呪術的歌唱、モーラムの女王 (2015年8月記)

2015年来日したそうです。
一度実演に接してみたいと思います。
当然ですが、日本語の検索ではネット上ほとんど何もでてきません。
タイ文字表記を見つけてコピーし、それで検索すると、たくさんでてきます。
良かった動画はケーンの伴奏だけによるもの。残念ながら、歌詞は不明です。
ただ、なんとなく分かったような気になります。
どんな伴奏、どんな形式のステージでも柔軟に対応していて、芸達者をうかがわせます。
語りのリズム感が豊かで、ついでに身体的なリズムも豊か、体を前後に動かしながら、両手で舞うわけですが、これも一度動き始めると永久機関のような連続した動きになります。少々いかがわしげなバックダンサーを従えても、違う振付の動きなのに、いかにも「従えて」という貫禄があります。
各国に多様な民族の歌があり多様な歌い手がいて----30年前にFMで、モンゴルのノロブバンザトのオルチンドーを聴き、アジアにはとんでもない歌い手がいるもので、自分が無知なだけで、目が開いた、いや耳が開いた、ものです。そして、それぞれ歌唱技巧を聴く楽しみが増えたと思います。歌詞が不明でも、その技巧で圧倒する人たち、本当にすごいと思います。
その後、パンジャブのグルメット・バワにもビックリしました。
同じころ、イサーンのモーラムの女王、チャウィワン・ダムヌンのモーラムのCDも聴いたのですが、当時はピンときませんでした。「タイ・演歌の王国」を読みましたが、これはモーラムにはあまり触れていません。それでもバンイエンだけ別格扱いでページが割かれていました。
そしてこのバンイエン・ラッケンを動画で聴いて、チャウィワンとは全く違った印象で素晴らしいと。
語る速度が違いますが「平曲」の語りにも通じるかしら。大きな振幅の装飾的なコブシ。息が神秘的長さに聴こえます。これが短い刻みで大きなビブラートのようになったら、アラブ歌謡のコブシのように聴こえなくもありません。
今ならチャウィワンが鈴木まどかさん(正統的継承者のひとりだがプロとしてはぎこちなく朴訥に聴こえる)に、バンイエンは橋本敏江さん(演者の色に染めた語り口ですがプロとして流麗に洗練されて聴こえる)に例えられそう。一息が永遠に聴こえます。伴奏のケーンの音も終わりがなく聴こえます。ケーンの演奏だけは膝を曲げて前後にリズムを刻む姿が少し品がなく見えます。目がクラシック音楽の演奏や指揮姿に慣れているせいでしょう。

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昨晩テレビで奈良の国立博物館の白鳳展関連の番組を拝見。仏像の柔らかな腕のポーズや女性的といえる体のしなり方などを見て、バンイエン・ラッケンの見事な舞を思い出しました。してみると観音様が歌い語っている雰囲気なのでしょうか。こんなイメージの比較は双方に失礼なのかしら。

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(追記)
手持ちの大内治著「タイ・演歌の王国」によると、モーラムのモーは熟達者の意、ラムは東北地方の民話に抑揚をつけて語る芸能とあります。西洋楽器が導入されるまでケーンだけで伴奏しました。男女の掛け合いによる詩吟のような形式や、集団で長い物語を語る形式も生まれたが、1980年代の後半から、「流行歌」化されていきます。いかにも流行歌的な旋律の歌と東北地方のモーラムの語り部分を交替させる形式になり、それが「ルークトゥン・モーラム」といわれます。テンポがワンパターンなので、マンネリに聴こえやすいのが弱点。その最初の大きなヒット曲がシリポーン・アムパイポンの「黒色の愛のリボン」という作品。日本の演歌でも途中に語りがはいる形式があります。日本の演歌とも似たコブシは当然のことながら、豊かな装飾的メリスマをいれたり、節の終わりにトレモロやトリルのような細かい反復で装飾します。
大内氏は「モーラム歌謡の女王」はバーンイエン・ラークゲェンだと、書いています。「----のびのびと自分流のモーラムをやっている。主流のルークトゥン・モーラムとはまったく掛け離れたタイプの歌手だが、ルークトゥン・モーラムにやや食傷気味のこちらには何とも新鮮に映った。モーラムはへたにルークトゥンなどと交ぜないで、やはりイサーン語のラムのみが一番いい----」
シリポーン・アムパイポンもモーラム部分の技巧はかなり長けています。声質がハスキーがかかっていて魅力的でした。バーンイエン・ラークゲェンは「のびのびと自分流」が完成されていて、歌詞が理解できないわたしにも彼女の技巧の彫琢具合が聴き取れて、説得力があると感じます。

