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自分を売り込むビルトーゾ

この記事は2012年12月に書いたものです。
下記太字部分について再考する機会があり、この記事を想い出しました。


浜離宮朝日ホール賃借は、夜の公演で483,000円。
1人3500円のチケット代なので、138人の正規チケット購入者がいれば、ホール代はとりあえずペイします。552席のホールなので、1/4に当たります。当夜5、6割は埋まっていましたので、300人くらいいたと考えられます。
コンサートそのものでは、儲けないということかしら。
その日のプログラムが含まれた最新CDの先行発売も兼ねています。150枚くらいはけてくれたら、レコード会社はとりあえず次も相談にのってくれるはず。(チクルスが進行中なので、きちっと予算通り売っているのでしょう)
プログラムにキャッチを寄せたハマダジローも見かけました。きっと今回もコンサート、CDともよい評を書いてくれるでしょう。

アンコール前のピアニストのあいさつは、変更した携帯アドレスに使用した数字「1840」を、すぐに「歌曲の年」ですねと応答してきたファンがいたらしい----彼女はしっかりとシューマニアたちを捕まえているようです。
結局、クラシックのピアノ音楽をディープに聴いている人で、思った以上に「弾けてないじゃないか」という不満が多い中で、ライブで存分に楽しませてくれるピアニストは大変貴重。でも、マニアックなプログラムに義理で付き合ってくれる人はもういないので、よしひとりでも聴きに行こう、という感じの人、本当のマニアやフリークたちが集います。観察していると、軽く会釈しあったりはしているのですが、なんだか徒党を組むのがいやという感じの人たち。もちろん主に「おっさん」連中です。お医者様や、有名コーヒー店の店主氏も見かけました。

チラシの広告主も半端でない質と量。栄光時計に塗料屋、宝石屋、果てはアイコクベーキングパウダー。なかなかのコネクションです。およそ5万円が4件、10万円1件、30万円1件はあると推察します。A4サイズ4ページのチラシで、演奏会情報は2ページ、あとの2ページはスポンサーの広告です。
このピアニスト、自分で営業する人で、たとえば受診した病院の担当医師に「クラシックのピアノは好きですか?」と聞いたようです。同様に某コーヒー店でも。その店はジャズしかかけていないのにも関わらず、カウンターで「マスターはクラシックのピアノ好きですか?」と聞いたらしい。そこで「はい好きですよ」と回答した人には、自分がプロのピアニストでコンサートを開くから聴きに来てほしいと空かさず売り込む。そうして身分を明かすと、隣でコーヒーを飲んでいた初老の紳士が、ぼくにも連絡がほしい、と言ってきたとか。そうやって、一人ひとりお客様を集めてきた、というのです。

自分を売り込むために、CDを録音し、コンサートを開き、しかし大資本の興行会社におもねることはなく、独立自営の精神で個別対応の辣腕営業マン兼務。1人でマネジャーから全部こなすのですから、ある意味コストが抑制されて、ああそれで、自分の本当にやりたい音楽だけを望むだけ、拍手してくれるお客様も込みで手に入れています。舞台上から客席を睥睨して300人、「知らぬ顔のない」超絶のセルフマネジメント・ピアニスト。
翻ってわたしは、自分が本当に好きなものでも、それを生涯の仕事とし、それを周囲の人にあたりかまわず、「○○○は好きですか?」と問えているかしら。

当夜の300人余のお客様の背後には、声をかけたが断られた幾千人、不定期にしか答えてくれない浮動の幾千人がいるのでしょう。
「セルフマネジメント・ビルトーゾ・ピアニスト」なんですね。
ウン?最近別なところで同じ光景を見ました。
そうそう、とあるセミナーです。ワインのソムリエさんを招いて、ソムリエさんたちの営業力、表現力を学ぼうという、他の飲料業界の人たちの勉強会です。集まった受講生たちに、時々に「ワインはお好きですか?」と聞いていました。セミナーが終わるころには、受講生全員が、ところで先生のワイン教室はどちらにあるのですか?と聞いていました。
「包丁一本晒にまいて」というのは、料理人は包丁一本あればどこでも仕事ができるということなんでしょうが、実は、包丁一本晒にまいて「包丁一本晒にまいて」を歌いながら自分を売り込む、そんなことなのかもしれません。
フランス料理の料理人なら、フランス料理が好きで、誰にでもフランス料理が好きか聞いてしまう----なんていうのは、実はいそうでいない人物像ですが、「本物」というのはやはり、そうなのかも。いなさそうで、本当に成功している人の中には、いるんですね、きっと。

自分が携わっているものについて、真剣に「○○○は好きですか?」と、どれほど他人に問えたかしら。
もう一度原点に戻って、自分が何が「好き」で、他人にそれを飽くことなく問い続ける、尋ね続けることが、できているか?----深く反省しつつ、何とかできるように自分の「好き」を磨こう。
そんなことを感じ取らせる演奏会でした。
実は「死ぬまでに一度は聴きたい曲」リストの1曲をクリアしたのに、そのこと自体では喜べません。その曲が「好きだ」ときちっと言える人にならなけりゃ!!
作品22のト短調ソナタは、わたしの期待を裏切るデキでした。素晴らしい演奏だったけれど、ちょっと趣味が合わない演奏だったので。男性的なストレートな曲で、音がお団子になりやすいところをていねいに右左の強弱のバランスをよくとって、よく歌っていました。起承転結のメリハリのしっかりした素晴らしいロマン派と思います。個人的には、突っ走る演奏が好みなんですが。
ともあれ、いつか「詩人の恋」なんかも聴かせてほしいものです。(2012年12月記)





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