笑うバロック展(128) 「モーツァルトが我々を忘れられた存在にしてしまうだろう」

2003年にこんな本がでていました。奇特な方々が編んだ本みたい。
広告が面白すぎて、読まなくても済ませられそうな気がしてきます。最近の映画の予告編みたい。アマゾンの評判はいまいちですが、今ならどうだろう。ほとんどの作品が結構質の高い演奏で実際に耳にすることか可能ですし。

「オペラの18世紀 バロックからモーツァルトへ 」

内容紹介
「モーツァルトが我々を忘れられた存在にしてしまうだろう」
18世紀、オペラ文化が華々しく開花した時代。
モーツァルト以前、そして同時代のドイツ系作曲家15人に光を当て、〈18世紀のオペラ〉の魅力を発掘!
作曲家の生涯、時代背景や都市との関連、代表的なオペラ作品を「人物相関図」とともに紹介する。

本書に主役として登場する15人の作曲家と作品
フックス《月桂樹に変身したダフネ》
ペープシュ《乞食オペラ》
カイザー《クロイソス》
テーレマン《ピンピノーネ》
ヘンデル《ジュリアス・シーザー》
ハッセ《抜け目のない女中》
グラウン《クレオパトラとシーザー》
ホルツバウアー《シュヴァルツブルクのギュンター》
グルック《中国の皇女たち》
G. A. ベンダ《ローメオとユーリエ》
ヒラー《姿を変えられた女房たち》
ガスマン《伯爵令嬢》
ハイドン《哲学者の魂》
J. C. バッハ《ゴールのアマディ》
ディッタースドルフ《医者と薬剤師》
作曲家別主要オペラ作品一覧/関連年表/地図(17世紀中頃のヨーロッパ)/オペラ人物相関図付


目次

■序章 バロックからモーツァルトへ
1 空白の時代?
〔揺籃期オペラから宮廷のパフォーマンスへ/イタリア・オペラのヨーロッパ制覇/ジャンルの多様化と国民オペラの萌芽〕
2 「発掘作業」の意味
〔リブレットの「リサイクル」と音楽の「使い捨て」/時代の隔絶による違和感?/こびりついた否定的イメージ/隠された魅力の「発掘」〕
3 「ドイツ」というキーワード
〔ドイツ系作曲家の台頭/イタリア・オペラの担い手=ドイツ系作曲家たち/ドイツ・オペラの成長とモーツァルト〕

