笑うバロック展(351) チェコの人たちのゼレンカ

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Zelenka: Officium Defunctorum/死者のための夜課
Collegium 1704
2011年秋の聴取。ドレスデンの、ゼレンカの洗練がよく伝わってきます。ただ声高に悲しんだりせず、思わせぶりに厳粛だったりせず、熟達した作り手が、いつものフィギュアをていねいに積み重ねていった感じ。アウグスト強王の葬儀のための夜課、静かだが力強い音楽。ひょっこりとライトヘラーのシャリモーなんかが耳新しく響きます。ドレスデンとプラハは思ったより近いのです。しかし、ドレスデンはライプチヒとも近く、この演奏を聴いているとバッハのOVPPに批判的な人がいるのもちょっと納得。
(いつもネット上のゼレンカ専門の素晴らしいサイトを参考してます。同じようにして、わたしの好きなルソン専門サイトを立ち上げてみようかと思ってしまいます。しかし、なんて立派なサイトなのでしょう。未更新の期間を置いてもたゆまず継続が素晴らしい。ゼレンカ紹介という本来の目的から決して逸脱することなく、自己満足サイトとは一線を画しているのがよくわかります。)
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「ゼレンカ・サイト」には、このCDの音楽祭でのライブ動画がリンクされています。ルクスたちの勇姿を感動を持って拝見しました。ユーチューブで観ると、次にはシトリンツルがジャルスキとゼレンカのアリア集コンサートを開いたことがわかります。
5、60年前でしょうかイムジチの四季がでて、一種の民族主義みたいな様相になり、古楽的リサーチの下に、マリナー、ホグウッド、ケネディ版が続き、ある意味グローバル化。そしてその後にまたお鉢はイタリアに戻り、ビオンディたちが、アントニーニたちがヒットを飛ばすという具合。こうした狭間にハイってしまうと、強烈に描写的なアーノンクール版でもなんとなく目立ちません。イタリアのグループの四季というブランドと、チェコのグループのゼレンカというこの共通項が良いのか悪いか、感慨深いものがあります。スプラホンとかフンガロトンとか、もともと社会主義国時代の影響下の製作もたくさんあるでしょうから、当然ですが。
スプラホンでミスリベチェクのバイオリン協奏曲集とか、やはり「ならでは」のものですし。コダーイの合唱作品などのフンガロトンのシリーズは世界遺産級でしょうし。ゼレンカは、スメタナやドボルザークのようなトラッドなところはありませんが、やはり採り上げるときの意気込みや情熱には絆されてしまいます。
ゼレンカは、流れ的にはホリガーがオーボエレパートリーの開発途上で注目したのが、始まりかしら(1972年)。(ゼレンカとルブランの発見は偉大なホリガー遺産では?と)ベルニウスの合唱曲を採り上げるタイミング(80年代後半?)とヤコブスの哀歌(1982年)とどちらが早いかしら。デーラーのレクイエム(1984年ころ)も早そうです。スイスが古楽の中心のひとつで、それを取り巻いて対抗する勢力と様々な音楽の発見に活況を呈していた時と場所でしょうか。それがチェコに移動したということ?
いずれにしても、検索によると≪本来は「ボヘミア人」という意味の「ボヘミアン」という語を、比喩的に「定住性に乏しく、異なった伝統や習慣を持ち、周囲からの蔑視をものともしない人々」という意味で使い始めたのはフランス人で、その起源は15世紀にまでさかのぼる。これは当時フランスに流入していたジプシー(ロマ)が、主にボヘミア地方(現在のチェコ)からの民であったことがその背景にある。≫
ジャケットの写真はプラハの時計台ですね----素晴らしい造形をいち度観にいきたいものです。

デーラーのハ短調レクイエム(1730年)のレコ芸輸入盤短評要約。----ウィーンでフックスに学ぶ。ドレスデン宮廷のコンバス採用。教会付に抜擢。ドレスデンのために奉職作曲する。カトリック改宗10年でレパートリは手薄。典礼のために作曲し、ほかの作曲家の作品も収集。自作の整理をていねいにしたゼレンカは、ドレスデンの図書館に手稿保存。ただここにはニ長調レクイエムのみで、ハ短調版はプラハ音楽院に。おそらく晩年の作風。作曲使用の目的は不明。作品の「美しさ」は、「哀歌」に比肩。悲劇的なハ短調だが、根源的な慰めを感じさせる優美な旋律の明滅。「怒りの日」の旋律のリズム刻み。慈愛に包まれるラクリモサ合唱。きりがない。この素晴らしいレクイエムは1984年の聖金曜日にベルンでベルン室内管、合唱団が蘇演。指揮はデーラーだった。

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