講座・笑う「いい加減」バロック音楽(4)

第4回 「身勝手クラシックの最終兵器」

西洋音楽を学校で習うとき、必ず登場するのが音楽の3大要素です。
「メロディ=旋律=歌」「リズム=拍子」と「ハーモニー=和声」です。
そもそも西洋人は「3」が好きなのですが、最後の「ハーモニー=和声」は実はクラシック音楽に特有な要素です。
こういうと音楽に詳しい人から叱られそうですが、20世紀前半クラシック音楽は破竹の勢いで世界制覇を敢行します。まるでイエズス会みたい。
西欧列強諸国が他国を侵略し植民地化した時代、軍事的侵略だけではなく、文化的侵略も行われます。言語や食品にいたるまで。たとえば、大英帝国は太陽の沈まない国といわれます。それは植民地化した国が世界中に広がり、必ずどこか昼の場所があることをさしました。
ところで戦争といっても、のどかな時代もありました。
もともとヨーロッパには軍楽隊とか行進曲とか、太鼓がなかったといわれています。それはトルコとの戦争によって知ったといわれています。トルコ軍は行軍のとき必ず楽隊を伴い、派手に太鼓を鳴らしながら攻めてきたそうです。

(トラック1)「1608年ベオグラード包囲の際の兵士の行進曲」ケチュケーシュ・アンサンブル

トルコ軍はウィーンを包囲するところまで攻めてきます。そのためトルコ軍はヨーロッパ諸国にたいそうな恐怖心を植え付けました。
とはいうものの、イスラム諸国に対するイメージは、ほとんどがヨーロッパ側が自分たちの立場を正当化するための宣伝に近く、実像とは異なります。ここでは触れるゆとりがありませんが、しかし、日本はヨーロッパの歴史を経由したイスラム像しか教えないので様々な誤解が生じています。
トルコ軍の進攻はヨーロッパに軍楽隊をもたらしました。(トラック1)はヨーロッパ側が聞き書きしたものによる再現です。戦争とはいっても音楽を聞き書きするのんびりさがあったと考えてもよいでしょう。当時の戦争はちょっとした文化交流の場でもありました。今世紀の2回の世界大戦は総力戦とか殲滅戦とかいわれ、軍人一般人の区別なく大量殺戮が敢行されましたが。
しかし、ヨーロッパの人々はこの後、植民地を広げていく中でイスラムとは似ても似つかない植民地支配を展開します。
音楽に限らず伝統的なものは、その土地の人々を団結させる要素がありますから、植民地支配者からは嫌われ禁止されました。アメリカに奴隷として連れてこられた黒人に対する音楽の制限や禁止もそのひとつでしょう。ブルースというのはそうした背景から育ってきました。
20世紀にはいって、西洋以外の国の伝統音楽がクラシックからポピュラーを含むいわゆる「洋楽」によって駆逐される中、植民地時代の反動から、意識的に伝統音楽を残す活動をしている国が少なくありません。そんなアジアで最も自国の伝統音楽保護が遅れているのが、日本とタイといわれています。植民地にならなかった分、欧米の文化を積極的に受け入れ、必要以上に伝統を軽んじる傾向があるようです。
さて、どこの国にもかならず伝統音楽があります。それはたいがい「メロディ=旋律=歌」「リズム=拍子」というふたつの要素からできています。実際には、西洋の影響なしに「ハーモニー=和声」を持つ地域は少ないのです。要するにユーラシア大陸西端の地域限定の特徴が、世界中に広まり影響を与えたということになります。

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4-1 [ハーモニーの一斉射撃化]
西洋音楽史で「ハーモニー=和声」の時代をあえていうなら、ルネサンスとバロックの時代ではないでしょうか。他の2要素「メロディ=旋律=歌」「リズム=拍子」にごして目立つ存在でした。もちろんこれまた音楽に詳しい人には叱られます。ルネサンスまではポリフォニー=多声音楽といって、横へ旋律が流れながら積み重なっていくハーモニーとでもいったらよいのでしょうか。多くの声部は旋律を模倣しながらも別々に独立した動きをしました。

