余談  藪の中のガスピラージュ

1993年ころ。

 Yは著名な料理人Sの弟。顔がよく似ています。年の離れた兄弟で兄は弟をかわいがり、よく面倒を見ました。それは同時に弟を重宝に使うことになり、弟は兄の威光で用事を頼まれることが多く、高名な兄の代理人として振る舞い、いつかそれが身について影武者のように、影法師のようになりました。影法師はいつか自分が影であることを忘れ、離れて一人歩きするようになりましたが、それでも周囲は影を影でなく兄の代理として見続けました。
 そして、影法師は、兄のツケで飲むことを覚えました。はじめは兄も仕方なくツケを払って歩きましたが、度を越して依存症になると、面倒を見ていた弟が面倒のもとになりました。更生させようとしましたが、元々近しい兄弟では厳しくできず、更生を他人に委ねるようになると弟は兄を恨みました。影として仕えてきた代償にしては、蔑ろにされたと感じたのです。
 荒みは激しくなり影法師としての役どころを利用して詐欺まがいの借金までするようになりました。これもはじめは尻拭いをしていましたが、別な兄弟と側近から止められました。更生できないなら絶縁するように、さもないと著名人としての信用を失墜し共倒れしてしまう。小規模経営時代のように兄弟が協力することが力を発揮する時は過ぎ、現在の規模は多くの他人の協力者によって成り立っています。不肖の弟のために信じてついてきている他人たちを路頭に迷わすことになる、兄は決断し、泣いて馬謖を斬ることになりました。
 影法師は切り離され、放逐され、それでも同じ過ちを繰り返し続けました。著名な兄を知る他人から見ると、影法師は本当によく似た顔と雰囲気を持ってい、実の兄弟だといえば、信じない者はありませんでした。兄も、代理人として便利に使っていた弟を殊更貶めることは言いませんでした。それが影法師の自律更生をさらに妨げました。
 兄の側近Hは、兄の弟の使役の仕方やかわいがりぶりを知っていたので、兄に代わってこの弟の面倒をみる役をしました。そもそも現実の尻拭い役はHの仕事で、兄弟絶縁後も弟を気遣って、無理がきく知人に頼みこんでは、ボスの影法師の更生協力を要請しました。影法師は料理に詳しく語学も達者でしたが、何かが作れるわけではありませんでした。依存症さえ克服できれば、レストランの支配人のような仕事はうってつけでした。Hは、影法師の弟が依存症から回復したら、飲食の店を持たせようと考えました。しかし、常にアルコールが身近にある仕事では、どんな環境に置かれても結局元の木阿弥でした。最初は周囲が影法師の向こうに著名な兄を見てチヤホヤするが、それに感けて飲み始めると馬脚を現す。結局、何度となく無理をきいてくれた知人たちに迷惑をかけることになりました。
 アルコールのない職場で、兄の威光が効かず、しかし将来の独立に希望を持たせてくれる、そんな都合のよい仕事や職場、管理者になる人物がいるものか。側近Hは自らの懐刀にそれを探させました。老舗の洋菓子店が候補になりました。
 洋菓子店は東京にあり多店舗展開していない職人肌の店でしたが、スタッフは10名ほどいて、喫茶を併設をしていてサービススタッフの中に中年男性がいても不自然でなかったのです。特にSと縁があったわけではないが、Hの懐刀は洋菓子店の店主Bを若いころから知っていました。その店が社会福祉貢献などをよくしていて、ハンデのある人を雇っては就労支援しているのを知っていました。思い切ってそれまでの影法師Yの経歴を打ち明け協力要請しました。Bはそうしたことに動じる人物ではなかったので、快諾しました。Bに提示された懐刀の条件は次のようなものでした。
 Yを更生させるために、Hが知人のレストランの支配人ポストを用意している。しかし直前の職場で周囲に借金して飲酒する問題を起こし、依存症の更生を兼ねて中国方面の地方都市の知り合いの寺に預けられていました。レストランのオーナーも、その状態ですぐには受け入れられないので、1年間は真面目に更生して勤務したという実績を作ってほしい、その後レストランの支配人候補として受け入れ、さらに1年は勤務が安定してできるか確認し、段階的に店を任せよう、と。それが巧く運べばYは更生がなったことになるし、失敗したら本格的に兄とその側近たちは影法師に対して十分以上の責任を果たしたと考えられる。何より後継ぎ修行中の兄Sの長男の人生の障壁にならないであろう、と考えました。
 Bは店の近所に古いが清潔なアパートを見つけ、Yを歓待しました。Yは離婚歴があり娘がいたのですが当然親権は得られず、ほとんど会えない状態でした。Bはとにかく真面目に働いて親子が会える機会を作ろうと目標をたてさせました。Bは共に働き、食事も一緒し、勤務終了後も何くれとなく話を交わしました。半年が過ぎ、仕事も順調で、親子再会を果たすまでになりました。本人ももしかしたらこの業界で生きる道があるかもしれないと感じていたかもしれません。
