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「アイウェア メビウス」社長の「伝」なき「立志」

もしコーヒーの生産地に赴くことがある方で、要メガネの方がいらっしゃるなら、icBerlinやMykitaをお薦めします。理由は----どうぞ検索して。


メビウスは、「アイウエア」の店と称しています。昔で言う「メガネ」屋さんなのですが、イメージが一新したので改めて検索調査しました。創業オーナーは、山田香代子社長。おそらくメガネの付加価値を高くした人のひとり。必要な人にとっては生活必需であり、一見、店舗周辺の地域との交流が重要視されそうなものですが、彼女は個人経営で渋谷に進出し、ファッション性を追う側に舵を切りました。結果、メガネの展示会を依頼されて各地に出向くように。なぜなのでしょう。
ネット上で発見したインタビュー記事。2010年のもの。

私が会社を立ち上げてから来年で20年になります。最初は岐阜県でメガネの店を立ち上げたのですが、その当時は価格訴求型の店でしたので資本の大きなところには勝てず、しだいに手詰まり感を感じるようになりました。そのうえ、ブランドの名前はついていてもどれも似たり寄ったりのメガネばかり。でも本来メガネというのは顔にかけるものですから、顔がひとりひとり違うのと同じようにメガネの形も違うはずだし、もっときれいな色や楽しいメガネがあるはずだと思っていました。お茶を飲みながらゆったりとメガネを選んで差し上げるような店が私の理想でした。
それで今から16年前、思い切って東京渋谷に店を出しました。当時は業界は完全に男性社会でしたし、いきなり東京に出店するのはかなりの無謀なことだったと思います。 視力矯正のためのメガネから、ファッションのアイテムとしてのメガネに変わったのは、東京に出店したことがきっかけでした。
ヨーロッパのハウスブランドのメガネに出会って、メガネには大きな力があると思うようになりました。その国の文化や感性がメガネにも現れてくるのです。たとえば車を例にとってみますと、ドイツ車はドイツ車らしいし、イタリアの車はイタリアらしいですよね。メガネはそれ以上にデザイナーのお国柄がでます。
一方で、よく知られたメジャーなブランド名がついているメガネはたくさんありますが、ライセンス契約によってブランドマークをつけているのであって、デザインしているのは、フランスのブランドであってもライセンスを買ったメーカーのデザイナーであることが多いのです。だからブランド名がついていてもデザインがみんなどこか似ているのでしょう。メガネのデザインは光学的な要素が入るので、アパレルのデザイナーに敬遠されるのかもしれませんね。

ハウスブランドのメガネは、メガネのデザイナーがデザインしているので、メガネとしての機能をキチンと備えているだけではなく、おしゃれでもあります。その理由は、自分達がかけたいメガネをほとんどハンドメイドで少数の人のために生産しているからでしょう。大量生産をする場合はより多くの人に売るわけですから、大勢の人に受けるデザインであり、個性的なものは排除され、非生産的なものは避けられます。しかし私が求めているものは生産性の良いものでもなく、本当の意味で自分に似合うものです。多くの人に似合うものは実は誰にも似合わないのです。ブランドロゴは表にはついていません。ブランドだから買うという人には無縁のものです。
また不思議なことに、たとえばベルギーやフランスでデザインされたものでも日本人にとってもよく似合うのです。もちろん鼻の高さがヨーロッパ人とは違うので、パッドを新しくつけたりする必要性はありますけれど。
メガネのファッションに関して言えば、残念なことに、ヨーロッパのデザイナーの方が、おしゃれですてきなメガネをデザインするように思います。もちろん日本人にもアイウェアのすぐれたデザイナーはいますが。
メガネがファッションのアイテムになっても、視力を矯正するものであるということは大きな事実です。4年前に検眼をキチッと勉強したいと思って勉強を始め2年後にはオプトメトリストの試験に合格しました。勉強は楽しく、生理光学と神経の解剖学にははまりました。何ごとも一生懸命になると面白くなるものです。
私と山口県周南市と関わりを持つようになったのは、友人でありお客様であるギャラリー招き猫やのオーナー、中川美穂さんを介してでした。2007年に初めて招き猫やのギャラリーにメガネを展示させていただくことになり、このとき山口の素晴らしさにたくさん触れました。まず、お魚の美味しいことにはおどろき、いっぺんに魚ぎらいが直りました。日本の伝統的な美をうまく生活様式の中に取り入れているのにも感心しました。

2009年ころ。自分のイメージを変えていくために、メガネを変えました。「探偵スルース」のオリビエみたいなもの。icBerlinアイシーベルリンというブランドのメガネを買いに行き、そこから出たMykitaマイキタにしました。
うちの奥さんもマイキタにしました、半ば無理やり。子供もメガネが必要でしたので、連れて行きオリバー・ピープルズに。

2018年春、とうとう聞いてみました。
メビウスは、上記にあるように一種のプライベートブランドのような自家製造フレームを売る店としてスタート。セルロイド材質のメガネはオーダーメイドができる工房付きです。お仕立てメガネフレーム店ということです。もう一軒はビンテージフレームのお店。
この2軒だけですか、と聞くと、オーナーは最近新しい仕事をしているとのこと。しつこく聞きました。本店メビウスはフレームを直接小売り販売する店ですが、珍しいデザイナーメイドのブランドを輸入するようになり、海外のデザイナーが日本に売り込みに来たときの営業の手伝いをするようになりました。その発展で輸入フレームの卸売りも手掛けるようになりました。
オリヴァーピープルズというハリウッドに本店を構えるデザイナーは、日本の技術を認めてマニファクチャード・バイ・ジャパンにしているとか。
そしてオーナーは、メイドイン・ジャパンのフレームの輸出も手掛けるようになりました。「Yコンセプト」がそれ。福井の日本人デザイナー兵井某の「コンセプトワイ」から発展させたものとか。


検索したところ、近況がひとつ。
坂本龍一愛用のデュランの話題。

東京・渋谷の眼鏡店「アイウェア メビウス」の山田香代子社長。大の眼鏡好きである山田氏は、郷里の岐阜県で眼鏡店をオープンさせた後、1997年に伝手もコネもない状況で東京に進出した。事業を軌道に乗せた後、その“眼鏡愛”に導かれるようにしてデュラン氏と出会う。
「2014年に展示会でフランスに行ったとき、ジュラという地域にある眼鏡博物館を訪問しました。そこで展示品の説明に現れたのが、なぜかジャックだったんです。当時の配偶者が博物館の館長だったそうですが、こちらはもちろん、ジャックのアポは取っていませんでした」
フランス東部に位置するジュラ地方は、手工業が盛んなことで知られる。中でも眼鏡は主要産業で、その歴史は200年以上。1940年代後半生まれのデュラン氏は、この地で眼鏡職人の姿を見て育ち、眼鏡技師となった。やがて眼鏡のデザインも手掛けるようになり、70年代後半には「アラン ミクリ」の立ち上げに参加する。

「メビウス」が「ジャック・デュラン」を多数販売していたこともあり、デュラン氏と山田氏は意気投合。交流は続き、2017年には「メビウス」が日本の輸入総代理店となった。現在は「ジャック・デュラン ジャパン」の看板も掲げている。

「誰にでも似合う眼鏡」ではなく「似合う人を求める眼鏡」になった。そこで「求められた」うちの1人が、デュラン氏が愛する日本で生まれ育った「世界のサカモト」だ。坂本氏は「メビウス」が日本総代理店となる前、アパレル業界出身の日本人男性を介して「ジャック・デュラン」の眼鏡と出会ったという。




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