「自業自得」の甘い誘惑

2013年4月に綴りました。誰かを批判していたのだと思います。
2023年、10年前の自分に笑われています。10年前批判した人たちの境涯を追っています。綴ったときは批判だったのですが、いまはアドバイス、応援と思って読み返します。

 床屋には月1回で十分です。わたしにはそれしか髪が残っていません。
 駅近くの床屋は20分で1300円。初めて訪れたとき、定員4席の店にスタッフ5名が代わる代わる。60から70歳程度の男女が各1名、40代後半の男女が各1名、20代の男性が1名の構成。一見して祖父母、その息子夫婦、孫という雰囲気なのに、実際にはすべて他人同士。一番若い人が店長。もちろん組合の取り決めとは距離を置いたクイックリーズナブル年中無休。「なんとかハウス」のようなチェーン店形式の企業ではないようです。お客様担当はスタッフ間で順番が決まっていました。ただスタートしたら仕事を速く終えた者が、次に待つ客を獲得する方式です。忙しい日や時間は手早い者が数をこなせる方式です。おそらく基本給プラス歩合か、歩合だけか。誰が何人刈ったかわかるようにレジ脇にプラスチックのカラーチップを積み重ねていきます。
 40年昔なら、家族全員理容師で個人経営している町の床屋に見えます。わたしが子供のころ確かにそうした店がありました。理容師2人、3席並行して調髪したりしていました。それが、個人店の衰退に伴って、技術者たちが経営者の立場から「下放」させられ、企業の一員になっていきます。
 もちろん、組合の規則どおり、月休、1人45分以上、耳かき肩もみ付きで倍以上の値段をとって、技術者の方が「浮世床」になって、気が付いたら時代に置き去りにされ、立ち行かなくなった店を取り上げられ、借金だけ背負って、路頭に迷おうかというところ、企業が戦略的に作った、時代にマッチした「安い速い(ほどほど)巧い」店に「手に職がある」から拾われ----。わたしは、こうした人の流れは、新雅史風に考えて、きっと意図的に謀られたことと、思います。
 昔は男の人は理容室で「パーマ」をかけていたものですが、今はサロンにグレードアップし、元は美容室とかパーマ屋さんと呼ばれたところに通います。髪をいじる店の顧客の男女差はなくなり、利用の目的に応じて「安速巧」で十分な人たちと、爪まで磨いてもらうようなサロンに行く人たちに分かれました。美容師といわれる職業そのものも「カリスマ」「無資格」によって、内側から変化させられました。個人で美容室を経営するのは、技術維持だけでなくセンスや時代感のブラシュアップも含めて、かなり難しくなり、街場のパーマ屋さんもやはりフランチャイズ傾向が増えているようです。
 そうした、フランチャイズ企業は、都心にフラグシップ店を持ち、近接してトレーニングセンターを持ち、自ら技術競技会を催し、新規のオリジナル化学製品の開発販売まで行っています。各地方の複数店舗を展開するフランチャイズ契約オーナーや法人は、まとめて新入社員を求人し美容師資格者をとると、3か月研修させて、フランチャイズ店に送り込むシステムを構築しているとのこと。個人オーナーがその店で顧客を維持するには、言ってしまえば大富豪でもないとできません、ということらしいのです。
 街場の、または地域社会の思いつく「近所のなになに」という店や人は、ほとんど絶滅状態でしょう。

 1980年代くらいから、近所のカメラ屋さんは、大手家電量販店やコンビニに駆逐されました。(1986年にレンズ付きフィルムが販売されたよう) 近所のクリーニング屋さんも然り。DPE受付をするクリーニング屋なんていうものも存在しました。文房具店もなくなりました。もうじき近所の本屋もアマゾンに食い尽くされるでしょう。「近所の」というところの床屋パーマ屋も同じです。

 2005年開業の「秋葉原」「ヨドバシカメラ」1階にはいった「すしざんまい」なる「すしや」に数度行きました。ちゃんと職人が握ってくれるので、回転ずしチェーンより美味しく、サービスもよく、その分お高くという店です。カメラ店という名のデパートの1階入口に年中無休24時間営業「すしや」がある----もう何が何だか。デフレの進行も手伝って、大型カメラ店やコンビニがデパートのような大規模店舗をも弱体化させ、今や自分たち自身も、店舗規模や消費の飽和状態の中で緩慢に自滅していくように見える中「すしざんまい」は、安価な回転ずしによって絶滅させられた元個人オーナーすし職人たちに、職場と仕事を提供します。その中でも「すしざんまい」でメインを張るなら、おそらくかなり幸運な職人ということになるのでしょう。「すしざんまい」の経営が築地の卸業者だというのは、養鶏場を買収する飼料業者みたいな構造そのままで、やはり「誕生から絶滅までが初めからプログラムされた計画のうち」みたいな不気味さを感じます。