(トラック2)ジョスカン・デ・プレ作曲「パンジェ・リングァによるミサ曲~キリエ」タリス・スコラーズ(合唱)

同じような音の積み重ねでも、極端な例としてバロック時代の音楽遊びのひとつであるクォドリベットを聞いてみましょう。全くちがう旋律がふたつ同時に演奏されます。

(トラック3)プレイフォード編「パッキントンのポンド、パーソンズフェアウェルとスティンゴによるクォドリベット」ハープ・コンソート

これを古式ゆかしい一騎打ちと喩えましょうか。
それでバッハの有名なミサ曲の冒頭を聞きましょう。いきなり重厚な和音で始まりますが、音の高さがちがうだけで、みな同じ歌詞と旋律を歌っています。とはいえバッハでは、和音の総奏のあとすぐ各声部が単独で美しい旋律を模倣しあい、器楽序奏ののち合唱ではルネサンスの雰囲気で曲は進みます。
整然とした騎馬軍団が陣形をとって行軍展開する様と喩えましょうか。

(トラック4)バッハ作曲「ミサ曲ロ短調BWV232~キリエ」レオンハルト指揮オランダ・バッハ協会合唱団

このように起承転結の節目に和音を使うようになります。学校で音楽の授業が始まるときピアノの和音で起立礼着席しませんでしたか。ちょうどあんな感じです。
バッハのミサ曲は、宗教儀式用に作曲されたものではなさそうです。その点モーツァルトはザルツブルク司教に仕えていましたから、カトリックの実用ミサ曲といえそうです。ただ和声の使い方はバロックの要素を残しながらも、明朗にひとつの旋律を際立たせ、それを和音専用の音によって補強する、縦に積み重なった和音が多く使われています。

(トラック5)モーツァルト作曲「ミサ曲ハ長調『ミサ・ロンガ』Kv.262(246a)~キリエ」シュミット=ガーデン指揮テルツ少年合唱団

音楽の3要素が、良くも悪くも三位一体となってイエズス会のような「戦う」音楽に変貌したのが「古典派=クラシック」の時代の音楽かもしれません。
戦争には詳しくないのですが、たしか、ナポレオンの時代になると、射程距離の順にまず大砲による砲撃、銃による一斉射撃から敵陣を切り崩し、さらに間合いが詰まると騎馬と歩兵が進軍、入り乱れる白兵戦になります。

(トラック6)ベートーベン作曲「荘厳ミサ曲ニ長調作品123~キリエ」ヘレウェッヘ指揮コレギウム・ヴォカーレ

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4-2 [強弱から威嚇へ]
ちょっとここで時代をもどして、カール・フィリップ・エマニエル・バッハのシンフォニアを聞きます。

(トラック7)カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ作曲「シンフォニアニ長調wq183-1~第1楽章アレグロ・ディ・モルト」レオンハルト指揮エイジオブエンライトゥンメント管弦楽団

この曲は「多感様式」といってちょっと分裂気味に強弱が入れ替わったり、脈絡を切るように休止して急に強拍で始まったりします。それがよくわかるのは、際立ったひとつの旋律が曲全体を主導しているからです。
シャイベという人が父バッハに対する批判を書いています。J.S.バッハは鍵盤楽器に関しては、手足がバラバラに独立して動く大変なビルトゥオーゾだけれど、すべてのパートが同時に絡み合い、同様の難しい動きを展開するので主声部のメロディが埋もれて聞き取れなくなります。というものです。その証拠としてバッハの二重合唱のモテットを聞きましょう。前の時代のルネサンスの様式に近い多声音楽です。
個人的にはバッハの作品中でもっとも好きなもののひとつなのですが、世のバッハ好きにはこのモテット集を地味な曲と評したり、敬遠する向きも多いのです。

(トラック8)バッハ作曲「モテット『主に向かいて新しき歌を歌え』BWV225~第1部」ユングヘーネル指揮カントゥス・ケルン(合唱)

