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笑うバロック(350) レジェンド探索 特別ゲスト「読み人知らず」

Amazonのレビューより。----父に頼まれて購入しました。力強い演奏部分では、ネコがビビッてました。

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海童道祖は、2010年にはSPからの復刻がでていました。知らないうちに世間ではいろいろなことが起きていて、すっかり浦島太郎です。
まだ海童道祖が「海童普門」と「一朝普門」と名乗っていたときの録音らしい。ただ戦後のものなので、音はクリアで聴きやすいです。
海童道祖は、武満のノベンバーステップスの横山勝也の師のひとり。横山にはもうひとり福田蘭童という師が、こちらは確か青木繁の子のはず。このふたりの正反対といえるような音楽を横山は吸収して、それが武満の曲とともに世界中に影響します。その影響から派生した様々な音楽、特に管楽器に与えた影響(例えばある時期のブリュッヘンとか、マイルス・デイビスとか)は、結局一種の先祖返り現象なのかしら、と感じました。海童道祖は、青竹でも伐採してすぐ吹くといわれました。
横山のエッセイなどでも登場しつつ、実際の音を聴く機会がなく来ましたが、おそらく中村明一のおかげで、壮年期のライブ盤が復刻され、そして発見された若い時のSPの復刻がされたようです。どうも聴いていると中村明一の演奏との方が距離があると感じます。友人がフィドルの録音について「暗譜」感、「非暗譜」感ということをいっていたのですが、海童師と中村の距離感が、まさにそんな風に聴こえます。元来西洋音楽のような楽譜の概念は存在しないでしょうし、基本は口伝でしょうから、やはり海童師には何かを構える風な、また考えるような時間が全く感じられません。中村は息はとても長いと思いますが、躊躇に聴こえてしまうところがあります。
竹林で座禅する----言われてみれば確かに聴こえる「よい意味」空耳アーワーアアアでした。(真剣に海童の支持者に叱られそう、ごめんなさい)

傾聴拝聴。まずこのタイトル「無装飾」というすごさ。ツルオカ先生はどんな感想を持つでしょうか。聴かせてみたいものです。こうした作品は西洋音楽のような自己顕示はありません。演奏家も結果的に「読み人知らず」のように。でも、わたしは忘れません。

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