 さて、この前振りで何の話を書きとめようとしているのかといえば、「俺のフレンチ」やら「俺のイタリアン」も同様らしい、ということです。わたしは、食べに行ったことはありません。行列に並びたいとも思いません。それでもある方の弁によると、立ち食いの席からキッチンが見えるので見ていたら、何もそこまで手をかけなくても、というようなていねいな盛り付けでデザートがでてきたのに驚いた、と。かなり優秀な職人を使っているのでしょう。わたしは意地悪く、その店が繁盛するためのコスト削減はその人たちの人件費で切り詰めているのでは?と問うてみました。
 その方曰く、確かに20代30代で独立してオーナーシェフをしていた人だからといって、高収入の経験を続けた証拠にはなりません。自分自身の収入を切り詰めた過去より、高収入かもしれないし、資金繰りに奔走して常に追いかけられる心理からすれば、年齢や技術といったキャリアの割に給料が安いと感じたとしても、毎月安心して給料が「もらえる」ことの安堵の方が強いかもしれません。
 40代になって自分の店を維持できなくなったオーナーシェフと呼ばれた人たちに、世間一般の就職口は閉ざされています。かれらに仕事を、雇用を創出して与える者、それがたとえ料理業界とは無縁な、その世界で努力も苦労もしたことがない誰かで、ゆくゆく事業丸ごと、業態そのものを転売して儲ける目的で経営している者だとしても、今はそうしたビジネスの在り様も認めざるを得ません。こうなってくると、星付きレストランの雇われシェフが独立開業するのは----簡単ではありません、ずいぶんと覚悟がいるでしょう。原点回帰のような小さな店にするのか、反対に一気呵成に星取りに行く店作りをするのか。「するのか」なのか「できるのか」なのか。自分自身の経営手腕を見極めないと、結局は「振出しに戻る」ようなことになります。

 わたしは、料理学校経営者の子息として生まれ、当然のように料理修行し料理人になったある人を思い出しました。中卒で渡仏し、縁故の有名店で修業、帰国後、失礼な言い方ですが、親からオーナーシェフというポストを与えられ。しかし実質経営者の親が予想以上に早世し、経営能力を持たされないまま、周囲にはその人を利用する者も多く、経営は乱れ、3店を開き本まで出したにも関わらず、店を失いました。
 現在、あるレストランの雇われシェフをしています。自分の店を閉め、精肉加工肉の会社にアドバイザーとして就職。素材や生産者を調査したり製品や加工レシピを開発したり、指導したり。その会社は、星付きレストランをグループ傘下に抱える企業でした。そこはその人の親が高く評価して使ったレストランでもありました。その企業が、新たに吸収した会社は飲食店経営をしていて、うち1軒はその人に適したイタリア料理の店。前年に企業は、その店をリニューアル、その人に合わせて得意分野を充実させました。基本イタリア料理、パスタがうまく、加えて熟成肉を専門的に扱うというもの。幼少のころから身近に料理があり、自然なことのようにそれらを身に着けた、とても「料理が上手な」人です。ついた師も立派揃い、現役の直系の弟子としては貴重な存在でもあります。

 経営者と職人の両立が大変難しいことであったし、今もそうである、というのが結論ではありません。個人がその「思い」「憧れ」「理想」「希望」を追い求め、具現化していく形が、偶然の進展なのか予めのプログラムなのか、多様化しているようだ、ということです。残念ながらここでいう「多様化」はカッコつきでポジティブには、わたしには思えないものですが。
 日本では、いや当たり前の資本主義はかしら----ある個人の人生を消費(浪費か)することが「消費」になる、人の人生を燃料に動く機械みたいです。その機械はたとえ僅かでも誰かを幸福にしているのか、それともただ機械が動いているだけで、もうその機械を作った誰かはいなくなって、それでもその機械はプログラム通りに動いて、自分自身を動かし続けるように、ずっと人の人生を燃料にくべ続けるのか----。

 「判断」や「選択」を避けて、ただ与えられた労働だけをこなして、無責任といわれない程度に借金を返しながら、質素な生活を清貧と考えて、映画を観た感想をブログに綴り、一瞬にして消失してしまう可能性のあるデジタルなデータとして人生を入力するだけで満足な日々を維持継続する----そんなことが大変甘い誘惑に感じます。このままタイプし続けていられれば幸せ、そんな誘惑にどうすれば立ち向かうことができるのか。どんな状況でも最後は「自業自得」だったで清算できてしまう、という誘惑はなんと甘く香しいのでしょうか。

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