とはいうものの、この曲は後年モーツァルトが聞いて感激し「バッハ開眼=フーガ開眼」する曲でもあります。
さて、エマニエル・バッハの時代になると鍵盤楽器がかわります。チェンバロは基本的に強弱がない楽器でした。時代は豊かな強弱表現が可能なピアノへと移行するのですが、その過程でいくつか登場する前ピアノ的楽器は、みな音の強弱の変化に焦点があるようです。
エマニエル・バッハは、タンゲンテンフリューゲル(タンジェントピアノ)やクラビコードを好みました。クラビコードは音こそチェンバロより小さいのですが、強弱の変化の幅はとてもあったといわれます。

(トラック9)ペツォルト作曲「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳~メヌエットト長調ト短調」イゴール・キプニス(クラビコード)

時あたかもフリードリヒ大王の時代、公国とはいえ「国家」という意識が芽生え始めます。すぐあとの時代、フランスでは太陽王といわれたルイ14世の孫が市民革命で斬首されることになります。
プロイセンではフリードリヒ大王は作曲もしフルートも吹いたけれども、啓蒙専制君主として歴史に名を残します。ついでですからフリードリヒ大王の曲を聞きましょう。

(トラック10)フリードリヒ大王作曲「フルート・ソナタホ短調~第3楽章プレスト」バルトルド・クイケン(フルート)

第3回の続きではありませんが、実際の万国博覧会は1851年のロンドン開催を嚆矢とします。
その後ナポレオン3世時代のパリがちょっとした中心地になります。現在オーケストラなどでも多く使われているベーム式運指(テオバルト・ベームが開発。管楽器の指使いを便利にするキーを付加して改造した。現在は指穴の周りに20個くらいの金具が取り付けられている。それと対象的なのがリコーダーや尺八といった楽器)のフルートなどもこの博覧会に出品して有名になりました。ベームが自分の方式のセールスポイントを強調するために作曲したものを聞いてみましょう。

(トラック11)ベーム作曲「ドイツの歌による華麗な変奏曲~テーマと変奏」コンラート・ヒュンテラー(フルート)

フルートは、ツゲの木で作られていたものが、黒檀になり、金具がたくさん付加され、19世紀の後半、ついには本体も金属製になります。といっても黒檀は金属と長い間共存するのですが。材料の密度が高くなり、安定した大きな音がでるようになったといわれます。
昔むかし、弦を張った弓が楽器の基になったといわれます。18から19世紀ころは反対に楽器の発展過程を武器の発展になぞらえることも興味の尽きないことかもしれません。オーケストラも大編成化し、軍備拡張への道を歩む、といった具合です。
「安定した大きな音」で思いだしたのですが、ハイドンには「驚愕」というあだ名の交響曲があります。ゆっくりした第2楽章でうつらうつらと寝てしまう聴衆を嘲笑うかのように轟音が鳴り響きます。でも聞いていると、ハイドンはわざと眠気を誘うような音楽を聞かせ、いい気持ちになったところを意地悪く叩き起こす風なのです。「幼稚化した聴衆」の話は第2回目でしましたが、作曲家の方は攻撃的になっていくようです。作曲家もある意味「幼稚化」してしまったのかもしれません。

(トラック12)ハイドン作曲「交響曲第94番ト長調『驚愕』~第2楽章アンダンテ」ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ

ハイドンにはほかにも「軍隊」だとか「太鼓連打」だとか勇ましいあだ名の交響曲があります。それにしても最初のエマヌエル・バッハのシンフォニアと比べると、強弱の扱いのちがいに驚きます。エマヌエル・バッハの方が新しいおもちゃを熱心に楽しんでいるように聞こえますが、ハイドンは子供がおもちゃ箱をひっくりかえすようです。

