笑うバロック展(208) ビバルディ讃1961/1981

kindleで購入した吉田秀和著「名曲300選」。気になったところにマーカーがひけるのです。わたしはイタリア・バロックの章のビバルディをとりあげたところにマーカー。

バロック音楽のLPレコードが増え、楽しみが広がった「ロマン派とちがい、感傷がなくて、もっと乾いているのが、現代人の好みに投ずるのだろう。」バロックはテクスチャーは単純だが平板でなく、ロマン派は複雑に構築されているが長い曲は平板に聴こえる。バロックはダイナミックで、ロマン派はエモーショナルみたい、な。現代は感情的であるより「実存的力学の時代」----だからバロックのレコードが増えるのはよいが----と、ここからビバルディ・バッシング。「千編一律ではないか」モーツァルトも疲れて聴けないときでも「らくにききながせて」「罪のない音楽家」。「四季」は「何を好んで特に幼稚な標題楽的手法のために、音楽の本当の醍醐味が稀薄になり、進行が乱されているような曲の流行の片棒をかつぐ必要があろう」ですと。「急緩急」の3楽章形式が「近代化された速度感をもっている」ので流行している。ウィーン古典派の名澄さを先駆けて親しみ深いが、マンドリン協奏曲のように、「独奏楽器の扱いに、魅力ある変化がある」しかしそれは「目先が変わってい」て「音楽としては、たいしたものではない」。
参考にしたライヒテントリットを「19世紀的ロマン主義的美学と世界観」と評しつつ、レコードの増加によって自分は見方が少しずつ変わってきたとみている節があります。もっと多様な楽しみがあるに違いない、と。ただしその中で、何でも「純粋音楽」ならいいともいわないけれど描写的表現や標題楽化はいらぬ先入観を招くから注意したいと。そのハシリが「四季」----という位置づけ。
CPEバッハに関しても、マンハイムの手法は一種の流行病で、CPEは「なまの感傷と見せかけの情緒」の音楽。「見せかけの情緒を真の情緒に変えた」のはハイドン、モーツァルト、ベートーベンだからCPEとその一派の音楽は「敬遠する」そうです。
1961年初版、1981年文庫化という本なので、致し方ないと思いつつ、これだけ激しい「バッシング」を受けるビバルディは、まあやはり只者ではありません。

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