笑うバロック展(294) そこにピッコロがあるから

ビルスマの解説を訳してみました。もちろん豪傑訳ですが。
ビルスマは1979年おそらく世界初、バッハのニ長調組曲を5弦のチェロで録音し、それ以前の1975年ブリュッヘンのフルートソナタ集中で、イ短調パルティータの楽章を試みに移調編曲しています(4弦チェロ用だったかもしれませんが)。1988年にバイオリンン用のホ長調パルティータ1006とイ短調ソナタ1003を移調せず、フルート用を移調して録音しました。全曲チェロピッコロを使用した、最初の録音と思います。再発見した楽器を、ソロ楽器として定着させる努力の一環といえそうです。かれはその後もシューベルトのアルペジオーネソナタにも使用しています。他の奏者たちも、倣ってバッハのカンタータやビバルディの協奏曲に適宜使用したりしています。フンガロトンのマテ盤は、1012、1013と5弦用と想定して、正確な理由は読んでいませんが、1012ニ長調、1013をニ短調に移調しました。
個人的には、ビルスマのニ長調の登場で、プレリュードの演奏時間が5分以上から5分未満に変わったように思います。ロストロポービチがインタビューで輝かしいコンチェルトだといっていた、その輝かしさとビルトーゾ性が感じられるようになったと思います。
豪傑訳ですから、かなりいい加減です。

The Violoncello piccolo (A・ビルスマ)
音楽史上で、時間経過の中で様々な楽器が作られるが、それらは特定の「ファミリー」に分けることができる。チェロは、バイオリンファミリーの父と考えられている。
バイオリンと比較して、この楽器は音域の割にかなり小さすぎ、特性の違う音色を持っている。バイオリンファミリーの作られた初期、今日のものより大きいチェロは16世紀には既に存在していた。この初期の楽器は、おそらくBフラットで、1音低くチューニングされた。時の経過で開発された様々なチェロは、その後の偉大な楽器たちと分けらけた。
今日は1/8-、1/4-、1/2-、3/4-と7/8-sizeのチェロがあるが、歴史上、5弦を持ついくつかのバリエーションが存在した。バッハの第6組曲は、おそらくそのような楽器で演奏した。これはタイトル•ページに指定されていると聞いている。Cからgの範囲は、「バイオリンのための」のそれと対応する。バッハは、おそらくヴィオラポンポーザを想定している。5弦のチェロ•ピッコロは、はるかにきれいに聞こえる。
チェロ•ピッコロは18世紀後半まで役割を果たしていることが容易わかる。バッハは彼のカンタータのいくつかでオブリガート楽器としてそれを使用した。アンドレア・カポラレというロンドンのヘンデルのオケのソロチェリストが、小型の楽器を高く評価したことが知られている。これは、「L'アレグロ、IL Pensieroso ED ILモデラート」のようにヘンデルのオラトリオ作品の特定のオブリガート部品によって確認できる。
18世紀後半でも、この楽器のための協奏曲は、サンマルティーニによって書かれ、ロンベルクの息子が1オクターブ高いチューニング楽器を用いて行っている、とロンベルクの伝記にある。ひとついえるのは、高音のハイポジョンのための親指位置の発明は、このチェロ•ピッコロの消失を招いたといえる。
時が経つにつれて、チェリストは、常に同じひとつの楽器を持っている快適さが標準化されることに賛成した。しかし、それは色調が画一化し失われることになる。随時、例えば弦楽四重奏のような低音楽器を使用する場でヴィオラとチェロの間にハイブリッドを導入する試みがなされている。既存のレパートリーのための楽器を付加することはできないので、これらの試みは失敗に終わっている。弦楽四重奏団のバイオリンやヴィオラが、完全なオクターブ下にチューニングする試みなどは、想定できない。第二の「バイオリン」?
19世紀の初めに使用されていない小さなチェロが存在した。ここに特定の新しい教育の意図に対応する現象を観察することができる。子どもは、小さな大人ではないという考え方は音楽に反映されていく。モーツァルトはまだ父親の楽器でバイオリンを弾くことを学んだ。しかし、現在では、小さな手のための適した楽器が求められる。低音楽器の場合、一つの解決策は、既存のチェロ•ピッコロの転用だった。
しかし、多くのものが忘却の淵に素早く沈む。それはほんの数世代かかって、完全に忘れられた。今では、既存のピッコロのモデルによると偉大な数字で構築 子供のチェロは、実際より高い文字列ではなく、通常のものを必要とした。現代のチェロのチューニングはCGDAの"正規の調弦"。
小さいチェロはこれでとんでもない音がでる。この録音のために、私は意図的に、本物の子供の楽器を使用。
Neuner Hornsteiner ノイナーホルンシュタイナー(ミッテンヴァルトc.1825)。それはまだ、私が使用していない、オリジナルのTomastikテールピースとテールピンを持っている。
私はG弦までadGは銀コートされたガット弦、cは普通のガット弦、e弦ついては、私はどの店にも置いていたdガンバの弦を使用した。その時点では慣習だったのでチューニングは、半音低くなっている。
私のバロック弓はハーグBouman作、オランダで10年ほど前に作られた。
私が使用したfingerlngはチェロのものよりもバイオリンのようなものにした。
当然のことながら、私は現代譜からではなく、オリジナルマヌスクリプトを使った。
フルート・パルティータは、唯一の現代フルート奏者を通して私たちが聴く作品だが、オリジナルは弦楽器用の可能性が高い。
イ短調からト短調に移調したのは、ニ長調組曲や無伴奏バイオリンの高音弦の使用範囲から考慮して、アルマンドの最後の最高音が高過ぎると感じたため。フルートの低いD音は弱く静かなため、その時々にオクターブ高く演奏せざるを得なかったところがあると感じていた。
何千もの子供のチェロがチェロの先生の所持になっている。同様にこれらのかなりの数の中にまだ保存されているviotoncello piccolloがある。この録音が、多くの同僚のための刺激になれば、それは確かにとても楽しいことだ。

鍵盤奏者の渡辺順生氏のサイトにビルスマのインタビューが掲載されていて、下記のビルスマの言葉が印象的。
「バッハは、よく知られているように、作曲だけでも大変に多忙でした。彼が長時間の机上の仕事に疲れた時、彼は痛む背中を伸ばし、気分転換のために好んでヴァイオリンやヴィオラを弾いたのではないでしょうか。彼が、お気に入りのヴィオラを取り上げて弾いたのは、《チェロ組曲》だったかも知れません----これには、何の証拠もありませんが。バッハがチェロを弾いたという話は聞いたことがありませんが、《チェロ組曲》はヴィオラで弾く方がずっと易しいのです。この議論の論拠となるのは、《チェロ組曲》全体の中でほんの10箇所ほど、普通のチェロでは左手で押さえるのが非常にむずかしい和音が出てくるのです。でも、ヴィオラで弾けば何の問題もありません。
私が、ここでお話ししたことの多くは、ほとんど証明することの出来ないものばかりです。どちらかと言えば、「問題提起」に属することばかりですが、こうした事柄が私の想像力を掻き立ててくれるのです。」

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上は5弦の映像。ちなみに下は同じ高音のあたりの4弦の映像。

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