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4-3 [自由に自分の欲望を追求していい]
いよいよこの「いい加減バロック」もおしまいに近づいてきました。第1回目でバロック音楽の時代をバッハが死ぬあたりまでといっています。もう後日談もいいところですが、アーノンクールという人の説明だとバロック音楽の完成者はバッハだろうけれど、その掉尾を飾るのはモーツァルトなのだ、そうです。
もっとも「いい加減バロック」ではあまりモーツァルトには触れません。
なぜでしょう。おそらくは「バロック音楽」の説明のために「クラシック音楽」と対比させてきたからだと思います。実はモーツァルトがこんなにとりあげられもてはやされるようになったのは、最近の20年くらいなのです。これまた詳しい方には叱られそうですが、あえていうなら、ポイントは2点です。
ひとつは映画「アマデウス」と没後200年記念です。もうひとつは、20世紀後半のバロック音楽復興運動の流れの一翼である古楽器演奏がバッハを越えてモーツァルトにいたったことです。
モーツァルトは、それまでクラシック音楽の代表選手だったのですが、映画をみてもわかるようにイメージの転換が起こりました。モーツァルトはアイドル化しひとつの分野になってしまいました。それより以前のクラシック音楽の中での位置づけは、短調作品の評価に集中していました。要するに「ロマン派」的見方でモーツァルトが「芸術家としての真実の叫びを吐露している」と思える作品が名曲とされてきました。たとえば交響曲では、最後の3部作である39番、40番、41番が有名ですが、中でも特に日本人が好むのが40番ト短調です。

(トラック13)モーツァルト作曲「交響曲第40番ト短調Kv.550~第1楽章モルト・アレグロ」コープマン指揮アムステルダム・バロック・オーケストラ

これは古楽器を利用した演奏です。オーケストラもバロックオーケストラなんてついています。いつかカラヤン&ベルリン・フィルとかベーム&ウィーン・フィルなんていう超名盤を聞くチャンスがあればいかに古楽器の演奏とちがうものか実感できるでしょう。しかし、ここではあえて「いい加減バロック」流に聞きます。なにしろバロック最後の作曲家なわけですから。
それまでクラシック音楽にとって、バッハなどのバロック音楽はさかのぼるべき過去でした。しかし、古楽器演奏によるバロック音楽が盛んになるにつれて、結果として、未来として、継続している流れとしてモーツァルト以降のクラシック音楽を捉え直すようになりました。その演奏の是非はともかくクラシック音楽という全体からモーツァルトだけが分離独立したように、現在までの約20年くらいが費やされました。かりに「モーツァルト再発見」の時代としましょうか。
「竹田青嗣は『陽水の快楽』のなかで、日本の一九七〇年代のポップ・ミュージックと八〇年代の新しい文学について、おもしろい指摘をしている。『最善の社会を実現するために、自分がなにをなすべきかを追及すべきである。』という古典的なモラルが、『他人を侵害しないかぎり、自由に自分の欲望を追求していい』という考え方に、乗り越えられたというのだ。この区別を拝借すれば、ベートーヴェンは前者、モーツァルトは後者ということになる。」(丘沢静也著「マンネリズムのすすめ」より)
「彼(ベートーヴェン)の音楽の思想は、そういう透明な人間関係にもとづいた共同体(Gemeinschaft)をめざしている。ベートーヴェンの音楽は人間臭い。「透明」へのあこがれ、「共同体」への期待が聞こえてくる。」(丘沢静也著「マンネリズムのすすめ」より)
このベートーベンがあこがれ、期待した「透明な人間関係にもとづいた共同体」は、もしかするとバロック以前には存在したのかもしれません。崩壊したがゆえにあこがれ、期待したのではないか。
「人間は、生まれ故郷とはかぎらないが、どこか『故郷』でくつろぐ必要がある。現実の社会から『故郷』が失われていく現代では、ますますその役割が音楽に求められる。そして、ベートーヴェンの音楽は、懐かしい兄弟のように、『透明』を味わわさせてくれる。彼の大マジメな音楽こそ、じつは最高のエンターテインメントととなる。」(丘沢静也著「マンネリズムのすすめ」より)
「第九を歌う会」の盛んな日本では、ベートーベンの音楽がたしかにある役割を果たしていそうです。でもベートーベンはどこでくつろいだのでしょうか。「故郷」のひとつがバロック以前の音楽であったかもしれませんね。
ただ、忘れてならないのは、現在の私たちは日常いわゆる共通語でしゃべっています。誰かが故郷に帰ってくつろぎ、すっかり故郷の言葉にもどってしまったとき、はたから聞いてチンプンカンプンに聞こえるかもしれません。ベートーベンを代表とする「クラシック音楽」も共通語に近いものと考えてもよいのではないでしょうか。その場合、バロック以前は「故郷の言葉」というわけです。

