笑うバロック展(125) 「初録音」レースの時代1970年代

opus111というレーベルで、クリストフ・シュペリンクが、バッハのメンデルスゾーン版「マタイ」の初録音に成功と。
1980年代から、「初録音」がちょっとしたブームになっていました。
シュペリンクは、メンデルゾーンの「賛歌」交響曲、ケルビーニのレクイエム、シューマンの「バラの巡礼」など、次々。
始まりは、どこの誰かしら。
ひとりはEMIから、ロジャー・ノリントン。ベートーベンの第九やブラームスの交響曲。みなが慎重に進めていたら、トンビが油揚げを浚うように。ノリントンは、1970年代からシュッツ合唱団を率いて、シュッツ、モンテベルディからブルックナーまでいろいろ。1987年に「第九」。その後1990年くらいまでに交響曲全曲とメルヴィン・タンとのピアノ協奏曲全曲。さらに後、1996年までにブラームスの交響曲とドイツレクイエムを。すごい名演だったかというと、とりあえず水準以上の録音くらいかと。
消費大国イギリスで起きたブームは、前後に大企画を生みました。
そうかこのレースの大元はやはりバッハの録音かも。アーノンクールとレオンハルトが1971年から1989年までの18年をかけて完成した教会カンタータ全集。本格的時代考証のもと、作曲当時の演奏様式を再現するべく3曲のソプラノ・カンタータ第51番と第52番、第199番を除いて、オール男声で演奏された初の全集企画として有名。LPにはスコアもついていたと記憶しています。
その後モーツァルトの交響曲をホグウッドは1978年から1985年まで、モーツァルト研究の第一人者であるニール・ザスローの協力を得て、奏法や楽器編成、作品解釈などについて徹底した研究、その結果、序曲やセレナードなどもシンフォニーとして採り入れ、収録作品は偽作も含めて実に71曲に達し、かつてない規模に。
1983年から1995年にかけハイドンにも挑みましたが、英国の不景気と共に81曲で頓挫しました。ベートーベンでは、ホグウッドが第九に向かって取り組んでいるときに、ノリントンは第九から始めたのだったと記憶しています。
その後は、それにガーディナーやピノックらのアルヒーフ勢も絡んで、誰が先に幻想を録音するか?とか、ワーグナー一番乗りは----などと。
当時はみな興味本位だったけれど、帯に短しタスキに長し感を強くしたと思います。
なんだか不毛な話題ですね。

それよりやはり、例えばこんな「初録音」の方が好い。
ホグウッドが1979年に世に問うたルベルとデトゥーシュのふたつのバレエ組曲「四大元素」。LPで持っていた貴重なホグウッド盤でした。----ルベルの「四大元素」は教会旋法によるトーン・クラスターという当時としては極めて実験的な作風を用いたことで知られ、ホグウッドの演奏も発売当時、冒頭の「カオス」の不協和音で話題を呼んだ----。
ホグウッドは同じ年、彼の研究対象であったヘンデルの「メサイア」も録音します。ホグウッドが、この作品の作曲当時の演奏形態を再現しようと、1754年に捨子養育院で行われたコンサートの関連記録から、演奏者への支払い明細書などによって割り出した楽器編成を元にしたものです。
どうも「メサイア」全曲の古楽器による初録音は、当盤の様子。

画像1

画像2

1973年、ラプティトバンドのデビュー盤。あのトルコの儀式の古楽器によるきっと初録音。

画像3

1978年ウィリアム・クリスティによって結成されたレザール・フロリサン。この団体の名称となっているシャルパンティエの傑作、音楽劇「レザール・フロリサン(花咲ける芸術)」の録音。1981年。素晴らしい命名。でも考えてみればグループ名がアルバム名というのはポピュラーなジャンルに近いかも。

画像4

1974年、テルツの仕事のひとつ。アーノンクールとの仕事も好いけれど、記念碑として。

画像5

アーノンクールはラモーの「カストルとポリュックス」を1972年に。合唱はエリクソンを起用しています。アーノンクールは合唱団を見る目がよいです。

画像6


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?