(追記2)
ケーンについての引用があったので、メモします。
ヂット・プミサックの民族楽器の紹介コラムから大内氏が引用。「----イサーン地方の民衆のケーンは、人生に挫けることのない闘争の歌の音色である。スピード感のあるリズム、ケーンの歌の堅忍不抜の調子は、真実の闘争の精神を呼び醒ます特徴をもっている----」さらに大内氏自身の言葉として「----イサーンの民族楽器は自由奔放である。粗野だが、余計に生身の人間を感じさせる----」

(追記3)
大内氏の本は出版間もなく購入していたはずです。10年以上前は書かれている歌を実際に耳にする機会はなかなかありませんでした。タイ料理店にカラオケがあり、そこで流行歌のミュージックビデオを見るくらいでした。今回ネット上の動画に助けられました。昔マツナガさんからいただいたビデオCDはきっとルークトゥンの祭典のような番組だったと思いますが、今より無知でしたので、金太郎飴のように聴こえて区別がつきませんでした。
ただ民族音楽や様々な国の伝統音楽に接していると、ことさら他者と違うことにこだわり続けているのは、いわゆる西洋音楽だけかもしれないと思えてきます。ベートーベンの交響曲を頂点とする「前例のない唯一真正の初めてのオリジナル」を至上とする主義はもうたくさんです。


2018年2月

タイの人間国宝のベスト盤CD

文春にマーティ・フリードマンのインタビュー。
「全然、日本は飽きない。日本の生活には毎日“有難さ”が溢れてますよ。外国人が日本に着いて、京都や奈良へ行けば千年前の日本を見られて、東京の大型電気店に行けば、10年先の近未来が手に入る。日本はすごく変わるけど、何も変わらない。こんな先進国は他に例がない。伝統と新しさを両方持っているところが美しいんです」
タイの音楽を愛するSoi48にも同じ血が流れているような気がします。
NHKもクレージージャーニーみたいな番組がありました。

海外出張の達人にオトモし、マニアックな旅の極意を楽しむ新感覚の紀行バラエティー。今回の達人は、ディープなタイ音楽を発掘し、その魅力を雑誌などで発信しているDJユニット・Soi48(宇都木景一&高木紳介)。60年代、70年代にヒットしたタイ音楽のビンテージ・レコードを求めて東北部の農村へ。行き当たりばったりの出張は、爆笑珍道中。ファンキーすぎる祭りやタイの屋台グルメも登場!

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2015年のタイフェスで来日。youtubeで観る限り貫禄の人間国宝でした。
しかし、何しろこの手の情報は日本にはなかなか入ってきません。
先般プンプワンのCDを出したレーベルが下記を。
西洋のクラシック音楽はレコードやCDで稼ぎ過ぎたせいか、youtube時代では価値がなくなり、よく言えばよりパブリックなものに、悪く言えば経済的価値が下落しました。今やお金を出してCDなどの形あるものを購入するべきクラシック音楽はかなり希少になりました。反対に身の回りにほとんど情報がなく、検索の語彙もわからないタイ音楽は買う価値がでてきます。「BANYEN RAKKAEN 」で検索し、その発音にあたるらしきタイ文字をみつけたら、それをコピペしてさらに検索。あとは実際に再生して自分の目と耳で確認しないと、たどり着けません。日本語の解説付きでベスト盤が出るなら、やはり買わないわけにはまいりません。
音源の変換の技術が高まったのか、ドーナツ盤みたいなレコードの再生とは思えません。彼女の師匠のひとりチャウィーワン・ダムヌーンの来日時録音のCDしかなかった時代は比較の対象がありませんでしたが。歌詞は全く理解できず、西洋のクラシック音楽とは違うメソッドの歌唱ですが、揺るぎのない彫琢された技術だと聴こえますし、説得力を感じます。日本でバーンイェン・ラーケンのような人間国宝にあたる歌手って誰なのでしょうか。パッと思い浮かびません。タイの人が羨ましいです。

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BANYEN RAKKAEN バーンイェン・ラーケン
LAM PHLOEN WORLD-CLASS: THE ESSENTIAL BANYEN RAKKAEN (COMPILED BY SOI48) / ラム・プルーン ワールドクラス:ジ・エッセンシャル・バーンイェン・ラーケン(選曲: SOI48)

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