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4-4 [失われた楽器・忘れられた楽器]
日本語の「ゐ」「ゑ」「を」はいまでこそ「い」「え」「お」と発音が同じですが、実は昔は別な発音をしていたといわれています。発音がちがうのだから、表記もちがうというわけです。時代が下り、言語の統廃合のような画一化が進み、とうとう失われてしまったのです。名残として「大岡」の読みは現在は「おおおか」となりますが、昭和のはじめまでは「おほをか」と表記しました。
音楽にも、過去存在したが、失われたり忘れられたりしたものがあります。
「いい加減バロック」最終章は、バロック音楽の時代までは存在したが、その後、失われたり忘れられたりした楽器を紹介してお開きにしようと思います。
4つの代表楽器をえらびました。そしてそれぞれ駆逐したライバルと比較してみましょう。


第1試合リコーダー対フルート

(トラック14)シャルパンティエ作曲「聖金曜日の第3のルソンH.95~ここに預言者エレミヤの哀歌がはじまる」ジュステ指揮パルルマン・ド・ミュージック
(トラック15)バッハ作曲(現在C.P.Eバッハ作曲が定説)「フルート・ソナタ変ホ長調(旧BWV1031)~第2楽章シチリアーノ」ローレンス・デーン(フルート)

リコーダーは現在では教育楽器として復活を遂げましたが、それゆえの問題点もあります。小学校中学校の音楽教育で知った気になって、捨ててしまう人が多いのです。(トラック14)は、リコーダーを捨てずにバロック音楽とつきあったことで出会った、最高に美しい音楽のひとつです。しかし、バッハの時代には横吹きのフルートにおされて消えることになります。初期バロックのころはリコーダーはプロの楽器として完成していました。フルートはオーボエ奏者の余技から派生したのですが構造の工夫とキーの付加で音程も安定し、豊かな表現力を備えました。(トラック14)は今ではほとんど演奏会やCD録音でとりあげられることはなくなりました。反対に(トラック15)はフルートの古今の名曲として現在もとりあげられています。


第2試合リュート対ギター

(トラック16)ヴァイス作曲「ソナタイ短調『不実な女』~アントレとペイザンヌ」オイゲン・ミュラー=ドンボア(バロックリュート)
(トラック17)モーツァルト作曲ジュリアーニ編曲「『皇帝ティトゥスの慈悲』序曲」ジュリアーニ編曲「ランツァのタランテラ」デュオ・ソナレ(ギターデュオ)

リュートは「爪弾き」主体ですが、ギターは「掻鳴らし」があります。フラメンコなどで聞くジャカジャカです。ライフルとマシンガンのちがいかしら。


第3試合チェンバロ対ピアノ

(トラック18)ヘンデル作曲「組曲第4番ニ短調~サラバンド」オリヴィエ・ボーモン(チェンバロ)
(トラック19)モーツァルト作曲「ピアノ四重奏曲ト短調Kv.478~第1楽章アレグロ」アンドレアス・シュタイアー(ピアノ)&レザデュー(弦楽アンサンブル)

(トラック18)は映画のテーマにもなった有名曲です。チェンバロの音は複数の弦を鳥の羽ではじいて音をだします。(トラック19)と比べれば瞭然ですが、たいして強弱はつけられません。しかし、ピアノとはまったく別な方法で表現するのです。ピアノが壇上で演説するとすれば、チェンバロは差しむかいで説得するのです。ピアノは恋愛、チェンバロは見合いといっても構いません。もちろん現在は恋愛の方に分があります。