 年明け早春のころ、不意に著名な料理人Sの訃報が舞い込みました。料理にすべてを捧げ、還暦という、若さ、で亡くなりました。最後まで料理に尽くし、食べ続け作り続け幕を下ろしました。いきなりすべての後ろ盾が崩壊し、影法師Yは混乱しました。自分が真面目に勤め上げるのが兄への手向けと思えず、暗に敷かれた明るい将来へのレールが断ち切られたと感じたのでしょう。急激に穏やかな落ち着きをなくし、何を考えているのか分からない翳りが顔に出始めました。ただ仕事はテキパキとこなし、一刻も早く次の職場に移りたいと訴えるようになりました。零落してから1年半の勤続は初めてのことで、兄の側近Hは彼の自立更生を賭けて、最後のチャンスを与えました。
 Bからすると、Yはまるでつむじ風のように退職し、消えるように引っ越していきました。とりあえずBは役目を無事終えましたが、一抹の不安が残りました。少なくとも、自分の店に迷惑を一切かけず、勤続したのだから希望があるのではないか。しかしまた元の木阿弥になるのではないか。
 その後、Bの心配は次々と現実のものになっていきます。次に就職した飲食店では周囲のスタッフと反りが合わず、その店の備品を損壊して迷惑をかけ、あっという間に辞めることになり、その後すぐ雲隠れし消息が分からなくなりました。その間、Bの店では古参の店長が、Bがある女性スタッフEに対して不適切な嫌がらせの言動をとるので抗議、退職することになりました。その時擁護した女性スタッフEとは同棲状態でしたが、退職に伴って離別、転居、女性スタッフEも数か月後には辞めていきました。その後その女性スタッフEは、当時副店長だったスタッフDとも実は水面下で二重交際していて、そそくさ追いかけるように副店長Dまで退職、彼女を追いかけました。Bの店は大損害を被りました。Eは結局、経営者B、店長、副店長Dを惑わせた、一種の「キジマカナエ」でした。
 その大量離職騒動の起きる以前、YとDは飲み会をきっかけに急接近していきました。DはYがたいへん有名なSに似ていると感じていましたが、酒の席でYはDに自分の素性を明かしました。その時点でYはまたぞろDを鴨に小金を無心するつもりでした。Yは、Dの両親が早くに亡くなっており、親族が管理しているものの遺産があることを知っていました。隠れてEと交際していることも知っていました。当然ながらEが地方の資産家の一人娘で、Dが玉の輿を狙っていることも感じ取っていました。
 Yは、このDとEのカップルを利用して稼ぐ計画をたてました。まずY自身が先に退職、兄弟の伝手でフランスに日本料理店を出す計画を暖めていて、DとEにその店を任せたいと待ちかけました。そして、準備のためにそれぞれ勤めを退職し、それぞれの実家で待機してほしい、と。計画通りDとEは辞め、早々に結婚しました。Yはそれから開店準備のためと称して、数万円から数十万円単位で、DとEの夫婦の実家から金を「借り」ました。借金は徐々に回数と金額が増えました。Yはいよいよ準備が整ったので、出発の計画を話し、空港で夫婦と待ち合わせの約束をしました。そして、当日当然のようにYは現れず、急病で入院したという連絡が入りました。見舞いに行ってみると、そんな人物が入院した形跡はなく、自分たちが散々騙されてきたことを知りました。こう記録してくると、なぜ簡単に騙されるのか?不思議ですが、やはりYがSによく似ていたことと、DとEの夫婦でフランスの日本料理店の経営に携わるという、稚拙な夢と欲の混じったものが、目を曇らせたようです。退職から1年ほどが過ぎていました。
 BはHから連絡を受けて、前段の詐欺まがいの事情を聞くこととなりました。Hの話では、Yの兄SのところにDとE夫婦の親から借金の返済請求があったというのです。もちろんSは他界していて後継はSの長男でしたので、HはYの保証は一切しない旨返答したそうです。HはYと関わりのあったBを含む協力者たちに今後一切Yに関して関わりを持たないでほしいと通知して回りました。それから3、4年してHはSと同じ還暦で亡くなりました。Yの行方はもはや誰も探そうというものはいません。ところで騙されたDとEですが、Eの家の財産で実家の近所に小さな飲食店を持たせられました。
 Yは自分の店を持ったら、つけてみようと店名を考えいていました。「ガスピラージュ gaspillage 」。自分のことをよく何もできない無駄飯食いなんだと、いっていました。無駄飯食いを意訳すると「ガスピラージュ」かな、と。浪費、無駄遣い、不始末を表していてちょうど良いと。

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