笑うバロック(324) フルトヴェングラーの方から来たバロック
ある人はジャズのような即興的な熱さと言っていました。それがチェンバロのピシュナー、ガンバのハウプトまで、3人とも同様に突っ走る演奏。「演奏を聞いた聴衆が熱狂的に興奮させられる」と、さもありなん。いわゆる、現在のわたしたちが知っているバロック音楽の「古楽器」の演奏とか、オリジナル楽器による、とは明らかに一線を画した本来の意味のシンギュラリティの高い音楽かもしれません。終いのコーダの装飾と音を切るまでの長さがなんともいえません。イネガルとは明らかに違う不均等なリズムを要所で聴かせます。
1992年頃にでたCD。マレが同じ音源なのか判然としません。
とはいえ、フルートのシュミッツは日本人には教則本で親しい方。
チェンバロのピシュナーは、オイストラフとバッハのソナタ全曲を録音したり。オイストラフは思いのほかバロックを録音しています。ルクレールの作品9-3「タンブーラン」。タルティーニ「悪魔のトリル」。バッハのトリオ1037。ヴィターリ「シャコンヌ」。ベンダのトリオソナタ。
変わったところではヤノシュ・リープナーという弦楽器のバリトン奏者と共演したり。ラクロワとは一線を画す仕事っぷり。
写真のリープナー氏の経歴。あまりに多彩多忙の方なので、綴っておきます。
7歳から個人的に、その後ブダペストの音楽学校でチェロのレッスン。同時にラスロ・ライサの下で室内楽と作曲を学び、その後パリ音楽院でモーリス・マレシャル、ピエール・フルニエ、ポール・トルトリエ、ジョセフ・カルベットに学びました。1947年から1985年までブダペストフィルハーモニーと国立歌劇場のソロチェリスト。ベルリンのドイツ国立歌劇場にも。1969年からリンツのブルックナー管弦楽団とORF室内管弦楽団のソロチェリスト。そして理由は不明ながら同時期、科学とジャーナリズムの仕事が始まりました。1945年から1989年の間に、約1,000のテキストとレビューが国内外の新聞や雑誌に掲載されました。彼は文化誌「IrodalmiUjság」(ブダペスト)の音楽、オペラ、バレエの評論家であり、「Opera London」の記者であり、「Revue Musical Suisse」「The Consort London」「Muzsika Budapest」に多くのエッセイを寄稿。彼は3つのエディションで出版された「モーツァルト・オン・ザ・ステージ」の著者。しかも彼は、ハンガリーとオーストリアの3 つの室内楽アンサンブルの創設者兼ディレクターも。彼はドイツ国内および海外でコンサート、ラジオ、テレビに活躍しました。
1957年以降、約1世紀の間忘れられていたバロック楽器のバリトンが人気を博しました。その後の30年間、リープナーは200の伝統的なレパートリーと12の現代的な作品を作り上げました。そのための講義やコンサートツアーでヨーロッパや海外を巡り。イギリス、オーストラリア、日本でも講義やコースを開催、一時このジャンルの唯一の国際代表でした。
リープナーは、ラジオ、テレビ、映画の脚本、オペラの脚本作者でもあります。彼はオペラを監督し、いくつかの短編小説や詩を書きました。元歌手の妻のアグネス(2015年2月17日没)とリンツに住んでいましたが、同年5月20日、彼女の直後にそこで亡くなりました。
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