第4試合ビオラ・ダ・ガンバ対チェロ

(トラック20)グラウン作曲「ビオラ・ダ・カンバ協奏曲イ短調~第1楽章アレグロ・モデラート」ビットリオ・ギエルミ(ガンバ)
(トラック21)ビバルディ作曲「チェロ協奏曲ホ短調~第3楽章」ピエール・フルニエ(チェロ)

ガンバは共鳴が豊かで横に広がる包容力のある音なのに、なにか親の意見や世間の思惑に左右され結局良妻賢母に落ち着くかのようです。反対にチェロはやけに直情径行で、自分の人生を切り開いていく音のように聞こえます。
19世紀から20世紀の前半までは、フルート、ギター、ピアノ、チェロの圧倒的勝利でした。20世紀半ばから現在までは状況がすこし変わりました。リコーダーのための曲はたしかにフルートですべて演奏可能です。リュートとガンバの曲も一部を除けば同様のことがいえます。それではリコーダーは、リュート、チェンバロ、ガンバは、いらない楽器なのでしょうか。
勝ち組はそれぞれ素晴らしい楽器です。しかし、「いい加減バロック」的には、これら勝ち組の楽器や勝ち組の時代、音楽が憎たらしい。バロック時代のオーケストラは負け組の楽器に活躍の場がありました。現在かりにリコーダーが達者でも市民オーケストラには入れません。クラシック音楽を演奏するオーケストラではほとんど使わないのですから。バロック専門の市民オーケストラがあるといいのですが……。

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4-5 [それではスタートです!]
最後はとうとう74分のMDにはいりきらなくなってしまいました。
それだけ1曲1曲が、また各楽章が肥大化しているといえるかもしれません。
なにかを好きになるにはふたつの道があると思います。
「恋愛結婚」と「見合い結婚」みたいな。
「いい加減バロック」はどちらかというと「見合い結婚」です。
では「恋愛結婚」はどんなものかというと、ベートーベン以降の「ロマン派」の音楽とよばれる分野にあてはまるかもしれません。ある日突然熱にうかされたように深いりしてしまうのです。もっとも、熱しやすく冷めやすいという場合も、ありそうですが。
たとえば、「運命」だとか、「未完成」だとか、はたまた「幻想」「神々の黄昏」「悲愴」「わが祖国」「新世界」「復活」「展覧会の絵」「火の鳥」などなど。
こんなニックネームをならべてみると、巷にでまわる名曲名盤解説本のたぐいが多かれ少なかれ「不滅の名演奏」を嗜好するのもわからなくはありません。
ちなみにCDは、多品種少ロット製作が普及しています。レコード時代には考えられないほど多彩にレパートリーを広げる反面、大ヒット1万枚、ヒット数千枚という程度の規模です。最高で600万枚売れるポピュラー音楽の世界とはスケールがちがいすぎます。
ですから、あのソニーがだしていても規模はまるでインディーズなみなのです。
わたしもバロック音楽ファン初心者時代、店で聞いたレコードに興味をもっても、おいそれとは見つからず、たった1枚のレコードを求めて何軒も大きなレコード店ハシゴした思い出があります。秋葉原から銀座、銀座から六本木へ、最後にできたばかりの六本木のWAVEで発見、感激したものです。
最後に音楽を趣味として楽しむ場合、注意しなければならないことがあります。
1) オーディオ装置にこらないこと。
2) 2、3年間は初心者であることを忘れず、素直に聞いて好きとか嫌いとかいってよい。
3) 聞いた感想を、できるだけ言葉にしてみること。しゃべっても書いてもよい。
4) しばらく、関連書籍は図書館で目をとおせばよい。借りてきてもよい。
5) 他人の意見に耳を貸してよいが、好みの話なので聞き流してもよい。
6) 聞くことに没頭しないで「ながら」で聞いてよい。
7) CDの解説文は必ず読むこと。コピーの場合も解説があればいっしょにもらって読むこと。

以上おつきあいありがとうございました。(1999年ころ記す)

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