで製作された「犬神家の一族」3時間。戦争で顔を失くした男の取り扱いについて角川映画とは違った解釈で。順列組合せの可能性として、あり得る改変でしたが、製作側と視聴側の間のパズルを難しくすると、なんだか登場人物は生気を失ってみえ。角川映画を観たとき、高峰三枝子の松子が息子の帰りを待ってくれるか珠代に訊ね、「犬神家の呪縛から解いておやり」と息子に投げかけ、事件の後に成就する恋があることが、物語らしくて好ましく思いました。テレビ版は視聴者に物語(ご都合主義でも構わない)を受け入れ楽しむ余裕みたいなものがなく、製作側の前に映画を観て知っているひとを騙すことに成功したドヤ顔にどこか蛇足ではと感じました。


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