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(2019年5月)Books  学研の「200CD」シリーズにみる----哀歌

学研の「200CDアヴェマリア宗教音楽の名曲・名盤」2004/12/1刊。
200のうち、選ばれたのは次の3曲。
「宗教音楽名曲ベスト20」の章。
クープラン「ルソン・ド・テネーブル」。レーヌ盤とルセ盤が推薦。
(欄外にランベールとシャルパンティエの「ルソン」がそれぞれ1点ずつ)
「教会で育まれた癒しの響き」の章。
タリス「エレミアの哀歌」。キングズシンガーズ盤推薦。
(モラレスのモテトのページ欄外にモラレスの「哀歌」が推薦盤として)
「宗教心から生まれた名曲を聴く」章。
バーンスタイン「交響曲第1番エレミア」。ルートビヒとの自作自演盤。

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教会の祭壇に並べられた大きなロウソク。その火を、少年がひとつずつ消していく――フランス映画『めぐりあう朝』(1992)の監督は、ラトゥールの絵を念頭においていたらしい。そのバックに流れていた音楽は、フランソワ・クープランの傑作《ルソン・ド・テネーブル》の一節だった。
「ルソン・ド・テネーブル」(テネブレの読誦)は、カトリックでもっとも美しい礼拝のひとつ、復活祭に先だつ聖週間の木曜から土曜の三日間の真夜中に(ただし当時のフランスでは水曜から金曜)、一本ずつロウソクが消されていく。最後の暗闇は、キリストの苦悩と死の象徴。テキストは旧約聖書の『エレミアの哀歌』。そのなかで預言者エレミアは、エルサレムが紀元前587年に神殿を破壊され廃墟となったこと、そして神の怒りを招いた人間の罪を嘆く。
フランスで最初に出版されたのは、ミシェル・ランベール(1610〜1696)の作品(1662)。その後シャルパンティエ、ドラランド、ブロサール、ベルニエ、クープランなどが次々と作品を発表し、1735年頃まで60年以上も高い人気を集めた。音楽では、ヘブライ語のアルファベット文字が長いヴォカリーズで歌われたあと、哀歌のテキストによる部分が続き、つねに「エルサレムよ……」という言葉で終わる。
フランス独自の特徴としては、エール・ド・クール(宮廷歌曲)の伝統にもとづいた繊細な歌唱法と華麗な装飾が見逃せない。歌手には高度な技巧が必要とされるが、この時期にオペラの上演が禁じられていたことから、当時はオペラ座の歌手が修道女の代わりに歌うことも多く、実際には声の競演を楽しむ機会として人気が高まっていく。
1680年にサント=シャペル教会で歌われていたのは、当時23歳だったドラランドの作品。しかし「パリ中で賛美された」というドラランドの娘たちは、1711年に流行した天然痘で世を去ってしまう。同じ年にアベイ=オ=ボワ修道院で歌われていたのは、シャルパンティエの作品。宮廷の人々は、どちらを聴きに行くか迷ったにちがいない。
クープランの作品(1713-17出版)は、楽譜の序文によればロンシャン修道院のために書かれたもの。13世紀に建設された女子修道院は、留学中に筆者がいた下宿に近いブローニュの森のなか、有名なロンシャン競馬場のすぐそばにあった(今は残っていない)。音楽は、繊細に花を開かせ、高く昇っていくかと思えば、また静かに休むという、クープランならではの甘美な旋律に満たされている。
1992年に「パリ夏の音楽祭」が長い歴史を開じたとき、最後の演奏会で歌われたのがクープランの曲。サン=セヴラン教会は開始前から熱気に包まれ、超満員の聴衆はジェラール・レーヌが歌う哀歌にじっと耳を傾けていた。教会の残響を見事に利用して空中にフワッと放り投げたような歌声は、あくまでも柔らかく煙のように消えていく。幸運にも最前列で聴いたレーヌの声は陶然とするほど魅力的で、とくにピアニシモは甘美としかいいようがない。ここでルソン・ド・テネーブルを何度も聴いたが、このときほど感動したことはなかった。(関根敏子)

