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笑うバロック展(349) きらりと光るレコ芸輸入盤短評

久しぶりに開くCDケースの中から畳まれた雑誌の切り抜きがでてきます。情報が少なかった時代、本当に助かりました。あれはオントモさんはデータアーカイブ化しないのかしら。

リュリ太陽王の音楽家
第1巻:平和の牧歌,平和の神殿
ユーゴ・レーヌ指揮ラ・サンフォニ・デュ・マレ〈録音: 1998 年6月, 7月〉

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H・レーヌ率いる「ラ・サンフォニ・デュ・マレ」のリュリ・シリーズが始まった。アンサンブル名は、十七世紀に器楽合奏を意味したフランス語と当時パリの王侯貴族が住んでいた地区名を組み合わせたもの。シリーズ第一弾は一六八五年!に作曲された《平和の牧歌》と《平和の神殿》。当時の政治や文化と密接に関連している点でも貴重な録音である。古典悲劇の大作家ラシーヌが台本を書いた《牧歌》には、束の間の平和を楽しむルイ十四世、その訪問先のソーの館に住む海軍卿セニュレ公(財務総監コルベールの長男)の功績などが盛り込まれている。一方の《神殿》はナントの王令廃止の二日後に初演されたもの。もうひとつ興味深いのは、この時期のリュリが自宅で国王付きの若い小姓と「イタリアの悪習」に耽っていたのを摘発され、国王の不興を蒙っていたこと。53歳の音楽家が起死回生を狙って全力を尽くした華麗な音楽の陰には……。関根敏子(音楽学)

リュリ太陽王の音楽家
第2巻:フロールのバレ
ユーゴ・レーヌ指揮ラ・サンフォニ・デュ・マレ〈録音: 2000年12月(ライヴ)〉

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H・レーヌによるリュリ・シリーズでは、フランス・バロック・オペラヘの道筋にあたる珍しい作品をたっぷりと聴くことがてきる。第二巻の《フロールのバレ》(1669)は、伝統的なバレ・ド・クールの最後期の作品。リュリが本格的なオペラを発表するのは四年後である。
フランドル戦争の終結による平和の復帰を祝っての上演だが、これはルイ十四世が舞台で踊った最後の作品としても重要である(映画『王は踊る』では国王が舞台で転ぶ)。初演時には五十人の踊り手、三十四人の歌手、四十四人の弦楽器(五声部編成)、八人のオーボエとファゴット、そして初めてオーケストラに加わったというトランペットと太鼓。
今回の録音は、演奏規模は小さいものの、新リュリ全集(未出版)の楽譜を使用し、歌手と語り手が当時のフランス語発音を用いるなど、意欲的で溌剌とした演奏である。ヴェルサイユ宮殿王室オペラ劇場でのライヴ録音。関根敏子(音楽学)


リュリ太陽王の音楽家
第3巻:騎馬バレード,魔法の島の快楽,ヴェルサイユの洞窟

ユーゴ・レーヌ指揮ラ・サンフォニ・デュ・マレ〈録音: 2000年12月(ライヴ)〉

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H・レーヌによるリュリ・シリーズ第三巻は、造園家ル・ノートルの没後300年にちなみヴェルサイユ宮殿の庭園で演奏された音楽を集めたもの(第二巻と同じ演奏会の第一部)。まずは一六六四年五月におこなわれた絢爛豪華な《魔法の島の快楽》と題する祝祭第一日から。驚かされるのは騎馬パレード(ジャケット参照)ただし楽譜が現存しないので、今回の録音ではリュリの音楽( 一六八六)を使用。トランペット、太鼓、オーボエ・バンドにあわせて、トロットによるメヌエットやギャロップによるジーグなど馬のバレエが勇壮に繰り広げられる。「サンフォニ・デュ・マレ」は管楽器中心のアンサンブルだっただけに、こうした野外音楽はお手のもの。「テティスの洞窟」(現在の博物館からオペラ劇場付近)で上演された牧歌劇《ヴェルサイユの洞窟》( 一六六八)は、後にオペラの台本作家となるキノーがリュリと初めて出会った作品。関根敏子(音楽学)

レーヌの意欲が書き手に伝わり(もしかすると関根氏は会場臨席かも)、好い案内に。もちろん今はネットのCDショップに詳しく書かれている場合も多いのですが。このシリーズ2010年くらいまでに全10巻製作された模様。レーヌはリコーダー奏者としての仕事も立派なので、そのうち記録します。

キャプチ22887ャ



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