笑うバロック展(206) なぞのモダン・ガンバ「一番古い友達」

なぜかトレンチ・チェロを思い出してしまいました。

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1967 Viola Da Gamba Diskant Gambe Quintfidel Fidel Von Moeck Consort Baroque

上野学園の中学の授業で使用されていたかもしれません。

そういえば、日本の河合楽器が1980年代後半から90年代にかけてのバブル期に受注生産ではあるが普及版のガンバをだしていました。サイズもバスだけではなく、要望で合板をきちっとした一枚板に変更もできたと思います。

歴史的にみると、上野学園が所蔵し、中高音楽授業用に輸入し使用していた楽器、金属弦の簡易モダンガンバ(おそらくドイツ製)の製造に匹敵する偉業だったと思います。

クイケンが証言している子供のころガンバが身近にあり実は初期段階から経験があったのだ、その楽器はドイツのワンゲル運動との関係から派生したものらしい、というもの。ドイツでは20世紀初頭ワンゲル運動が盛んになり、1909年ワンダーフォーゲル歌集『ツォプフガイゲンハンスル Zupfgeigenhansl (バイオリン弾きのハンス)』が広まった。その流れは荒廃した戦後ヨーロッパ諸国の市民に少しでも早く音楽を取り戻すために、様々な簡易普及楽器が製作され配られたらしい、その中にガンバが含まれていた----という証言だったと記憶しています。
(残念ながら、こうした歴史上の「簡易」とか「普及」目的といったものは、ネットヘイトされていると感じます)

記憶を辿った結果、クイケンの「ディジョン・ビオル」のLPレコードの中の渡辺順生氏の解説中に発見。

----シギスヴァルトは、彼等の、実に興味深い音楽との出会いについて、次のように語っている。「私がまだ6歳か7歳の頃のことです。当時ドイツでは、弦楽器を使って一般の子供の音楽教育をしようという実験が一部で行なわれていました。丁度現在のリコーダーのようにね。私の兄の一人が、たまたまそうした講習会の一つに出かけて行って、日曜大工が作ったような弦楽器を持って帰って来ました。その楽器こはフレットがあり、弦が6本張ってありました。私はすぐ、その楽器こ夢中になりました。私達は翌年もその講習会に出かけ、同じような楽器を持って帰って来ました。その時、先生達が教えてくれた奏法はたいして役に立たなかったので、私達は自分達で奏法を発見しなければなりませんでした。それは、どうやらトレブル・ヴィオルと呼んでも差支えのなさそうな楽器でした。音はひどいものでしたが、私達はそのことを余り気にかけませんでした。私達子供は、それを奏きこなすことに夢中だったからです。私達はその楽器で随分合奏を楽しみました。そのために私達が手に入れたのは、何とルネサンス音楽の楽譜でした。私達は、私達にも演奏出来るルネサンス音楽の楽譜を買い漁りました。それは私がヴァイオリンを、ヴィーラントがチェロを始めるよりも以前のことでした。私はその時、まだ、ベートーヴェンのシンフォニーを聴いたこともありませんでした。私は、今やヴィオラ・ダ・ガンバを練習することは滅多にありません。しかし、ヴィオラ・ダ・ガンバは私の“一番古い友達”です」----



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