(2011年3月)日本における実演データ コロンナ

画像1

「哀歌」に寄せて
「朗誦は イタリアの暗黒の夜を経て 東京の闇へ」(山内房子氏記す)
--世の中には、こんなに、あんなにたくさんの「哀歌」が存在するのに----
 フランソワ・クープランの「ルソン・ド・テネーブル」をご存知の方は多いと思います。3つの部分からなるあの美しい曲は、旧約聖書の「哀歌」をテキストに、復活祭の前の聖週間に歌われるように作られました。残されているのは、聖水曜日の夜課のための曲です。ヘブライ語のアルファベットを甘美な装飾で綴るメリスマも、ラテン語の劇的なテキストの朗唱も、そして終曲の2声のからみ合いも、聴く者をうっとりさせ、歌う者を奮い立たせる真の名曲だと思います。後にも先にもこれひとつ、これこそ「哀歌」の代表格である・・と言いたくなってしまうほど見事な音楽なのです。が、これ1曲で終わってしまってはあまりにもったいない。世の中には、こんなに、あんなにたくさんの「哀歌」が存在するのに。
--【問い】「エレミアノ哀歌」と聞いてピンとこないのですが、誰がどのような曲を書いたのでしょう?
--【答え】とくにルネサンスからバロックにかけて、実に多くの作曲家が多種多様の作品を残しました。ルネサンス期はおおむね4声以上の多声曲ですが、バロック期になると様々な楽器が加わり、歌はソロだけであったり重唱であったり、とにかく、あらゆる手を尽くして、作曲家がテキストから読み取った「ドラマ」を音楽で表現しているのです。同一テキストに曲をつけていますから、聴き比べるのもたいへん面白いものです。
 わたしが「哀歌」に興味を持ったのは、第一に、歌うたびに新たにテキストを訳さなくてもすむから、というナマケモノ特有の許すべからざる理由からなのですが、いくつかの作品を歌ううちに別のワケにも気づきました。「発音することが快楽である」単語が多いということです。ひとつの単語から、その言葉本来の意味とは関係なく、色や景色が浮かぶのです。キリスト教に帰依しているわけではないので、宗教的な興味で音楽を取りあげているのではなく(すいません)、言葉が持つ音の魅力に心底ホレているのです。わたしの好きなこれらの言葉を、作曲家がどう表現するのか知りたくて、楽譜を集めたり演奏会で取り上げたりしています。そしてうれしいことに、「この「エレミアの哀歌」は名作が多いのです。

--パリの図書館で出会った「コロンナ」
 数年前パリへ旅行した際、ヒマを持て余したので国立図書館へ行き、楽譜のカードボックスのカードをくくって時間を潰しておりました(趣味)。Aをいい加減に見てBもダダッと走るように見て、Cが進んだところで突然、知らない作曲家の「哀歌」が目に飛び込んできました。それが、コロンナでした。さっそく楽譜を出してもらうと、聖水曜日・聖木曜日・聖金曜日それぞれ3曲、計9曲すべての哀歌が収められていました。各日1曲ずつソプラノ、アルト、バスのソロ作品として書かれておりましたが、わたしはバスの声は出ないので、ソプラノとアルトの6曲分をコピーして持ち帰りました。そして、それっきり忘れてしまいました。(この時点ででは、熱烈な思いはなかった)
 ところが昨年の春、ソプラノと通奏低音だけで演奏できる曲を大至急用意する事情があり、家中の楽譜をひっくり返して見ていた時、偶然そのコロンナに行き当たりました。歌ってみてビックリ、とってもいい曲だったのです。(悔しいことに、そのままの高さでは歌えないアルトの曲がまた素晴らしい)こうなると残してきたバスの作品も、どうしても知りたくなるものです。それで、パリに住む知人に頼み、残りの3曲も手に入れました。楽譜が揃うと道のりに従い、今度はど゜うしても音にしたくなります。素直な音楽家なのです。自分で歌わなくても、その曲に相応しい声の声の歌手におまかせすればいいのです。これはもう、ぜひとも実現させねば!(思い入れが一気に高まった瞬間)コロンナ氏を聴衆に紹介したい、そう思ったのです。
 コロンナは、17世紀後半のボローニャで活躍しましたが、彼の哀歌には、17世紀初期から中期の趣味が反映されているような印象があります。そして歌のパートが、オルガン曲のような音の動き方で書かれているように感じられます。これは、あくまでもわたし個人の意見ですが。