■《節操と剛毅》を守り通した宮廷音楽家……ヨハン・ヨーゼフ・フックス
ヴィーンで開花した農家の息子/宮廷バロックのただなかで/《月桂樹に変身したダフネ》/「教会向きの」祝祭オペラ/良き家庭人、良き宮廷人として生きる
■《乞食オペラ》と三人目のジョン……ヨハン・クリストフ・ペープシュ
ペープシュの(?)《乞食オペラ》/ヨハンからジョンへ/ジョン・ゲイの戯曲あるいはリブレット/《乞食オペラ》の衝撃と波紋/そして最後に笑ったのは
■ハンブルク・オペラ「黄金時代」の立役者……ラインハルト・カイザー
ハンブルク・デビューへ/鵞鳥市場の歌劇場/ハンブルクでの栄光と挫折/ドイツ語オペラと台本作家たち/《クロイソス》/肖像画よりもアリアを
■音のマルチ・クリエーター……ゲオルク・フィーリプ・テーレマン
テーレマン流音楽武者修行/ドイツ諸都市を駆けめぐる/ハンブルク・オペラを立て直す/《ピンピノーネ》/ハンブルク・オペラの最後とテーレマンの晩年
■ロンドンで花開いた「ドイツ系」イタリア・オペラ……ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
宮廷からの「逃走」/王立音楽アカデミーとわがままな歌手たち/《ジュリアス・シーザー》/永遠のオペラ・セーリア
■モーツァルトに道を譲った「時代の寵児」……ヨハン・アードルフ・ハッセ
プロイセンかザクセンか/イタリア・オペラの寵児とイタリアの歌姫/「モーツァルトが我々を忘れられた存在にしてしまうだろう……」/《抜け目のない女中》
■大王とともに歩んだオペラ人生……カール・ハインリヒ・グラウン
リンデン・オペラの幕開き/フリードリヒ大王の夢/大王の「オペラ友達」/《クレオパトラとシーザー》/「ここでは私が王なのです!」
■マンハイムの星はきらめく……イグナーツ・ヤーコプ・ホルツバウアー
ヴィーン独学からイタリア武者修行へ/飛躍への足がかり/輝けるマンハイム/イタリア風ドイツ語音楽劇《ギュンター》/輝きを失ったマンハイム
■オルフェウスの旅人……クリストフ・ヴィリバルト・グルック
ビアボンを抱えたボヘミアン/マリーア・テレージア治下のヴィーン宮廷で
「フランス支配」から改革オペラへ/パリに乗り込む/ヴィーンでの最期/「騎士グルック」の虚像と実像
■そして誰も死ななかった『ロミオとジュリエット』……ゲオルク・アントーン・ベンダ
現代まで続く音楽家の家系/フランツとゲオルク/ゴータ宮廷に舞い降りたエクホーフ/メロドラムとジングシュピール/《ローメオとユーリエ》あるいはハッピーエンドの理由
■歌に生き、啓蒙に生き……ヨハン・アーダム・ヒラー
生粋のザクセン人/「ザクセンの小パリ」/ジングシュピール《姿を変えられた女房たち》/啓蒙の申し子
■音楽家を演じた祝祭の旅路の果て……フローリアーン・レーオポルト・ガスマン
旅する音楽家/グルックの衣鉢とゴルドーニの洗礼/故国の都ヴィーンへ/オペラ・ブッファ《伯爵令嬢》/ガスマンの遺産
■時代の狭間で書かれたもうひとつの《オルフェーオ》……フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
「復活」するハイドン/評価されなかったハイドン/《哲学者の魂》の場合/二つの時代を生きたハイドン
■大バッハの18番目の子供……ヨハン・クリスティアン・バッハ
偉大な父ゼバスティアンと子供たち/「ミラーノのバッハ」の誕生/王妃の音楽指南役「ロンドンのバッハ」/コンサートの協力者アーベルとグラッシ/最後のオペラ《ゴールのアマディ》
■フィガロをおしのけた《医者と薬剤師》……カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ
ハイドンの後輩として/モーツァルトのライバル/《医者と薬剤師》/誰のために書くか/死後の名声を信じて


キャッチコピーはハッセとモーツアルトのエピソードから採られた様子。

----モーツァルトとハッセとの関わりは、1771年10月に行われたミラノの総督フェルディナント大公とモデナ公国の王女との婚礼に当たって、オペラを競作したことでした。当時ミラノを中心とする北イタリアはオーストリアが支配し、総督フェルディナント大公は、女帝マリア・テレジアの皇子でした。このフェルディナント大公の婚礼に当たって上演される祝典劇が、モーツァルトとハッセの二人に依頼されたのです。当時モーツァルトは15歳。ハッセは70を過ぎていました。
1771年10月15日に大聖堂での婚礼があり、その後宮殿で祝宴が行われましたが、翌16日に、まずハッセ作曲による『ルッジェロ』が上演され、翌17日にモーツァルトの手になる『アルバのアスカーニョ』が上演されました。『アルバのアスカーニョ』の上演は大成功で、『ルッジェロ』の評判を凌駕したと伝えられます。

長生きのハッセならではのエピソードです。下記のようなのもあります。

----1731年(32歳)でザクセン選帝侯よりドレスデンに招聘され、オペラ「クレオフィーデ」を上演。これはバッハ(当時46歳)も聴いたとされるオペラです。その後ハッセは1763年(フリードリヒ・アウグスト2世没)までドレスデンを中心として活動します。


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