見出し画像

笑うバロック(617) ヒレの師匠の4つの厳粛な歌

意外な斜め上の録音でした。
さすがヒレの師匠。不謹慎な例えですが、林家三平みたい。もちろん当代でなく「よしこさん」の方の。
三平師匠のすごいところは、寄席の芸としての落語とは別な座敷の芸としての落語を広く伝えたことかと思います。林家正蔵の芝居噺は志の輔落語に受け継がれていそう。
そのお座敷の方の、つまり距離が最も近いので、ぼそぼそむにゃむにゃ何を言ってもよい、三平は艶っぽい話を披露していましたが。

ニクラス師匠。酔っぱらっているのかと思いました。
ブレヒトのキャバレーソングかとも思いました。
ギターで弾き語りするソ連とかポーランドあたりのプロテストソングかとも、ただしギターでなくガンバを擦弦しています。
ヒュームからスタート。マショーのアレンジではホーミイまで披露します。
バーバラアレンでは伴奏が酔っぱらって。
トマス・ビンクリーとかベーレンゲスリンとかも思い出しました。
(2023年3月23日にきちんと聴き感想記す)

COVIELLOのレコーディングでは、ガンビストであり歌手でもあるNiklas Trüstedtが、弦楽器(擦弦楽器)の伴奏という古くからの慣習に挑戦しています。シューベルトやブラームスの歌曲の編曲をはじめ、自作曲など幅広いレパートリーを持ち、極めて繊細に自分の声とヴィオラ・ダ・ガンバの繊細な音色を融合させているのがここでの演奏である。


ヒレのフェイスブックに師匠のCDの紹介がありました。検索したけれど、まだ発売前なのかしら。
ニクラス・トリュステットのブラームスなのかしら。
「Vierzehn ernste gesange」と読めます。
検索すると「4つの厳粛な歌op.121」最晩年の作品みたい。
動画でフェリアの歌とシャフランのチェロ版を聴きました。
ガンバで弾いたのかしら。

ヒレのFBより

このCovielloというレーベル、特徴的。
Edition Authentic Performance の概説。

いわゆる「歴史に基づいたパフォーマンスの実践」は、現在では共通の基準になるところまで発展しており、この用語はもはや特別な特徴を示すものではありません。 Coviello シリーズのオーセンティック パフォーマンスは、さらに多くのことを提供します。使用する楽器はオリジナルまたはオリジナルのコピーでなければならず、解釈、録音場所の選択、および録音機器はすべて、専門的な演奏技術と音響を考慮に入れています。 これにより、世界のトップ ソリストやアンサンブルが真に本物のサウンドを生み出すことができます。

フリッチュの録音なども。

1787年にガンビストのカール・フリードリッヒ・アベルが亡くなったことで、共に楽器も埋もれてしまったと考えられていました。 トーマス・フリッチュは、ガンビストとして19世紀の音世界に参加することから排除されているという伝統的な概念を共有していました。 しかしその後、彼はシューマンに関連するものを含め、楽器の継続的な存在を示すいくつかの情報源に出くわしました。 ここで19世紀初頭のガンバに関するいくつかの作品を提示し、ロマン派時代の美学とガンバの特徴的な音が、決して相容れないものではないことを印象的に表現しています。

ならば、ブラームスをガンバで、もありうるでしょうか。

「4つの厳粛な歌」op.121
第1曲「人の子らに臨むところは獣にも臨むからである」
第2曲「私はまた、陽の下に行なわれる、すべての虐げを見た」
第3曲「ああ死よ、お前を思いだすのは何とつらいことか」
第4曲「たとえ私が、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても」

錚々たる歌い手を動画で聴けました。

このレーベルは、古楽録音の選曲、プログラミングも特徴的です。
宣伝動画から切り抜き。


もっともわたしは、このレーベルの子ども向けのCDのジャケットイラストに感心しました。個人的には好いと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?