--あのメランコリックな旋律を書くドゥランテだもの、「哀歌」もきっとすてきに違いない。
 続いて、作曲家ドゥランテ。声楽を勉強したことのある方は「愛に満ちた乙女よVergin tutto amor」という曲を記憶していらっしゃいませんか?ピアノ伴奏の右手が、悲しげな3連符の和音を連打する、あの曲です。それは「ソルフェージュ」用に書かれた小品であるらしいのですが、あのメランコリックな旋律を書くドゥランテだもの、「哀歌」もきっとすてきに違いないわ。実は他の作品は全然知らないのだけれどDと、期待と不安が半々で楽譜を覗いてみましたら、ええ、文句なく美しい作品です。さすが、オペラよりも教会音楽に才能を極めたと評された人です。あのポルポラやレオ(今やマイナーな名となってしまいましたが、当時は超有名人)らが次々と新作オペラを発表していたナポリに於いて、です。3声(ソプラノ2声とバス)と通奏低音という編成のものを選びました。深刻すぎず、浮き足立ってもいない、落ち着きのある作品です。こうしてドゥランテ氏も、もっと知っていただきたい作曲家になりました。

--現代の哀歌
 さて、そうこうするうち、それでは現代の哀歌は、どのようなものになるのか、という興味も湧いてきました。杉本ゆりさんは、聖グレゴリオの家で、古い音楽を研究しつつ新しい作品を発表していらっしゃる方で、わたしの好奇心を満たしてくださるのに、理想的なパートナーです。杉本さんの作品はいくつか歌ったことがありますが、厳しく、骨太な中に、甘い液体が流れる瞬間のある、なかなか手強い音楽を書く女性です。実は、哀歌は昨春には完成していたのですが、諸々の理由により発表が1年延びてしまいました。今回のコンサートで演奏するのを、とても楽しみにしています。(山内房子)

画像2

コロンナの哀歌を紹介するチラシ。確か山内さんも上野学園で歌ったことがあると記憶しています。結局こちらのマネジメント会社は継続することは敵いませんでした。こうした音楽会も継続ができなかったようです。
しかし、先生が亡くなって年が明けた最初の聖週間にこうした演奏会があった、というのもまた興味深いものです。
先生とはいくつかのコンサート鑑賞をご一緒させていただきましたが、同業者たちに対して大変愛情豊かに聴かれ、正攻法の思い切りのよい演奏に賛辞を表わし、へつらいやこじ付けのような表現には手厳しかったものです。お弟子さんがバッハのト短調ソナタを弾いたとき、宮城で一緒に聴いたのですが「暗譜で臨むので弾きたい」といったのです、とにこやかにおっしゃってました。
小池久美子さんの一時帰国リサイタルが、モーツァルトのドイツ語とイタリア語のリートを並べたので「ジャガイモとオリーブが並んだ感じですね」とわたしが言うとニコニコ笑って、一緒に聴いていた同業者にその感想を紹介してくださいました。一方後輩がパンフレット解説に本居宣長を引用していたのを見て、専門家が西洋と東洋をよほどの根拠もなく結びつけることには危惧を感じていたようです。上野学園のホールでは能などの公演もありましたが、先生は自分は古いタイプの音楽家なので、一度も鑑賞したことがない、自分が研究している西洋の文化を、簡単に血の中にある「わかりやすさ」に結び付けて共時的に語るのは、違和感を感じるといっていました。

画像3

クープランは最近でも、取り上げられることはあります。残念ながら聴けませんでしたが。村上さんは、ミサワからフランス・バロックのエール・ド・クールを出していたと、やはり記憶しています。

大袈裟に騒ぐつもりはありませんが、こうした演奏会のチラシや情報にであう度に、大橋先生のミームが「ソステヌート」しているなと感じます。山内さんの文章は、うーんもう少しお勉強が必要かしら。しかし、正直に感想を書かれ、主張されているところは、やはり日本人女性音楽家のDNAを感じてしまいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?