笑うバロック展(415) レジェンド探索 特別ゲスト「行くところまで行くであろう」

このまま「行くところまで行く」としたら、音楽そのものが「トマソン」になってしまうのではないかしら。わたしもネット路上で、無用の階段を探して記録しているようなものですな。

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最新刊「音楽と出会う」を図書館で借りて。序文によると----「行くところまで行くであろう」とのこと。

「あえて」批判的なポーズを強調してみたわけである。ただし「昔はよかった、昔に戻ろう」などと言いたいわけではない。どんなに過去を懐かしもうと、何かは確実に容赦なくますますエスカレートして、行くところまで行くであろう。

きっとそうなのでしょう。だったら、「行くところまで行くであろう」を楽しみたいもの。

早速、またりさま [Matarisama]で検索しました。相当訓練が必要そうです。

2進法計算における1ビットの状態の1がカスタネットに、0が鈴に対応しています。8人の演奏者がこのビット演算を行い続けることで音の連なりが生成されます。記録映像は《またりさま》の修行を積んだグループ「方法マシン」によるもの

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"Four bits Counters"4人の奏者がそれぞれ叩く音の高さが異なるパイプを両手に持ち、演算を行いながら頭を叩いて演奏します。

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マーカーしたところをいくつか。

偉大な先人たちは、生命が尽き果てる寸前のような状況にあってさえ、なお音楽という建物を築くことをやめなかった。アイスクリームのような癒しサウンドに逃避はしなかった。
「築くものだ」という意味で音楽は文化である。リラックスするだけで築くことを放棄すれば、文化としての音楽はアイスクリームのようにサウンドとなって溶けてしまう。音楽ではなくて「432ヘルツ癒しサウンド」に解体する。私にとってこれは「人間やめますか?」と言われているに等しい。
私にとって最も21世紀的な音楽トレンド(つまり20世紀においては考えられなかったようなそれ)は、癒し音楽ブームである。いったいいつから人は、無条件で音楽=癒しと思い始めたのだろう?癒しはマインドコントロールと紙一重、未来映画『ブレードランナー』の原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の中には、薬で自在に被験者の心理をコントロールする話が出てきた。薬物音楽で自在にマインドコントロールできる未来など悪夢である。これだけ多くの人が「音楽=癒し」と思っている状況というのは、20世紀から見ればほとんどSF小説並みの異様な世界だったはずだ。「癒されるために音楽を聴く」ということは、容易に「癒してくれるなら音楽以外のものでもいい」に転じる。「音楽ではなくて薬で代用できるならそれでいい」になる。音楽をサプリ代わりにしてはいけない。


マイルス・デイヴィスは、ビートルズは、他を圧する存在であり続けてきた。彼らが一度でも「似たたり寄ったり」のことをやったか?彼らは他人のパターンはおろか、自分自身の過去すらコピーしなかった。常に変わり続けた。そして反復をしない人のシミュレーションをするというのは、それ自体が原理的に矛盾である。「AIは絶対に偉大な芸術家にはなれない」と私が確信する最大の理由は、これである。
人工知能が人間並みの能力をもつことよりも、人間の知能と本能とがAI並みに低下してしまうことの方が、私にはよほど怖い。ただしその兆しはもうすでに現れ始めているような気がする。手遅れになるより前、つまり人間がAI並みのバカになってしまう前に、まずは人間にしかできないことに徹底的にこだわらなければいけない。そうしないと本当にヤバイ。
アルメニア出身のジャズ・ピアニスト、ティグラン・ハマシアンのコンサートのことだ。彼はまだ三十代前半の若手だが、世界中で注目されている人である。「ジャズ・ピアニスト」とは言いつつ、従来のジャンル区分にはまったくはまらない独特の世界をもっている。ジャズをベースとしつつ、クラシック・ピアノの深い素養とロックのテイストとシンセサイザーのサウンド(彼はアコースティック・ピアノとキーボードを同時に弾きながら、さらに自分で歌ったりする)、そして何より故郷アルメニアの民族音楽が、混然一体となっている。
Tigran Hamasyan"Shadow Theater”という動画を見れば、彼がどのような音楽をやる人か、およそのところがわかるはずだ。
そんな彼のコンサートを聴きにわざわざ沖縄まで行ったのには理由がある。つまり2017年のツアーで彼は、東京のホールで一回演奏会をやった以外は(瞬く間にチケットが売り切れたそうだ)、福岡の古民家、屋久島の森、そして沖縄は名護の近くの宜野座の公民館と、通常「売れっ子」のコンサートが開かれたりはまずしない場所ばかりで演奏したのである。これが従来の都市的な消費型音楽生活を見直す試みであることは明らかだろう。オフィスでの仕事帰りに、ガールフレンドとレストランに寄ってからライブに行く----こうした都会のミュージックライフとルーティーンをあえて断ち切り、音楽産業の流通ルートの「外」で音楽をするのだ。


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