レーヌ(CT)アンサンブル・イル・セミナリオ・ムジカーレ91年HarmonicRecords日本でも人気の高いフランス人カウンターテナー、Gレーヌ。その官能的で柔らかな歌声は、聴衆を温かく包み込み、うっとりときせる。だが、フレンチロックも歌うレーヌだけに、その底には確国としたリズム感が存在している。
ジャンス(S)ルセ(Cond)レ・タラン・リリク00年Dec《フィガロ》の伯爵夫人などオペラ歌手としても人気の高いフランス人ツプラノ、V.ジャンス。そして活気のある音楽作りで定評あるルセと古楽アンサンブル「レ・タラン・リリクJ。同時収録もクープランのめずらしいモテットとマニフィカト。
ランベ―ル《ルソン・ド・テネーブル》ピヴトー(Cond)89年VCフランスバロックオペラの創始者リュリの義父で、歌唱教師としても名高いミシェル・ランベール。陰影のあるエールドクール(宮廷歌曲)で知られるが、これが宗教音楽の初録音。
シャルパンティエ《9つのテネブレの読誦》アンサンブル・イル・セミナリオ・ムジカーレ94年VCレースの甘い声でフランスの宗教音楽を堪能させてくれる魅力的な一枚。ほかに美しい装飾をちりばめた歌で知られるクレランボーが、サンシュルビス教会のために書いたモテットなども併収。

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日本の合唱界でも広く愛唱されているルネサンスポリフォニーの定番レパートリー。エルサレムの荒廃を嘆く詩が5声のアカペラで切々と歌われていく。イギリスならではの不協和音が印象的。
バードの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と並んで、もっとも有名なイギリス・ルネサンスの宗教音楽がタリスの「エレミヤ哀歌」である。この「哀歌」とは旧約聖書の一書で、紀元前六世紀に異教徒に減ばされた都エルサレムの荒廃を嘆いた詩歌。カトリック教会では キリスト受難の金曜日前後の真夜中の典礼でこの「哀歌」を朗読する。不信仰がどのような結果を招いたかを読み、悔い改めの気持ちを新たにするのである。15世紀以来、多くの作曲家がこの朗読を多声曲に仕立ててきた。
タリスの作品もこの伝統を汲んでいるわけだが、ここでひとつ問題がある。タリスはイギリスがカトリックとプロテスタントの間を揺れ動いた激動の宗教改革期を生き抜いた。
そして彼が「エレミヤ哀歌」を作曲したと推定される時期には、イギリスは英国国教会というプロテスタント教会に転じており「哀歌」を朗読するカトリックの典礼はもはや非合法だったのである。そこで彼の「エレミヤ哀歌」は典礼とは無関係にひとつの芸術作品として書かれ、当時肩身の狭い思いをしていたカトリック教徒を中心に、プライヴェートな慰みとして歌われたのではないかとする見方が有力である。逆境にあるイギリスのカトリック教徒を(実はタリス自身も、終生カトリックの信仰を守っていたとおばしい)にとって、異教徒に侵されたエルサレムを嘆く歌は切実な響きをもっていたことであろう。(那須)

「タリス&バード:宗教曲集」キングズ・シンカーズ94年BMG 極上にブレンドされたハーモニーと抜群のセンスごアカベラ最高峰の一角を守り売けているグループが、原点のイギリス教会音楽を入れた1枚。タリスとバードのラテン語・英語教会音楽の名曲が聴ける。過剰な粘着性も重さもなく、彼らならではナチュラルな声と端正な歌唱で淡々と織り上げられるスタイリッシュなポリフォニーかかえって強く訴えかけてくる。
「4声のミサ曲&モテット集」サマーリー(Cond)オクスフォードカメラータ92年Nax あえて残響のない空間で、硬い声で織り上げられるポリフォニーの痛烈さがたまらなく耳に心地よい。

レナード・バーンスタインは、一九四二年にニュー・イングランド音楽院が主催する作曲コンクールに、初めて作曲した交響曲を応募した。友人の助けを借りてわずか三昼夜でピアノスコアをオーケストラ譜に仕立て、締め切りのわずか数時間前に提出。選にはもれたが、その二年後ピッツバーグ交響楽団で初演され、ニューヨーク音楽批評家サークル賞を受賞し、弱冠二六歳の若者はこの作品によっておおいに注目されることになった。
題材の『エレミヤ哀歌』は五つの詩から構成され、バビロン補囚によって滅亡したイスラエルを悼んだもの。当時の政治的情勢から、これがナチスのユダヤ人迫害に重ねあわされていることは明白だが、それ以上に作曲家自身が、エレミヤという不撓不屈の預言者に芸術家としての理想像をみていたように思われる。
これ以降「作曲家」バーンスタインの作品は、ミュージカルなどの劇作品をのぞくとほとんどが宗教的な題材をもとにしているが、これらも自身の篤い信仰心の吐露というよりは、内面に抱えた罪の意識や苦しみといった感情をぶちまけたもの。自身の悩み(バイセクシャルだったことも含め)の告自である交響曲第二番《不安の時代》、「信仰」への個人的独白ともいえる第三番《カディッシュ》では、あまりにエネルギッシュに生まれついた人物が、そのはけ口を求めてのたうちまわる不幸の結晶をみせられているようだ。(広瀬)

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