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笑うバロック展(126) 「うがい唱法」のベックマン

ベックマンの「何故にかくも都は荒れ果て」を収録したCD。
ベルデン率いるラルモニアソノラの演奏。2009年ころ。
Harmoniae Sacrae
Hana Blazikova, Peter Kooij,
L'Armonia Sonora, Mieneke van der Velden
ハナ・ブラシコバのソプラノが大変印象的です。バリトンのコーイは声が明るく軽すぎ、小器用な印象。
ブラシコバは、ゼレンカ、ブクステフーデ、カルダーラあたり、ディッキーのツィンクと競演したり、聖母マリアのカンティガを歌ったり。ベックマンも「歌う語る」のバランスもよく、時にややメタリックな「うがい唱法」もクラシック音楽らしく響かせている節度が感じられます。

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なぜこの曲が目立つのかしら?
ソプラノの「うがい唱法」が目立つ原因だとわかりました。わかっていたがなんという名称の技巧なのか知りませんでした。調べてみると----バロック時代の声楽技巧の基礎をなすアジリタは、うがいを行なうように喉を震わせる「うがい唱法 cantar di garganta カンタール・ディ・ガルガンタ」(カント・ディ・ゴルジア canto di gorgia とも称される)により可能になる----の一文を発見しました。言われてみればなるほど「うがい唱法」とは言いえて妙です。そしてブラシコバのこの「うがい唱法」の惚れ惚れする見事さ。本当に「感情表現を豊かにする装飾(バロック歌唱の本質)」と聴こえます。
水谷彰良氏の「ロッシーニとベルカントの歌唱技巧」の講演資料の中に。その第一部「ベルカントとは何か、18世紀末までの声楽技巧の発展」から引用しました。
せっかくなのでさらに引用させていただきます。

◎装飾的で技巧的な歌唱の誕生(1570~80年代のフェッラーラ)
ベルカントのはじまりは1570~80年代の北イタリア、フェッラーラ宮廷における「貴婦人たちのコンチェルトconcerto delle dame」の活動と、彼女たちのもたらした歌唱の転換に求められる。
1575年か少し後にそれ以前とは非常に異なる或る歌い方が始まり、これが続く数年間に、一つの楽器の伴奏に乗せて独唱する歌い方の原則となった。[中略]そしてマントヴァとフェッラーラの貴婦人たちの間で、素晴らしい能力を競い合うようになった。音色や声の配合だけでなく、過剰に走らず適切な音の連結から導かれる優雅な楽句を競うのである。[中略]そして声を強くもしくは弱く増減し、細くあるいは太くしながら、時には声を長く延ばし、時には甘美な溜め息でそれを途切らせ、時には長い装飾楽句をレガートやスタッカートで付け、グルッポ、跳躍句、長いあるいは短いトリッロ、甘くか細い装飾楽句を伴い、そこから不意にこだまの応答が聞こえる。そして音楽と言葉の概念に適った顔の表情、眼差し、身振りを付け、決して身体や口や手の下品な動きをせず、言葉を非常にはっきり発音することによってそれぞれの単語の語尾を聞こえるように歌い、パッサッジやその他の装飾で言葉を途切れさせたり押し隠したりすることはなかった。(ヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニ『音楽論Discorso sopra la musica』[1628年]より)
 ◎◎感情表現を豊かにする装飾(バロック歌唱の本質)
装飾は詩句に備わる感情を豊かに表現するための手段であり、そのための技術の発達をみた。なかでも重要なのが平易な旋律を細かな音符に歌い替える「ディミヌツィオーネdiminuzione」(デミヌツィオ / ディミヌツィオdeminutio / diminutio[羅]、ディミニューションdiminution[英]語義は「縮小」)と呼ばれる技術で、このディミヌツィオーネが装飾・変奏・即興の基礎をなすと共に、細分化された小音符を敏捷に歌う技術として「アジリタagilità」(声の敏捷さagilità della voceの略)が発達を遂げた。バロック時代の声楽技巧の基礎をなすアジリタは、うがいを行なうように喉を震わせる「うがい唱法cantar di garganta」(カント・ディ・ゴルジアcanto di gorgiaとも称される)により可能になる。
 ◎◎◎初期のオペラに引き継がれる宮廷歌手の技巧
例1:モンテヴェルディ《オルフェーオ》(1607)第3幕〈力強い 精霊よ〉
 ◎◎◎◎カストラートによる声楽技巧の完成
バロックから古典派の時代における理想的歌手がカストラートcastrato[伊]だった(エヴィラートevirato、ムジコmusico、エウヌーコeunucoの名称も使われる)。カストラートとは少年期に手術して人工的に変声を止めた男性ソプラノや男性コントラルト歌手を指し、その声は柔軟さと力強さを併せ持ち、驚くほど長く息を保持でき、コロラトゥーラのパッセージを敏捷に歌うことができた。その秘密は、変声前の去勢で人為的に獲得した特殊な発声器官を、大人の肉体と肺活量で活用したことにある(その声は輝かしく小回りの利くピッコロ・トランペットに譬えられる)。奇跡的歌唱で一世を風靡したカストラート、ファリネッリ(1705-82)に関する証言を次に掲げる。
「----(ファリネッリの歌唱は)法悦だった! 感激だった! 彼の兄が作曲した有名なアリア〈私は揺れる船のようにSon qual nave ch’agitata〉において、ファリネッリは最初の音をとても柔らかく歌い始め、それをまったく段階を気づかせずに驚くべき強さへと膨らませ、再びそれを和らげていった。そのため5分間も拍手が鳴り止まなかった。次に彼は、輝かしい巧みな速さで続きを歌い始めたため、当時のオーケストラは彼の拍子についてゆくのが困難になってしまった。[中略]しかし、ファリネッリが他の歌手より優れていたのは速さだけではなかった。彼は他の偉大な歌手それぞれの卓越した要素を一人で併せ持っていたのである。彼の声には力と艶と幅広い音域があり、その歌唱法には繊細な情緒、優美、テンポがあった。彼以前も以後も、一人の人間に同時に見出すことができない多様な長所を彼は具えていた。----」(バーニー「フランスとイタリアにおける音楽の現状」1770年8月25日)

引用されている、モンテヴェルディ作《オルフェーオ》(1607)第3幕〈力強い 精霊よ〉は、ナイジェル・ロジャースの歌唱を聴いて最初何の影響下なのか不思議に聴こえました。モヤモヤしていましたが、説得力ある解説が登場してうれしいものです。すぐに検索できるネットにも感謝。

うがい唱法について。
モンテベルディやカッチーニでは使用され、ベックマンでも使われるのですが、バッハ、ヘンデル、テレマンは採用されず、飛び越して、グラウンでまた使われる、バロックでは主にオペラの技法?カストラートが必要?ドレスデンの作曲家たちの技巧的歌唱の中にはアジリタと考えてよさそうな曲もあり。バッハの曲には自由なカデンツァも見受けられず、装飾も書き込まれたものが多く見受けられ、技巧的な曲を技巧的に歌唱しない意図的な演奏が多いのかもしれません。

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ブラシコバの録音風景とプレス用ポートレート。録音はカヴァルリのアリア集。この人はうがい唱法まで美しい。技巧的な装飾歌唱を歌い終わった直後の表情をyoutube上でファンが褒め称えていました。賛成。このカヴァルリ・アルバムはヌリア・リアルとの豪華競演盤----なのですが、なにしろカヴァルリですから。

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